2012年10月13日

パリ、へんなところ居住記。


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いろんな方によく聞かれるのが「猫沢さんはパリにアパートをキープしていらっしゃるんですか?」という質問。私が実際に自分の名義でアパルトマンを持っていたのは、2002年から2006年までの4年間だけである。入居した当初、10年は使ってもらってかまわないと言われていたお気に入りのアパルトマン。しかし大家さんの親戚筋に失業者が出たという内情で、突如私は出て行かねばならなくなった。追い出されたという感情はなかったけれど、当初「ものすごく面倒なことになった。」と思ったのは事実。だって、それまでの私は、パリ居住でもっとも面倒なアパルトマン探しも、偶然の出来事と縁の重なりで苦労なく見つけてしまっていたし、大家さんも隣人のマルタンもおしなべていい人たちだったのだ。ぬくぬくとした巣をいきなり出て行かねばならなくなったひな鳥みたいな気持ちだった。

それがきっかけで、一度日本へ帰って本格的に仕事をしようと思っていた当時だったが、パリが私を離してくれなかった。帰国する3日前に日本の某出版社から電話があり、それまでずっと書き溜めていたヨーロッパの映画に関する本を出しませんか?という話があった。丁度、ポンピドゥーセンターでジャン=リュック・ゴダールの大規模なエクスポジションが開かれてたので、私は担当者さんに「できれば会期中残って、上映フィルムや展覧会をできるだけ見て、本に書きたい。」と言っていた。午後には帰りの便を変更し、友達に電話をかけた。「どうも帰れなくなった。」その一言に、友達が「やっぱりね。そうなると思っていた。」と笑った。しかし、家がない。先のことなど何も考えず、やってきたチャンスに飛び乗って来た人生だが、この時ほど今しか見ていなかった時もないだろうと思う。そのとき、所属していたグラフィティーチームのメンバーから電話があった。諸事情を話すと、滞在が延びたことをとても喜んでくれ、「よかったら、ここのオフィスに住まないか?夜、誰もいないとセキュリティーも心配だし、エミが住むなら僕らも安心だ。」それで、突然家が決まった。

チームの所有する物件は2つあった。オフィスと作画用の200平米のアトリエ。オフィスの方は、半分が事務所として使われ、半分がサロンになっていた。キッチンもシャワーもトイレも一応ある。決して、安全な地区とは言えないバニョレだったが、もうすでに3年入り浸っていたので、近所の若いギャング集団とも顔馴染みになっていたし、その証拠に私のモトベカンを外に泊めておいても、一度もいたずらされたことはなかった。メンバーの話によると、それは地域の悪い子たちが私を認めているという証なのだそうだ。でなければ一夜でバラされて跡形もなくなっているだろう…という。

それから不思議なオフィス暮らしが2年続いた。オフィスには世界中のグラフィティーアーティストがたびたび泊まりにやってきた。アフリカから初めて外国へやってきたセネガル人や、理解不能な行動だらけだったチリ人、ものすごくラブリーなメキシコ人カップルと言葉も曖昧なまま心を交わし、貴重な時間を過ごした。「ああ、20区のアパルトマンを出たからこその経験だ。」と。下の階に住む、頭のおかしいインド人が真夜中に襲撃してきたり、選挙の夜にバニョレ中の車が暴徒に燃やされるのを見て、慌ててメンバーに電話したりしたこともあった。その後、今度はオフィスを出て200平米のアトリエに暮らすことになった。そこには、当時家探し中のメンバーの友達が先に住んでいて、こわだりの強い彼とのシェア生活も、なかなか骨の折れる経験だった。そして、だだっぴろいものの、工場跡地みたいな住むには劣悪な環境も難儀だった。(真夜中には枕もとをねずみが走る!笑)

なぜ私がそこまでへんなところ(と言っては申し訳ないが。笑)に住んだのか?ひとつは、アパルトマン代の節約を余儀なくされたこと。当時、ボンズール・ジャポンの仕事はすでに始まっていたけれど、若いフリーペーパーにお金を出すスポンサーはまだまだ少なくて、滞在補助費が出る余裕などなかった。それでも私はこの仕事をライフワークだと思って続けたかったのだ。もうひとつは、おそらく自ら好きこのんで、見た事もない世界に入ろうとする性格ゆえなんでしょうね。笑

それからしばらくして、少しだけど補助費も出るようになり、パリ市内の普通の短期アパルトマンを探せるようになった。とはいえ、こちらも慣れないことゆえ、今のように1ヶ月単位でうまく探すのが難しくて、1ヶ月半で多いときに9回も引っ越しをしたっけな〜。そのとき、メンバーからつけられたあだ名は「引っ越し亀」であった。笑 短期アパルトマンもずいぶん変わった物件にいくつも泊まった。あるところは屋根裏部屋のL字型の部屋で、斜めになった天上に頭をぶつけないようにLの角を曲がるものだから、出る頃には首がおかしくなっていたり。なかなか住めないサン・ルイ島の掘り出し物物件にも泊まった。


エライ前置きが長くなってしまったが、今回はパリ市内のギャラリーに住むことになった。

フランス人の友人が所有している物件で、諸処あって最終的にここに泊めてもらうことになってとてもありがたい。ものすごくありがたいのだけど、決して居住用に作られているわけではないので、住むにはちょっとした努力とコツがいる。ここらへんは、オフィスやらアトリエなど居住空間用でない場所を流れてきた経験がモノを言うので、おおまかには問題ない。けれど、やっぱり場所場所には、その特徴や癖があってそれを把握するにはいくら私とて2、3日はかかるのである。たとえば、写真のシャワールーム。日本のように必ずしもたっぷりお湯がでるとは限らない。しかも、もたもたしていると水になる。シャワールーム自体にはヒーターがないetc. 今回風邪を引いたのは、こうした特徴を把握する前に、シャワーに入っちゃった私の落ち度なんだな。それで、工夫が始まる。ヒーターをまず、シャワールームに突っ込んで部屋を温めておく。タオルもヒーターにかけて温めておく。シャワー前に洗いものは禁物(お湯が減るから。)夜は頭を洗わないで体だけにしておく。などなど。まあ、ごく普通のアパルトマンとて、パリの場合、家の中でアウトドア的なサヴァイヴが多少なりとも必要になるから、きっと今までの「へんなところ居住歴」は役に立つと思う。

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そういえば、元アパルトマンを出た後、しばらくぶりに大家さんと会った際「エミ、なんだかたくましくなってる!」と言われたのを思い出す。私はこう返した。「アパルトマンを出る機会をくれてありがとう。本当にそのお陰で、たくましくなれたの。」










posted by 猫沢エミ at 07:18| パリ ☀| パリ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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