2013年06月08日

「猫と生きる。」より、アルバイト時代について。



マンション1Fの宅配ボックスに海外からの郵便物が届いていると連絡を受けて、荷物を引き取り行った際、眼力のあるとても魅力的な女の子が「こんにちは!」と爽やかな笑顔で郵便ボックスルームに入って行った。大きなリュックを背負ったその子があまりに魅力的だったので、一瞬このマンションの住人の方なのかと思ったが(ここは別段普通のマンションだが景色が良いので、某映画監督さんやクリエイターの方が多く住んでいる。)彼女は、チラシ配りのアルバイターなのだった。私が荷物を取り出す横で、すたんすたん!と見事な手さばきでチラシを投函して行く。そのリズミカルな音を聞いて、彼女が何かを志して日々暮らしているのがわかる。志は、その人から自然と溢れ、にじみ出る。それは仕事も立場も、表層的な肩書きなどをいとも簡単に越えて。私はふと、「猫と生きる。」にも書いた、お弁当屋さんでのアルバイト時代のことを思い出した。


子宮頸がんを煩い、ピキを失ったあの頃。本に書いた通り、我が家の家計は火の車で、負の要因が互いの傷を舐め合ってますます悪化するような閉塞感に取り憑かれていた。歯切れの悪い自分にこれ以上我慢ができなくなり、夏のある日、私は自転車を駆り出して、家の近所をぐるぐるとくまなく走り回った。目的はアルバイト募集の張り紙を出しているお店を見つけることだった。ふと、小さなお弁当屋さんの店先に張られた応募を見て、働く時間帯や時給がぴったりだなとメモをした。即担当者の方に電話を入れて、次の日の朝、履歴書を持って面接に向った。自分が本来している仕事の経歴は伏せた。面倒な事情を説明する必要はなかったし、必要なのはここで働けるだけの生真面目さとか、一般的な常識だと思ったから。ただ「フリーで映画ライターをしていて、時々仕事で海外へ出張することもある。」という多少経歴をはしょった最低限の身の上話を、面接をしてくれたお弁当屋の店長さんにした。私は運良く即採用となり、それから1週間後、仕事が始まった。私以外に日本人の従業員はおらず、片言の日本語を話す中国人の先輩が、食材の在庫管理、米の研ぎ方、親子丼の作り方、レジの管理の仕方などを教えてくれたのだが、本当に片言なので、はじめは何を言っているのかよくわからず、半分は見よう見まねで覚えていった。その「言葉の通じない、居場所のない新地で居場所を作る」行程は、パリに渡ったばかりの頃を彷彿とさせるものがあった。この手の孤独には慣れたもので、ここにいるときの私は、日本語が唯一流暢に話せる従業員で、計算が弱くてレジ集計をしょっちゅう間違えるありきたりな新米アルバイターだった。


中国人の友達が今までいなかったわけではないけれど、ここまで中国的な価値観の仕事場で毎日働くのは初めてで、新しい発見も多かった。雲南省のとても貧しい片田舎から日本に出稼ぎにやってきて1年のTさんは、店の掃除機を見て「エミさん、これなに?」と指差した。聞けば彼女の暮らしていた村には、電気も満足に通っていないのだという。そのやりとり横で聞いていた、日本在住歴10年のKさんは「掃除機も知らないなんて、同朋として恥ずかしい。」と言ったが、私は別段驚きもせず、Tさんに掃除機の使い方を丁寧に教えた。「掃除機、すごいねー。便利ねー。」とTさんは無邪気な笑顔を見せた。彼女はとても可愛らしい顔立ちをしていたが、マナー全般の意識が低く、すぐにつばを吐く、人を叩くなど、日本では当たり前に「無礼」とされることを平気でやってのけるため、ある日キレた。「エミさん、どうして怒ってる?」心配そうに顔を覗き込むTさんに、つばを吐いたり人を叩くのはマナー違反だと伝えると、彼女は「そうかー、つばは吐いたらダメ。叩いちゃダメ…」と下を向いて自分に言い聞かせていた。その姿を見て、ああ、可愛いなと思った。彼女には悪意などかけらもなく、教育がなされていない子供のように純粋だった。そうして、時々彼等と正面切ってぶつかりあいながら、お弁当屋さんの小さな厨房で、ここはここなりの国際交流と信頼関係が少しずつ作られて行ったある日、同じくこのお弁当屋で働いていたTさんの弟が、店長に些細な理由で厨房のレンジ台が並ぶ一角に突き飛ばされた。

店長は50歳すぎの男性で、口数の少ない、精神状態がとても不安定な人だった。彼から聞いた身の上話はこうだった。「離婚したが、子供が2人いる。昔はお花屋さんを任されていた元フローリストでジャズが好きだった。人生は難しく、まとまった収入をこの歳で得るために、むちゃくちゃな労働時間と知りつつもこの仕事に収まった。」唯一の日本人である私を味方と見なしたのか、彼が私に八つ当たりすることはまずなかったが、中国人を差別し、攻撃することで、彼のアイデンティティーはようやく保たれているように見えた。突き飛ばされたTさんの弟は、怪我もなくて安心したが、その日の夕方、仕事から上がった後にバイト長のKさんから聞かされた話は悲痛なものだった。「店長は哀しい人で、悪い人じゃない。私たちもわかってる。でも、今までも暴力をふるわれたり、女の子たちはセクハラにもあってる。私は何度も本部の人に言おうとしたけど、他の子たちが仕事を無くしたら日本に住めなくなる。中国の家族もみんな飢えて死ぬからダメだって。」許せなかった。どうしても許せなくて、まずは店長に直談判した。どうして中国人を責めるのかと。彼は了見の狭い典型的なレイシストで「中国人はこずるい、汚いやつらだ。」と言った。本当にそう思っているわけではないのが、話していてすぐにわかったが、彼がようやくこの辛い現実の中で立っていられるのは、差別によって得たつまらない優越感のお陰なのだと理解してしまえば、彼自身を変えるのは年齢から見ても難しいと判断した。その後も中国人をターゲットにした攻撃は続き、致し方なく本部にこの事実を告発したのだ。このお弁当屋は、小さいながらもチェーン店展開をしていた。もちろん、中国人の同僚たちに逆恨みが及ばないように、告発した事実は伏せてもらって。

その後、店長の解任が決まった。心中複雑な私に反して、店を辞めることが決まった店長はさっぱりと散髪をし、新しいシャツに袖を通し、見た事もない晴れやかな顔をして店に立っていた。相変わらず猟奇殺人の話(彼の一番好きな話題である。笑)や、友達から誘われて行った某カルト指定教団に入るかもしれない…なんて話もしてはいたが、最後に「古くからの友達に、新しい仕事に誘われているんだ。ここを辞めたら忙しくなると思う。」と不器用な笑顔を見せた。彼も辛かったのだ。労働基準法はなきに等しい、組合もよほどの大企業でなければ力を持たない日本の労働監獄社会。先進国などと言うにはあまりに恥ずかしいこの現状の中で、本来繊細な彼の精神は異常と正常の境目を行ったり来たりしていた。

彼は店を去って行った。最後の日、彼を辞めさせた張本人の私は、万感の思いで「お世話になりました。」と頭を下げたが、照れやの店長はこちらを向きもせず「じゃ」と一言残して街の雑踏へと消えていった。その後、新しい店長が2人やってきたが、結局労働条件は改善されることなく、日本の根暗い働く環境問題をますます考えさせられることになる。この話はまた、機会があれば…。


ところで、このお弁当屋さんに毎日弁当を買いにくるお客さんとの間にも小さなドラマはあった。毎日開店と同時に一番安い290円のお弁当を買いにくる初老のサラリーマンがいた。彼はとても親切な方で、時々おせんべいなどを差し入れしてくれたのだが、いったいどんな仕事をしているのかは聞かなかった。ぱりっとしたスーツとコートを着た彼は、一見、いい会社にお勤めの人という雰囲気だったのだ。私がこのお弁当屋を辞める時、一番の上客だった彼には「お世話になりました。今週で辞めるんです。」と伝えた。すると「あなた、何か別に本職をお持ちじゃないかとずっと思ってましたよ。意志のある目をしてらっしゃるから。」そう言ってくださった。それで「いや〜、食えない映画ライターなんですよ。収入が不安定だからバイトを始めたんですが、どうしても自分のやりたい仕事を続けたくて。」と、再び適当にはしょって話をしたところ、「素敵だね。がんばって!あなたならできるよ。」と言ってくれた。

バイトを辞めて、本職に復帰して忙しくしていたある日、近所のお花屋さんの前で「ちょっと、あなた!」と声をかける人がいた。営業用の自転車にまたがって、灰色の作業着を着たその男性を一瞬見たところではすぐには気がつかなかったが、目をこらしてよく見てみると、あの290円のムッシュだった。出勤時にはぱりっとスーツを着て、一流企業にお勤めの部長さんといった風情の彼は、実は小さな零細企業に通う、職工さんだった。なぜ毎日、お昼にお弁当を買わずに朝買いにきて、冷えたごはんをお昼に食べるのか?ずっと疑問だったことが一瞬で理解できた。「あなた、本職で今は順調なの?」そう問いかけるムッシュに「お陰さまでなんとか。先のことはわからないですけど、やれるところまでやってみようと思っています。」そんなやりとりの後、大きな籠のついた営業自転車にまたがって、彼はどこかへ向って行った。290円のムッシュとはそれが最後の逢瀬となった。


「猫と生きる。」で書いたアルバイト時代の話を読んで、その過酷な時期を見守ってくれていた友人が「まさか書くとは思わなかった。」と言ったが、その言葉の中には、一応イメージを大切にする私の仕事での立場を思いやった気持ちが含まれていたと思う。たしかに一方では、パリと東京を行き来するフランス語ができる編集長、だとか、渋谷系あがりのお洒落な(?笑)ミュージシャンという立場も事実ではあるけれど、食えない時代を食える時代へと押し上げるために、この世にある無数の尊い仕事のうちのひとつを選んで、そこへ従事した、というのも純然たる事実で、そこに恥はひとつもない。むしろあの頃、それを自分に課せたことを誇りに感じている。そして、私は本当に多くのことを学ばせてもらったのだ。また食えない時代が来るかもしれないし、充分食えてはいても、いい気になった自分のムダなプライドを捨てるために、アルバイトをするかもしれない。先のことはひとつもわからないが、今はっきりと言えることは、お弁当屋さんで働かせてもらった経験は、何にも代え難い、自分の基盤を作り直すこれ以上は望めないほどの素晴らしい時間だったということだ。




posted by 猫沢エミ at 17:10| パリ | なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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