2012年08月26日

丁度いい。


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今夜の晩ご飯は、豆腐にチンゲン菜を茹でたのと胡麻油で炒りつけた茄子、そこにみょうがや生姜、紫蘇をちらし、小さなすり鉢でよくすった白ごまとめんつゆをベースに、お酢と柚こしょうをきかせたドレッシングの和豆腐サラダだった。それに北海道の生鮭のカマを塩焼きにしたやつ、お味噌汁、焼き海苔、ごはん。いたって質素な普通の晩ご飯なわけだけれど、ここのところ忙しくてまともなごはんを食べていなかった私には、大ごちそうであるのと同時に見事なまでに「丁度いい」食事だった。

食べ終わってしみじみつぶやいた。「ああ、丁度よかった。」過剰な量も派手さもない、かといって物足りなさもない丁度良さ。丁度いいという、落としどころを見つけるのは意外と難しく、もしかしたら「すごく幸せ。」よりも低い確立でしか訪れないのかも。などと思ってみる。


「丁度いい」の難しさは、何も食べ物に限ったことではない。人間関係の丁度良さからはじまり、期待した感情の丁度良さ、お風呂のお湯の加減だって丁度いいジャストにもってゆくのは難しい。なぜ難しいのか?といえば、それは「丁度いい」を生むためには、常に2つ以上の要素や対象が必要になるからなのだと思う。丁度よく食べる、丁度よい時間で寝る、などのさもひとりで成し得ているようなことだって、考えてみれば「丁度いい」と思う心と、体の連携に他ならない。また、恋人との「丁度いいデート」を例にあげると、自分以外の連携対象物があった場合の「丁度いい」がわかりやすいかもしれない。お互いが好き合っているという感情がベースのふたりとて、その日の体調や心持ちで、常に微妙な波の間をいったりきたりしている。その波長に、膝をぱしん!と思わず打つかのごとくばっちり合わせるのは指南の技だ。どちらかが過剰に期待すれば、過剰な分だけがっかりがやってくる。逆に、彼が思わぬサプライズを用意してくれていて、予期せぬ喜びがやってくることもある。それは「うんと幸せ」なのだけど、「丁度いい」とはまた別のものだ。丁度いいは、おそらく普段となんら変わりがない、いつも通りのささやかな場面で自分と自分の体の一部、あるいは自分と誰か、自分と状況がぴったり合わさったときに訪れる、とても希な幸福感なのだと思う。


自分に丁度いい服を選ぶのも意外と難しい。丁度よく呑み、食べ、丁度よく人を愛し、丁度よく仕事をし、がんばることも。些細な毎日の「丁度いい打率」を上げるには、ひとつの方法しかない。それは、自分の声をよく聞くこと。誰かの「丁度いい」を真似しない。憧れない。比べない。自分意外の声に踊らされて、「丁度いい」の基準が他のものへと移った瞬間、打率は限りなくゼロになる。そこには、表層的な幸福感や過剰な贅沢や、着ない服や食べきれないお料理が並ぶ。そして、幸福感に対して「もっともっと」と際限なく飢える自分がいるのである。

お風呂に湯を沸かして、身を滑り込ませる。「うーむ。本当に丁度いい湯加減になるのって、1年に1回か2回くらいなんだよなあ。」と、私はいつも思う。湯沸かしの温度設定はいつもベストの41度にしているのだけど、やっぱりその日の体調やお天気や肌の敏感さで、「ここだ!」とはなかなかゆかない。それがまた面白いし、ときたま訪れるジャスト湯加減に至福を感じられるのだから、幸せって奥深いなあと思う。










posted by 猫沢エミ at 23:52| パリ ☁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする