2011年02月03日

恵方巻を食す。


Quand la femme tient la barre de sa vie N°3−猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS
2011年2月12日(土)19:00 staet

ー`女が人生の舵を取るとき´トークショーつき、限定50名様限り♡ー



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ここ数年、節分の季節になると、コンビニやスーパーなんかでも恵方巻とやらがとてもポピュラーな存在になって売られているのを横目で見ていた。

これが、どこどこ神社の神主さんが自ら巻いたもの、なんていうふれこみだったら、ご利益がありそうで、もっと早くに手を出していたのかもしれない。でもまあ、考えてみれば福を呼び込む行いのほとんどは、その行為自体に何か特別な力があるのではなくて、なんらかの行いによって手足を動かし、福を願う心の自覚を己自身が再確認する、っていうところに力が宿る気がするのだ。

たとえば、私の仕事部屋の本棚の上には、小さな神棚がある。神棚といっても、特別なお社があるわけじゃない。清められた一角に、お正月に求めた神社のお札やお守り、そしてお神酒が供えてあるだけの簡素なもの。仕事が滞ったり、なにかこうもやもやして突破できないとき、新しいお神酒を供えて柏手を打つ。打った柏手は、神様へ届くのより先に、自分の内へと鳴り響く。「おまえは、私に何か頼む前に、まず出来る事がもっとあるのじゃないか?」神様の声なのか、内にある戒めの心なのかわからないが、いつも同じせりふが聞こえてきて、結局神様にお願いすることはいつもひとつ。自分に出来うることをすべてやらせてください。そのがんばりの苦しさに耐えられますように。 

笑。神頼みにしては、あまりに自力本願なのだけど、つまり私にとっての神様は、自分を映し出す鏡のようなものだということ。神様を都合よく、自分の外側に作って手を合わせるとろくなことがない。

話がそれたが恵方巻。実は今年、生まれて初めて食べたのだ。なに、人からちょうど頂いたから。それは、どこにでも売っているものだったのだけど、今年の吉方位・南南東を向いて、もぐもぐしながら思った。これをくれた人は、私の福を祈ってくれた。それだけでもう、こののり巻きは、他のものとは違うのだ、と。

そう、祈る気持ちに宿る力とは、目に見えないものだから、こうして食べらたり、手を合わせられたりする物の姿を借りているだけなのだ。




posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ | 食べ物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする