2014年03月16日

Bathガス爆発


PTINTANIA-プランタニア/Emi NECOZAWA & Sphinx ワンマンライブ 
2014年4月11日(金)@渋谷gee-ge
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今朝はマンションの消防点検中にエラーが生じて、全館のガスが午前中いっぱい止まるという珍事があった。ガスと言えば思い出さないわけにはいかない憂鬱な記憶が多々ある。Mixi日記時代から私のブログをご覧になっている方や、近しい友達には再読感の強い話で恐縮なのだけど、自分の記憶メモとしてもここに記しておきたい。


私が生まれた昭和40年代、我が家にはお風呂がなかった。貧しくて…という経済的な理由からではなく、ただ単に「作り忘れたのだ。」と後に父は語っている。忘れる?風呂を?なぜ?!と思われるかもしれないが、あの家の人ならば風呂を作り忘れるくらい朝飯前だということは、「毛考」をお読み頂ければあっという間にご理解できよう。実家は1階で商売を営んでおり、店鋪併用住宅という店鋪が最優先に作られた実におかしな間取りをしていた。当時、まだうちの田舎では珍しかった鉄筋コンクリート3階建て。3階にはBBQもできそうな広いベランダが作られた。そのベランダの一角に、ある日突然風呂場が出来た。祖父母の寝室の横に設えられた先祖代々の写真がずらりと並ぶ仏間に、トイレと風呂場が無理矢理とってつけたように作られてしまった結果、巨大な仏壇がそびえる仏間が自動的に脱衣室とならざるを得ず、鈴(仏壇にあるちーんという鐘)を巨大にした磬子(けいす)は脱衣籠に成り果てた。マリー・アントワネットはオーストリアからフランスへ腰入りする際、糸一本すらオーストリアのものをまとってはいけないと、国境近くの川縁でパンツまではぎ取られて素っ裸にされた逸話が有名だけれども、「アントワネットもこんな気持ちだったのかも…」と、毎晩仏さまの前で一糸まとわぬ姿になりながら、子供心に一方的な親近感を覚えたのは言うまでもない。

ところで風呂を作り忘れるような家人たちが作る風呂とは一体どんなものだったのか?一瞥すると風呂の入り口は子供の勉強部屋の木製ドアとなんらかわりがない。木目合板のドアを開けるといきなりそこは風呂。しかも正面には巨大な透明ガラスがはめ込まれた窓になっていて、外から丸見え。(補足:風呂場が作られた当時は、まわりに高い建物がなく人が覗き見る心配はなかった。しかし数年後にはどんどんビルが建てられ、特に女性陣はエデンの園にて呪われた蛇が地を這うように入浴することを強いられた)その窓の手前に、当時とはしてはこれまた珍しかった西洋風の底が浅くて長い寝そべり型のバスタブが導入されていた。風呂はどんなにお湯をためても浅く、肩までお湯に浸かるには寝そべった形で定員一名。おかあさんと一緒に入れば2人とも半身浴に甘んじることとなる。まったくくつろげない、まったく温まれない。喜んだのはこのバスタブの導入を決定し、珍妙な風呂場を独断で設計した父だけである。彼は映画『ゴッドファーザー』に心酔し、ドン・コルレオーネを誰よりも崇拝するエアーマフィアだった。「俺は朝日を眺めながらこのN.Y Cityで(実際は福島です)酒の風呂に浅く溺れるのさ…」かくして何もかもがとんちんかんな猫沢家の風呂場は生まれた。しかし本当の悲劇はこれからなのであった。


ある週末の晴れた午後のこと。私は仏間兼脱衣室横の祖父母のベッドに寝転がり、漫画を読んでいた。そこへ、数日前から居候をはじめた叔父のHがいそいそとやってきてこう告げた。「今夜はボクがお風呂を沸かすよ。」叔父は奥さんが出産のために実家へ戻ってしまったため、ご飯に難儀し、しばらく兄の家である我が家に住み暮らすこととなったのだ。彼は市内の公立高校で物理を教える傍ら、民間の物理学者として数々の賞を受賞している一族には大変貴重な数少ない真人間だった。風呂場の手間にある巨大な旧式のガス給湯器前で、なにやら首をかしげる叔父を横目に漫画を読み続ける私。ダイヤルをカチっカチっとひねる音と共に、叔父の「あれー?おかしいな。」という台詞が聞こえた。「これ、壊れて…」という叔父の第二声が終わるか終わるや否や、どっかああああああああん!!……ものすごい爆風が押し寄せ、かろうじてベッドの高い背もたれに守られた私のちいさな身体は無傷で済んだ。あたりには白い煙がもうもうと立ち上り、なにひとつはっきりと形をとらえることができない。その煙の中から、「ごほっ…ごほ…」という弱々しい咳払いと共に、コントでよく見る“化学実験室で大爆発。博士、髪の毛逆立つ。”を体現した叔父がぼろぼろの衣服と共によろけながら現れた。私は彼に向って大丈夫?!…と心の中では叫んでいたのだと思う。しかし口から出た第一声は「叔父さん…似合う!」であった。そう、彼は専門が物理ではあったが化学にも精通していて、白衣とフラスコで実験室にいる姿は馴染みのあるものだったのだ。そこへ人生最大のオチであるリアルガス爆発が舞い降りた。なんておいしいんだろう。全部持っていきやがった叔父さん…はっ ?! そんな場合か。そうこうしているうちに下の階からどやどやと大人が押し掛けてきて、叔父は救急車に乗せられ病院へ搬送されてしまった。ここまで読んだ貴方は、子供らしからぬ私の心持ちを不快に思われるかもしれない。だがしかし、それにはちゃんとした理由がある。叔父の爆発は猫沢家のガス爆発史上たしかに最大級のものではあったが(父自慢の全面ガラス窓も吹き飛び、風呂場および周辺は多大な被害をこうむった)それまでにも数年という短いサイクルで、すでに二度爆発を起こしていたため、ある意味爆発慣れしていただけだった。被害者は母と母に背負われた幼少期の弟。このときも病院送りと相成った。


さすがに叔父の爆発時には、それまで放置していた(するなよ…)爆発原因の究明が行われた。普段、風呂を沸かす係は祖父だったので、祖父の風呂沸かしの方法を詳しく問いただしてみたところ、彼の方法ではガスタンクの中に微量ながらガス漏れが生じて、それがある日溜まりに溜まったところでどっかん行くことが判明した。ちなみに恐ろしいことに、ほぼ365日風呂を沸かしてる祖父は今まで一度もガス爆発に遭ったことがない。彼が爆発原因を毎日作りながら、ある日ふと「私沸かすね♡」と名乗り出た家族の別の者が犠牲者となるのだ。その恐るべき災難回避運の強さ!奇跡的な確立の上に祖父のガス爆発未経験は成り立っていた。

「家の風呂というものは爆発するもの。」という概念が世間では通用しない間違ったものだと判ったのは、上京してこの話を大学の友達へ話したときだったと思う。「(風呂で清潔になるという)リスクなくして快感は得られないのが人生かと思っていたよ。」そう笑顔で話す私を、友達は遠い目をして「...これからはなるべく爆発しない人生を送ろうね。」との優しい言葉をくれた。


今朝方の緊急ガス停止、それにともなうセンサーのアラーム音に動悸が激しくなり、半パジャマのまま1Fの管理室へ駆け下りた私の行動の裏には、こうしたトラウマが少なからずあったのかもしれない。しかし、どんなに気をつけていても人生、爆発するときは爆発する。それはガスに限らず、芸術も寝起きの髪の毛も、才能もしかり。


エクスプロージョン・イン・マイ・ハート。さ、仕事という名の爆発現場に戻ります。







posted by 猫沢エミ at 15:54| パリ | 猫沢家の人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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