2011年03月02日

世界一、魅力的な男への捧げもの

LIAISON−La fête de fille @渋谷Liaison 2011年3月12日(土)
限定30名様限り、ご予約はお早めに♡ 春にふさわしいスペシャルプレートも登場!




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photo:Kanaki Shiina



セルジュ・ゲンズブールは、彼を良く知る人とあまりよく知らない人の`知る´度合い差がとても大きいアーティストのひとりなんじゃないかと思う。つまり、彼の生き様や音楽を知ったとき、自分の中にある感性の受動態に、かちっとはまってしまったら、もう人生の中からそれらを取り除くのは難しいほどの影響力を及ぼす。逆を言えば、はまらなければ一も百も等しくわからない…そういったタイプの。

かくいう私はどうなのかといえば、おそらく前者だろう。ただ、知れば知るほど、大胆で繊細でセンセーショナルで内向的な恐ろしいレンジに振り回され、わからなくなる。そう、彼を知り、愛し、憎み、去って行きながらも、生涯かけて彼を自分の中から追い出すことができないでいた女たちと等しく。そんな男が20年前の今日、永遠のパラディに旅立った。そして、パリ、サンジェルマンデプレを遠く離れたここ、東京で、生涯彼を追い出すことのできない人たちが集まって、音楽の捧げ物をしようということになったのだ。

PM 22:00。南青山のLe Baron de Paris に到着すると、赤と黒の地下空間には、決して美男子とはいえないのに、とてつもなく魅力的な生前の姿が映し出され、愛の不条理を知り尽くした男の歌が流れていた。Je t’aime moi non plus~愛してる。俺もそうじゃない。本来、仏語の文法では、肯定のJe t’aimeの返答にmoi non plusは使わない。前文がJe t’aime pas〜私は愛してない。という否定文が来たときだけ、moi non plusは使うものなのだ。

嗚呼、こんなことを説明している自体、無粋の極みなのだろうけど、このつじつまのあわない女と男の一言で、愛の不実と可能性をさらりと言ってのける男、それがゲンズブールである。よせては返す波のように、愛は変化する。愛しさと憎しみの間を留まる事なく行き来する。そのふたつの狭間に、ほんの一瞬訪れる至上の喜び。幻のようなひととき。信じるべきは、それだけだ。言葉は、なんの力も持たない。社会的な立場や名前も、そしてJe t’aimeさえも。

そんなことを知る賢者のために、私はRequiem pour un con そして Couleur café を歌った。偉大な男に見合うほど上出来ではなかったかもしれない。それでも、歌っているとき、一瞬あの男に抱かれたような感覚に落ちた。そして、その後、ペルノーで落ちた。あの黒と赤のフロアで、私は念願の生け贄になった。20年前の今日、永遠のパラディに旅立った、男の中の、男の。





posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ ☀| 音楽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする