2011年06月10日

5月末あたりからのパリ


Quand la femme tient la barre de sa vie N°5 −猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS 2011 年7月2日(土)限定50名様にてご予約中♡


急告♡ HOPE AND LOVE FOR JAPAN 12Juin 19h à La Fléche d’or
2011 年6月12日(日)
TAHITI80,Camille他出演!



もー、すみませんねー。ブログ、とても書きたかったのだけど、ほんっとうに怒濤の日々で。は?猫沢さん、いつものことでしょう?と言われてしまいそうだけど、いやー痺れました。それでもね、なんだか今回は不思議と心には余裕がある。以前ならば、もっとてんぱってあたふたしているような局面で、「なんとかなるかな。」という気持ち。そして実際なっている。おそらく、ここから先もなるような気がしている。ただ、なるなる思っているのじゃなくて、なるように今まで出来る限りのことしてきた、という自負が少なからずあるからかもしれない。結局、なるのかならないのかは、誰かがどうにかしてくれるんじゃなくて、未来の自分がなるように、今の自分がならせるってことなんだろうね。というわけで、5月末あたりからのかいつまんだパリの日々を…。


5月中旬某日。次号ボンズールの取材のため、ディジョンへ。私は取材の時、EASTPAKのでっかいリュックで行くのだけど、小さな体でこれをしょってるとなんだかかわいそうに見えるらしく「大丈夫?」なんてよく聞かれる。実際は、10kg以上あるコンガを背負ってアパルトマンの階段を平気で上り下りするくらいだから、背負ってることも忘れてしまい「は?なにが?」と答えてしまうのだけど。今回の旅のパートナーは、フォトグラファーのミカちゃん。彼女も細身なのに、ものすごく重いカメラを1日中首から2つも下げて、機材リュックを背負ってたくましい。ディジョンの様子は、ぜひ6月10日配布のBonzour Japon N°27をご覧頂くとして、私がこの旅で感じたことは、田舎にゆくと視野の狭い人が多いものだなあということ。田舎といえども海沿いの街はなにかしら文化や流通の出入りがあるから、人は全体的にアクティブで好奇心も強い。これは、アルルに行ったときにも思ったことなのだけど、内陸の田舎の人々は、やっぱり視野も狭くてそういった側面からなのか、保守的な差別主義者もいる。取材中、久しぶりにあからさまな差別態度を取られ、逆におかしくて笑っちゃった。だって、時代錯誤もはなはだしいじゃない?こんなにインターネットも発達して、国境が意味をなさなくなっているというのに。ネットがどんなに発達していても、人の心に築かれたベルリンの壁は壊せないのかもしれない、そんなことを思った。

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5月22日の週。ディジョンから戻って即、写真を選び、サーバーに上げ、レイアウトの下準備をがががとやって、その後、怒濤の原稿書きに入る。その間、震災後、大規模な日本復興支援イヴェントを展開しているHOPE AND LOVE FOR JAPANのアソシエーションから、6月12日、ガンベッタのラ・フレッシュ・ドールで行われるチャリティーライブに出てみないかとの誘いを受ける。タイバンはTAHITI80,CAMILLEだという。あらー、豪華。さっそくフランス人の友達にそのことを話すと「は?タイチ(仏語でタヒチは、タイチ)って誰?カミーユ?知らない。」と言われ軽い衝撃。たまたまそいつが知らないだけかと思って他の仏友達にも聞いてみると、よほどのお洒落方面音楽好きか、ミュージシャン友達以外は知らないと言われた。そうか…日本や海外で評価が高いミュージシャンは、国内ではあまり知られていないのだな。その落差が、日本よりも大きいなと思う。ライブのことをじっくり考えたいのだが、今はパジャマズボンのまま風呂にも入らず、なんとかこの前代未聞の短期決戦を越えねばならぬと、ひたすらこもって原稿を書く。3日で1度、数時間だけ寝て入稿。ああ、玄界灘を制覇。

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5月29日の週頭。月、火とこちらも怒濤の校正を重ね、無事校了。あー…毎度のことながら、力いっぱいやらせてもらいました。ボンズールを読んですぐにフランスへ行ける人は限られているかもしれない。それでも、夢を見続けて欲しいのだ。Les choses ne bougent que si l’on rêve−夢みることでしか、物事は動かない−アンドレ・プットマンの言葉。


