2012年10月28日

私が知っている孤独について2、3の事柄 in Paris.


Emi NECOZAWA & Sphinx-Trio @TRAUMARIS・恵比寿(限定50名様)
2012 年12月22日(土)
ご予約・詳細は、こちらをクリック♡


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夕べ0時に、冬時間へと切り替わったパリ。1時間繰り下げられて、これで日本との時差は8時間になった。そもそも飛行機に12時間乗ってパリへ着けば、日本より8時間過去に戻ってしまうタイプスリップ感に加え、夏は1時間繰り上がり、冬は繰り下がるなどしていると、なんだかもうわけがわからなくなってくるわけですが。

昨夜は、冬時間を狙い定めたかのように、がくんと気温が下がった。それでもまだ10月中だから、日が長めだなと思う。ここからどんどん短くなって、最短では6時間くらいしか昼間がない本当の冬がまもなくやってくる。北欧しかり、緯度の高いヨーロッパの人々は、太陽への異様な憧れを持つけれど、その気持ちがわからなくもない。この時期になると、急に元気がなくなるフランス人の友達を見かける。“寒い、暗い、日が短い”のネガティヴ3点セットは、動物的なラテン人の生気を奪う。私はラテン人でもないし、もともと北育ちだから、冬の家籠りの静かな内向感が嫌いではない。けれどやっぱり、夏の興奮にごまかされていた「課題」が、冬になった途端に輪郭を増して現れ、孤独について考えたりし始める。“となりの芝生は青く見える”どころか、時にはゴールドに光輝いて見えるものだが、たぶん、日本から見たパリの世界もそんなふうに見えているんじゃないかと想像する。

フランスでの暮らしは、一言で言えば “自分のことは基本的にすべて自分でなんとかする。そこには感情の処理も含まれる。” である。もちろん日本でもそうだとは思うけれど、日本人のそれはもう少し、自治体やら家族やらその他、人間関係の日々の助け合いによってなんとかなっている感がある。特に、処理しきれない感情を互いが請け負ってあげるところなんかも。かたやフランスの《個人主義》とは、親友だろうが、恋人だろうが、家族だろうが、元はひとりひとり別な生き物の集合体であり、どんなに深く情を交わし合っても、絶対的な存在の孤独とは手を切れないのが大前提だ。(さすが、実存主義を円熟させた国ですな。逆を言えば、こうゆう土壌だから実存主義がムーブメントになったのだろうね。)

フランスで暮らすとは、何よりもまず、感情処理を人にゆだねない、孤独であることが大前提だなと思う。孤独である、ということは友達やら恋人がいないとかそうゆうのとはちょっと違う。もちろん両者いた方が孤独感は薄まるし、いろいろごまかしがきくのだけど、それとは別の、もっと個につきまとう根源的なものだ。

長くパリに暮らす日本人の友達には、この2つを受け入れた姿を見る。加えて、外国人という弱い立場で、言葉を覚え、フランス人の考え方を理解し、働き、稼ぎ、ヴィザを更新している。それをクリアできて、はじめてフランスでの素晴らしい暮らしを享受する。日本に思いを馳せながらも、日本よりもより自分で人生を決めることができるこの地に居場所をこしらえる。何もフランスに来た人すべてがここに合っているわけではないし、一生住まねばならないわけではないから、ほとんどの人が数年で帰国したり別の国へ居を移す。それは、その人の適正と判断で決めるべきことだ。

ちなみに、長くフランスに暮らす友達たちが、みんな強靭な精神の持ち主というわけではない。たしかに、彼らは強い。孤独を美しい踏み台にして、しっかと立っているように見える。でも、もちろん人間だもの普通に寂しくなったり、孤独を感じることもある。寂しくて誰かに電話をかけたり、会いに行く事もあるけれど、だらだらとそこに居座らない覚悟も見てとれるのだ。それを眩しいと私は思う。すがすがしい個の孤独がそこにはある。自分であり続ける事。自分で人生を選択し続ける事。それが公然と許された大人の国では、自由とセットで孤独がついてくる。自分の力以外で守られて、ぬくぬくと幸せを感じながら、けれどこれがなくなってしまったら何も残らない恐怖におびえるよりも、はじめから何も持たずに負の側面を舐めるように見てここで暮らしてきた友達には、野生動物のような力強さを感じる。何を自分の「財産」とするか?Qualité de la vie=人生のクオリティーを推し量るとき、なによりも自分の満足度、選択した自分への支持を掲げるフランスではすくなくとも、お金がすべてではないことは確かだ。


今、私の部屋(ギャラリ−だけどw)には、そんな友達のひとりから預かった猫がいる。部屋はオイルヒーターでとても温かい。夜には、仕事仲間のフランス人宅でミーティングディナーが入っている。そして私は今、晴れ晴れとした冬の孤独に包まれている。






posted by 猫沢エミ at 21:03| パリ | パリ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月13日

パリ、へんなところ居住記。


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いろんな方によく聞かれるのが「猫沢さんはパリにアパートをキープしていらっしゃるんですか?」という質問。私が実際に自分の名義でアパルトマンを持っていたのは、2002年から2006年までの4年間だけである。入居した当初、10年は使ってもらってかまわないと言われていたお気に入りのアパルトマン。しかし大家さんの親戚筋に失業者が出たという内情で、突如私は出て行かねばならなくなった。追い出されたという感情はなかったけれど、当初「ものすごく面倒なことになった。」と思ったのは事実。だって、それまでの私は、パリ居住でもっとも面倒なアパルトマン探しも、偶然の出来事と縁の重なりで苦労なく見つけてしまっていたし、大家さんも隣人のマルタンもおしなべていい人たちだったのだ。ぬくぬくとした巣をいきなり出て行かねばならなくなったひな鳥みたいな気持ちだった。

それがきっかけで、一度日本へ帰って本格的に仕事をしようと思っていた当時だったが、パリが私を離してくれなかった。帰国する3日前に日本の某出版社から電話があり、それまでずっと書き溜めていたヨーロッパの映画に関する本を出しませんか?という話があった。丁度、ポンピドゥーセンターでジャン=リュック・ゴダールの大規模なエクスポジションが開かれてたので、私は担当者さんに「できれば会期中残って、上映フィルムや展覧会をできるだけ見て、本に書きたい。」と言っていた。午後には帰りの便を変更し、友達に電話をかけた。「どうも帰れなくなった。」その一言に、友達が「やっぱりね。そうなると思っていた。」と笑った。しかし、家がない。先のことなど何も考えず、やってきたチャンスに飛び乗って来た人生だが、この時ほど今しか見ていなかった時もないだろうと思う。そのとき、所属していたグラフィティーチームのメンバーから電話があった。諸事情を話すと、滞在が延びたことをとても喜んでくれ、「よかったら、ここのオフィスに住まないか?夜、誰もいないとセキュリティーも心配だし、エミが住むなら僕らも安心だ。」それで、突然家が決まった。

チームの所有する物件は2つあった。オフィスと作画用の200平米のアトリエ。オフィスの方は、半分が事務所として使われ、半分がサロンになっていた。キッチンもシャワーもトイレも一応ある。決して、安全な地区とは言えないバニョレだったが、もうすでに3年入り浸っていたので、近所の若いギャング集団とも顔馴染みになっていたし、その証拠に私のモトベカンを外に泊めておいても、一度もいたずらされたことはなかった。メンバーの話によると、それは地域の悪い子たちが私を認めているという証なのだそうだ。でなければ一夜でバラされて跡形もなくなっているだろう…という。

それから不思議なオフィス暮らしが2年続いた。オフィスには世界中のグラフィティーアーティストがたびたび泊まりにやってきた。アフリカから初めて外国へやってきたセネガル人や、理解不能な行動だらけだったチリ人、ものすごくラブリーなメキシコ人カップルと言葉も曖昧なまま心を交わし、貴重な時間を過ごした。「ああ、20区のアパルトマンを出たからこその経験だ。」と。下の階に住む、頭のおかしいインド人が真夜中に襲撃してきたり、選挙の夜にバニョレ中の車が暴徒に燃やされるのを見て、慌ててメンバーに電話したりしたこともあった。その後、今度はオフィスを出て200平米のアトリエに暮らすことになった。そこには、当時家探し中のメンバーの友達が先に住んでいて、こわだりの強い彼とのシェア生活も、なかなか骨の折れる経験だった。そして、だだっぴろいものの、工場跡地みたいな住むには劣悪な環境も難儀だった。(真夜中には枕もとをねずみが走る!笑)

なぜ私がそこまでへんなところ(と言っては申し訳ないが。笑)に住んだのか?ひとつは、アパルトマン代の節約を余儀なくされたこと。当時、ボンズール・ジャポンの仕事はすでに始まっていたけれど、若いフリーペーパーにお金を出すスポンサーはまだまだ少なくて、滞在補助費が出る余裕などなかった。それでも私はこの仕事をライフワークだと思って続けたかったのだ。もうひとつは、おそらく自ら好きこのんで、見た事もない世界に入ろうとする性格ゆえなんでしょうね。笑

それからしばらくして、少しだけど補助費も出るようになり、パリ市内の普通の短期アパルトマンを探せるようになった。とはいえ、こちらも慣れないことゆえ、今のように1ヶ月単位でうまく探すのが難しくて、1ヶ月半で多いときに9回も引っ越しをしたっけな〜。そのとき、メンバーからつけられたあだ名は「引っ越し亀」であった。笑 短期アパルトマンもずいぶん変わった物件にいくつも泊まった。あるところは屋根裏部屋のL字型の部屋で、斜めになった天上に頭をぶつけないようにLの角を曲がるものだから、出る頃には首がおかしくなっていたり。なかなか住めないサン・ルイ島の掘り出し物物件にも泊まった。


エライ前置きが長くなってしまったが、今回はパリ市内のギャラリーに住むことになった。

フランス人の友人が所有している物件で、諸処あって最終的にここに泊めてもらうことになってとてもありがたい。ものすごくありがたいのだけど、決して居住用に作られているわけではないので、住むにはちょっとした努力とコツがいる。ここらへんは、オフィスやらアトリエなど居住空間用でない場所を流れてきた経験がモノを言うので、おおまかには問題ない。けれど、やっぱり場所場所には、その特徴や癖があってそれを把握するにはいくら私とて2、3日はかかるのである。たとえば、写真のシャワールーム。日本のように必ずしもたっぷりお湯がでるとは限らない。しかも、もたもたしていると水になる。シャワールーム自体にはヒーターがないetc. 今回風邪を引いたのは、こうした特徴を把握する前に、シャワーに入っちゃった私の落ち度なんだな。それで、工夫が始まる。ヒーターをまず、シャワールームに突っ込んで部屋を温めておく。タオルもヒーターにかけて温めておく。シャワー前に洗いものは禁物(お湯が減るから。)夜は頭を洗わないで体だけにしておく。などなど。まあ、ごく普通のアパルトマンとて、パリの場合、家の中でアウトドア的なサヴァイヴが多少なりとも必要になるから、きっと今までの「へんなところ居住歴」は役に立つと思う。

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そういえば、元アパルトマンを出た後、しばらくぶりに大家さんと会った際「エミ、なんだかたくましくなってる!」と言われたのを思い出す。私はこう返した。「アパルトマンを出る機会をくれてありがとう。本当にそのお陰で、たくましくなれたの。」










posted by 猫沢エミ at 07:18| パリ ☀| パリ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月09日

成層圏。

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Quand la femme tient la barre de sa vie N°6 −猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS 恵比寿 2012 年3月2日(金)只今、絶賛ご予約中♡



1月6日。pm 5:00 Paris C.D.G空港に無事、到着。


仕事仲間のブリュノが車で迎えに来てくれて、その足で7区の佳子宅へ。彼女のアパルトマンに、生活に必要な物をいろいろと預かってもらっている。再会を喜びつつ、友達ふたりにアパルトマンへの荷物の運び込みを手伝ってもらい、家主のリナと契約書を交わして鍵を受け取り、パリにこうして通い出す最初期にはすごく大変だったことが、すごくスムーズになったのは、長いパリとの付き合いと、友達達のおかげだ。なんてありがたいんだろう。そして、ここをシェアしている友達と大家さんのリナ、その後やってきたMACのメンバーに、買い物に出なくても明日のお昼までは充分なほどのワインやビスケット、マロングラッセ、お茶etcを頂いた。
 
パリへ入ってからも、息抜く暇のない日々が続いた。次号Bonzour Japonの取材、間髪いれずにレイアウト、原稿起し。次号を書きながら、次々号の取材のフィックス。そこへ、今回は3月に出る新しいアルバムの制作作業が重なった。出国を延ばして、ぎりぎりまでスタジオで作業してパリへ入ったものの、その後のマスタリング、ジャケットの印刷、プロモーション、ツアーの調整などは遠隔での仕事だった。


そもそも、今年は正月早々徹夜っていう、ある意味「毎日が大晦日♡」的な状況で、「ああ、年のはじめから自分の生き様を象徴しているなあ。」なんてぼんやり思ったのだけど、なに?!パリでまで。パリ到着初日に徹夜って、一体なんなんでしょうね、これ…。


そんなわけで、ツイッターはがんばってこまめに上げていたけれども、ブログも予告しながらぜんっぜん書く時間もなくて、気がつけば、もう帰国6日前となってしまった。


ところで、飛行機の走行高度によく使われる“成層圏”。地球と宇宙の間みたいな層なのだけど、ここに飛行機が近づくと、ものすごいスピードで空を飛んでいることを忘れて、雲の一部になったかのような静けさが訪れる。これを、よく私たちの仲間うちでは、仕事になぞらえて言う。たとえば、仕事が詰まってどうしようもなくなる少し手前では、焦ってばかりで事がからまわりしがちなのに、もう限界まで忙しくなると、逆に腹も座って、周りの事柄が止まっているかのように見える。この極限状態を「成層圏」と呼ぶのだ。成層圏を何度か体験した人は、むしろ追いつめられた時に、冷静な判断やいいアイディアが出て来ることも同時に経験していると思う。どう考えても無理なスケジュール。体も心も限界に達したときに訪れる、無風の平原。ここに入ってしまえば、あとはこっちのもの。淡々飄々と仕事をこなしてゆける。

若い頃には、この成層圏にまでなかなか上がれなくて、焦ったりしんどかったりしたのだけど、今は、わりとすんなり入れるようになったかもしれない。とはいえ、成層圏に行く状況っていうのは、できれば未然に防ぎたいところなんですけど。まあ、こうゆう職業を選ぶと、もれなくついてくるバリューセットです。(笑)


そんなわけで、また駆け抜けてしまった日々ですが、いろんなことがありました。先日は、川勝正幸さんが急逝。時間が許す限り、パリのブログ、いくつか書きたいと思います。







posted by 猫沢エミ at 02:32| パリ ☀| パリ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月29日

世界の果てでも漫画描き〜ヤマザキマリさんの話


猫沢エミのフランス映画教室 N°2
−Cours de Cinéma Français de Emi Necozawa−numéro 2@渋谷Liaison 2011 年7月10日(日)
限定30名の生徒さん、急募中♡



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いやー、毎度のことと言っちゃ毎度のことなのだけど、パリに来たら毎日ブログを書いて、写真をアップしてパリの息吹をみんなにお届けしよう…と真摯に思うのである。滞在の始め頃は。しかし、これがなかなかむつかしいんである。大抵前もって組んだ仕事以外に、自分がパリに実際に来てみて初めて生じる展開が加わって大忙しとなる。それが年々加速しているなと感じる。加速するのは、おそらくだんだん自分がパリの深いところへリンクしているから自然なことかもしれないが、それとは別に、もともと持っている`自分がそこに身を投じると起きてくる、さざ波のような影響´があるのじゃないかと踏んでいる。

そんなことを常々考えていたら、やっぱり…と思うような漫画を偶然、行きの飛行機に乗る前に見つけ、パリに持ってきた。ローマ時代の浴場設計技師が、現代の日本へタイムトリップする大人気漫画『テルマエロマエ』の作者、ヤマザキマリさんの自叙伝的漫画『世界の果てでも漫画描き』だ。世界中を点々と住み暮らすマリさんは、子供時代に`兼高かおる、世界の旅´に憧れ、気がつけばイタリアへ留学し、そこからキューバへボランティア活動のために渡る。ちなみに`兼高かおる、世界の旅´とは、私が小学生にあがるかあがらないかくらいの70年代に大ヒットした人気TV番組で、当時はまだまだ一部の人のものだった海外旅行を、ナヴィゲーターの兼高かおるが視聴者にかわって旅してゆくというもの。むろん、福島の片田舎に暮らしていた私も思い切り憧れた。ただ、マリさんと違ったのは「あー…飛行機に乗って外国へ行ってみたいけれど、そんなのきっと無理だよな。」と思ったこと。マリさんは、そのとき「いつか自分は兼高かおるになってやる!」と決意し、気がつけば、本当にそうゆう人生へと進んでいた。元来とても出不精で、ひとところが気に入るといつまでも住んでいたいと思う反面、なぜか長く定住する事のない私に比べ、マリさんの放浪癖は、はっきりと意思のある、資質がもたらすものだ。そうゆう人が、ある場所へ暮らしはじめると、おのずと面白おかしい展開になるのは、好奇心旺盛な資質が招く幸運な災難と言えるのかもしれない。

ところで、海外旅行とか、海外留学と聞けば、夢溢れる快適な別世界を想像してしまいがちだが、彼女の旅路は、前人未到のジャングルを突き進むようなアドベンチャーの連続だ。留学先のイタリアで家賃が払えず野宿をしたり、ボランティアで訪れたキューバでホストファミリーと共に極度の空腹に見舞われたり、果ては、キューバ滞在中に当時付き合っていたボーイフレンドの子供を身ごもって、電気もガスも止められた借金だらけのイタリアに戻って、乳飲み子を抱えたまま、必死で漫画を描きはじめる。(そのボーイフレンドとは別れ、後に現在のだんなさまであるイタリア人と結婚する。)ほー。奇想天外な人様の人生は、なぜこんなにも面白いのか?と思う反面、面白く見える人生は、実際やってみるととんでもなく大変だ、というのは、他でもない自分が一番よく知っている。そして、これが観光旅行を超えた、人生の旅なのだということも。

先にご紹介した『テルマエロマエ』をものすごく愛読している私だが、随所に溢れるギャグセンスと、歴史をふまえたインテリジェンスなテーマとのギャップがたまらない。主人公のルシウスが毎度見舞われる数々の面白おかしい苦難と、それを大真面目な顔で切り開いて行くパワーは、上質の笑いで満ちている。その笑いの落としどころが、ものすごく私の感覚に近いなと感じていた。やってきた苦難に対して身構えるいとまもなく、乗り越えざるをえない状況に突入し、悪戦苦闘して、気がつけば一段高いところにいる。その一連の様子は、本人にとっては「ちょっとあんた、笑ってんじゃないわよ。」と言いたくなる余裕のなさなのだけど、傍から見れば、たまらなく面白おかしいことになってしまうのは、おそらく私の著書`Week-end à Paris´を読んだ方なら、なおいっそうおわかりかと思う。真面目で真摯であるということは、同時にとてもラブリーでおかしいものなのだ。その、極限まで`自分の状況を客観視して突き放す´余裕のなさがあって、人は初めて成長する。ヤマザキマリさんの漫画が面白い所以は、そこにある。目の前の苦難を自分の感情から切り離して、すぐさま過去の笑い話に変えてしまう。そのスピードが速ければ速いほど、人生は面白く豊かになる。だって、うじうじしてる時間が自然と短くなるからね。だから、必死な自分を、余裕のない自分を全面的に肯定し、愛おしいと感じる。そこには「パリでぇー編集長やっててぇー、ラデュレでプチデージュしてぇ、午後はアヴェニュ・モンテーニュでブランド服をお買い物♡」なんつう夢の世界はひとつも出てこない。帰国後、毎度大量に送られてくる滞在費の請求書に脂汗を流す展開におびえつつ、「てえい!少し未来の自分がなんとかするだろ。」と、実際毎度大変な思いをしながら最終的にはなんとかする。明日をも知れないこの生き方は、まさに旅人と言えるのかもしれない。

安定した生活も、人生設計も心底羨ましいときがあるけれど、私の中に流れる「見たことのない世界を見てみたい。それによって自分がどこまで行けるのか見てみたい。」という欲望には打ち勝てない。そこには、貧乏と苦難と出会いと別れがいつもつきまとう。自由であるということは、責任をもって自分の孤独と手を繋ぐことでもある。でも、たった一度の人生なんだもん。怖いからやめとこうなんて発想、私には時間の無駄すぎて出来ないんである。だから、旅を続ける。自分の中にどんな世界が広がっているのかを知るために、私は飛行機に乗る。もしかしたら落ちるかもしれない、乱気流があるかもしれない飛行機に乗り込むんである。がたがたのスーツケースひとつで。躊躇するいとまもなく。


Photo: ヤマザキマリさんの義援金グッツ`テルマエロマエ´ヒノキ桶セット!は、
    もうずいぶん前に購入しております♡











posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ | パリ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月10日

5月末あたりからのパリ


Quand la femme tient la barre de sa vie N°5 −猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS 2011 年7月2日(土)限定50名様にてご予約中♡


急告♡ HOPE AND LOVE FOR JAPAN 12Juin 19h à La Fléche d’or
2011 年6月12日(日)
TAHITI80,Camille他出演!



もー、すみませんねー。ブログ、とても書きたかったのだけど、ほんっとうに怒濤の日々で。は?猫沢さん、いつものことでしょう?と言われてしまいそうだけど、いやー痺れました。それでもね、なんだか今回は不思議と心には余裕がある。以前ならば、もっとてんぱってあたふたしているような局面で、「なんとかなるかな。」という気持ち。そして実際なっている。おそらく、ここから先もなるような気がしている。ただ、なるなる思っているのじゃなくて、なるように今まで出来る限りのことしてきた、という自負が少なからずあるからかもしれない。結局、なるのかならないのかは、誰かがどうにかしてくれるんじゃなくて、未来の自分がなるように、今の自分がならせるってことなんだろうね。というわけで、5月末あたりからのかいつまんだパリの日々を…。


5月中旬某日。次号ボンズールの取材のため、ディジョンへ。私は取材の時、EASTPAKのでっかいリュックで行くのだけど、小さな体でこれをしょってるとなんだかかわいそうに見えるらしく「大丈夫?」なんてよく聞かれる。実際は、10kg以上あるコンガを背負ってアパルトマンの階段を平気で上り下りするくらいだから、背負ってることも忘れてしまい「は?なにが?」と答えてしまうのだけど。今回の旅のパートナーは、フォトグラファーのミカちゃん。彼女も細身なのに、ものすごく重いカメラを1日中首から2つも下げて、機材リュックを背負ってたくましい。ディジョンの様子は、ぜひ6月10日配布のBonzour Japon N°27をご覧頂くとして、私がこの旅で感じたことは、田舎にゆくと視野の狭い人が多いものだなあということ。田舎といえども海沿いの街はなにかしら文化や流通の出入りがあるから、人は全体的にアクティブで好奇心も強い。これは、アルルに行ったときにも思ったことなのだけど、内陸の田舎の人々は、やっぱり視野も狭くてそういった側面からなのか、保守的な差別主義者もいる。取材中、久しぶりにあからさまな差別態度を取られ、逆におかしくて笑っちゃった。だって、時代錯誤もはなはだしいじゃない?こんなにインターネットも発達して、国境が意味をなさなくなっているというのに。ネットがどんなに発達していても、人の心に築かれたベルリンの壁は壊せないのかもしれない、そんなことを思った。

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5月22日の週。ディジョンから戻って即、写真を選び、サーバーに上げ、レイアウトの下準備をがががとやって、その後、怒濤の原稿書きに入る。その間、震災後、大規模な日本復興支援イヴェントを展開しているHOPE AND LOVE FOR JAPANのアソシエーションから、6月12日、ガンベッタのラ・フレッシュ・ドールで行われるチャリティーライブに出てみないかとの誘いを受ける。タイバンはTAHITI80,CAMILLEだという。あらー、豪華。さっそくフランス人の友達にそのことを話すと「は?タイチ(仏語でタヒチは、タイチ)って誰?カミーユ?知らない。」と言われ軽い衝撃。たまたまそいつが知らないだけかと思って他の仏友達にも聞いてみると、よほどのお洒落方面音楽好きか、ミュージシャン友達以外は知らないと言われた。そうか…日本や海外で評価が高いミュージシャンは、国内ではあまり知られていないのだな。その落差が、日本よりも大きいなと思う。ライブのことをじっくり考えたいのだが、今はパジャマズボンのまま風呂にも入らず、なんとかこの前代未聞の短期決戦を越えねばならぬと、ひたすらこもって原稿を書く。3日で1度、数時間だけ寝て入稿。ああ、玄界灘を制覇。

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5月29日の週頭。月、火とこちらも怒濤の校正を重ね、無事校了。あー…毎度のことながら、力いっぱいやらせてもらいました。ボンズールを読んですぐにフランスへ行ける人は限られているかもしれない。それでも、夢を見続けて欲しいのだ。Les choses ne bougent que si l’on rêve−夢みることでしか、物事は動かない−アンドレ・プットマンの言葉。


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6月1日。出発の1時間前まで校正を重ねた原稿が無事に印刷所へ送られたことを確認してから、ふたたびEASTPAKのでっかいリュックにてリヨンへ出発。今回は、初のプレスツアー参加にて、海外の様々なジャーナリストと行動を共にすることに。プレスツアーとは、各観光局などが媒体向けに組む、取材旅行のこと。私は英語がわかるものの、ぜんぜんうまく話せないし、仏語だって完璧じゃない。どんな敏腕ジャーナリストが切れた質問をして現場を仕切るのか?と緊張の面持ちで出かけたものの、正直ちょっと拍子抜けした。リヨン観光局が組んだ素晴らしい取材プログラム。それなのに、メモのひとつも取らず、原稿はおそらくもらった資料だけで書き、写真はプレス用の借り物ですまそうとする媒体がほとんど。あげくの果てにはミカちゃんに向って「写真くれない?」と頼む始末。あほか。お陰さまで、ボンズールと日本のジャーナリストチームの働きっぷりが必要以上に高く評価されましたが。笑 今回リヨン取材の要だった、ニュイ・ソノールというエレクトロミュージックの祭典で、日本のバンドOOIOOや東京パノラマ・マンボ・ボーイズがライブをしたのだけど、OOIOOのヨシミちゃんや東パノの八重樫さんを始めとする面々と会えたのがとても嬉しかった。そのライブを、日本の音楽なんて聞いたことのないフランス人が大喝采で聞いているのを見るのも。東パノのライブのとき、ちっちゃなフランス人マドモワゼル姉妹に出会い、一緒に踊った。そのとき「これあげる。」と、暗闇で光るブレスレットを2つくれたのが、それが今回の旅の唯一のお土産となる。(自由時間もすべて取材や仕事に当てたため、チョコレート1枚すら買う時間なし)マドモワゼルたちのママンが「それ、日本製のなんだけどよかったらもらってあげて。」と笑っていた。

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6月5日。リヨン取材は、毎日夜の1時、2時戻りでそりゃあ体力的にはしんどかったが、PCを持って行って、12日のHOPE AND LOVE FOR JAPANライブのブッキングを同時に進めていた。夕方、パリに戻り、疲れすぎた体に引きずられて焦燥感で心が満ちる。そりゃそうか。パリに来た、とは言えないほど、前半は旅が多かったし休んでないもの。しかし、凹んでる暇はなかった。友達づてで探したライブのバッキングをしてくれそうなミュージシャンにコンタクトを取り、明後日には1回目のリハという強行スケジュール。なんせ、1週間後にはライブしなくちゃならないのだから。これまでにもパリでは、他の人がオーガナイズしたライブにはたびたび参加しているものの、一からメンバーを探して自分の曲だけをやるのは初めて。初めてなのに1週間しかない。と、前ならもっと焦っていたかもしれないが、なぜか「なんとかなる気がしてならない。」と感じていた。1週間しかないのではなく、1週間もある。本番の1分前までにいいものができれば、ちゃんと本番はいい音楽ができるのだもの。しかし、ここは日本ではないし、ライブの進行もフランス人ミュージシャンと密に組んだときの間合いもわからない。わからないけど、なんだって最初はわかんなくて、やりながら「こうなってるのか。」とわかってゆくのだから、やってみるしかないのである。何事にもかならず初回、がある。その初回を身構えたり怖がっても仕方がない。もやもや考えている時間があったら、実行するに限る。失敗など恐れない。だって、失敗にはかならず`経験´という、貴重なおまけがついてくるんだもの。それは、ボンマルシェにもコレットにも売ってない、限定数1のみの、人生のコレクションアイテムなのだ。


Photo1. ディジョンの街角にて。ミカちゃん撮影中。地方取材でもパリに普通にいるときも
    もっと思い出になるような写真撮らないと…と思うのだけど、気がつけば資料
    写真ばかり撮っている自分が。笑

   2.はーい、こんな感じで3日間踏ん張りました!ぜひBonzour Japon N°27を読んでね。
     フランス生活探偵団では、原発にからんだ仏アルバ社について詳しくリポートして
     います。

   3.締め切り期間中、私の心を慰めた猫のけいちゃん。友達の出張でしばし
     預かりました。猫はいいよ、猫は。

   4.OOIOOのライブ。プリミティヴで自由。とてもいいライブ!とてもいい楽曲!






   

   
posted by 猫沢エミ at 10:04| パリ | パリ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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