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6月1日。出発の1時間前まで校正を重ねた原稿が無事に印刷所へ送られたことを確認してから、ふたたびEASTPAKのでっかいリュックにてリヨンへ出発。今回は、初のプレスツアー参加にて、海外の様々なジャーナリストと行動を共にすることに。プレスツアーとは、各観光局などが媒体向けに組む、取材旅行のこと。私は英語がわかるものの、ぜんぜんうまく話せないし、仏語だって完璧じゃない。どんな敏腕ジャーナリストが切れた質問をして現場を仕切るのか?と緊張の面持ちで出かけたものの、正直ちょっと拍子抜けした。リヨン観光局が組んだ素晴らしい取材プログラム。それなのに、メモのひとつも取らず、原稿はおそらくもらった資料だけで書き、写真はプレス用の借り物ですまそうとする媒体がほとんど。あげくの果てにはミカちゃんに向って「写真くれない?」と頼む始末。あほか。お陰さまで、ボンズールと日本のジャーナリストチームの働きっぷりが必要以上に高く評価されましたが。笑 今回リヨン取材の要だった、ニュイ・ソノールというエレクトロミュージックの祭典で、日本のバンドOOIOOや東京パノラマ・マンボ・ボーイズがライブをしたのだけど、OOIOOのヨシミちゃんや東パノの八重樫さんを始めとする面々と会えたのがとても嬉しかった。そのライブを、日本の音楽なんて聞いたことのないフランス人が大喝采で聞いているのを見るのも。東パノのライブのとき、ちっちゃなフランス人マドモワゼル姉妹に出会い、一緒に踊った。そのとき「これあげる。」と、暗闇で光るブレスレットを2つくれたのが、それが今回の旅の唯一のお土産となる。(自由時間もすべて取材や仕事に当てたため、チョコレート1枚すら買う時間なし)マドモワゼルたちのママンが「それ、日本製のなんだけどよかったらもらってあげて。」と笑っていた。

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6月5日。リヨン取材は、毎日夜の1時、2時戻りでそりゃあ体力的にはしんどかったが、PCを持って行って、12日のHOPE AND LOVE FOR JAPANライブのブッキングを同時に進めていた。夕方、パリに戻り、疲れすぎた体に引きずられて焦燥感で心が満ちる。そりゃそうか。パリに来た、とは言えないほど、前半は旅が多かったし休んでないもの。しかし、凹んでる暇はなかった。友達づてで探したライブのバッキングをしてくれそうなミュージシャンにコンタクトを取り、明後日には1回目のリハという強行スケジュール。なんせ、1週間後にはライブしなくちゃならないのだから。これまでにもパリでは、他の人がオーガナイズしたライブにはたびたび参加しているものの、一からメンバーを探して自分の曲だけをやるのは初めて。初めてなのに1週間しかない。と、前ならもっと焦っていたかもしれないが、なぜか「なんとかなる気がしてならない。」と感じていた。1週間しかないのではなく、1週間もある。本番の1分前までにいいものができれば、ちゃんと本番はいい音楽ができるのだもの。しかし、ここは日本ではないし、ライブの進行もフランス人ミュージシャンと密に組んだときの間合いもわからない。わからないけど、なんだって最初はわかんなくて、やりながら「こうなってるのか。」とわかってゆくのだから、やってみるしかないのである。何事にもかならず初回、がある。その初回を身構えたり怖がっても仕方がない。もやもや考えている時間があったら、実行するに限る。失敗など恐れない。だって、失敗にはかならず`経験´という、貴重なおまけがついてくるんだもの。それは、ボンマルシェにもコレットにも売ってない、限定数1のみの、人生のコレクションアイテムなのだ。


Photo1. ディジョンの街角にて。ミカちゃん撮影中。地方取材でもパリに普通にいるときも
    もっと思い出になるような写真撮らないと…と思うのだけど、気がつけば資料
    写真ばかり撮っている自分が。笑

   2.はーい、こんな感じで3日間踏ん張りました!ぜひBonzour Japon N°27を読んでね。
     フランス生活探偵団では、原発にからんだ仏アルバ社について詳しくリポートして
     います。

   3.締め切り期間中、私の心を慰めた猫のけいちゃん。友達の出張でしばし
     預かりました。猫はいいよ、猫は。

   4.OOIOOのライブ。プリミティヴで自由。とてもいいライブ!とてもいい楽曲!






   

   
posted by 猫沢エミ at 10:04| パリ | パリ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする