2014年03月22日

ピキへ。ママから4回目の手紙。


PTINTANIA-プランタニア/Emi NECOZAWA & Sphinx ワンマンライブ 
2014年4月11日(金)@渋谷gee-ge
只今絶賛ご予約受付中!どうぞお早めに♡



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ピキ、久しぶり。元気にしていますか?とはいえ、ピキはいつもママのお部屋の祭壇にちょこんと座っているので、姿は見えなくても一緒に暮らしているのと同じなんだけど。天国なんてあるのかどうかわからないし、行ってみたら意外と風呂なし4畳半の狭いお部屋かもしれないから、無理に行くことないよ。ママが死ぬとき一緒に行けばいい。


ところで、このお手紙を書くときは、Vashti Bunyanを聴いています。このアルバムはピキのお葬式でかけたCDなんだけど、普段は聴けないんだよね。涙が出てきちゃうからさ。でも、毎年の命日は泣いてもいいって思ってるからかけるの。たくさん思い出してたくさん泣くと、その後は幸せだけが残ります。ピキが13年と11ヶ月生きてママにくれた数えきれない幸せが、目の前でぴょこぴょこ踊るんだよ。ありがとうね。

弟たちも元気に大きくなってるよ。男の子ってシンプルで可愛いね。だけど、男の子のママになってわかったことは、あなたはやっぱり女の子だったなということ。神経質で気難しいところもあったけど、細やかな愛情表現は女の子ならではだったと思います。ピキ、あなたは本当に可愛かった。


最近のママといえば、あいかわらず自分のことはまだまだダメだなあと思うことが多いけど、がんばっています。ムダに焦って動きが雑になるのは前からだったけど、そうゆういらいらした動きにはいらいらした空気がつきまとってて、周りの人にも伝わっちゃうから、ひとつひとつの所作を丁寧におっとりするように心がけているんだよ。お皿を重ねるとき、ドアを閉めるとき、ほんの少し優しい気持ちになって丁寧にするんだ。そうすると、気持ちが落ち着く。気持ちががちゃがちゃしていないと、すっと集中できてお仕事も不思議とはかどるよね。がちゃがちゃするのは、時間がない!っていう心配からきているのだと思うけど、そんなところで1秒稼いだって意味ないものね。時間は伸び縮みするものなんだなって、ほんと思います。

あとは、何かに没頭するとママはまわりが見えなくなっちゃうじゃない?だけど、それじゃいけないなと思って集中と気遣いの切り替えスイッチのすべりをよくするように、ちょこちょこ油をさしてメンテナンスすることにしました。それは、やっぱりちゃんと寝るだとか運動するだとか、息抜きを上手にしてもっと人生そのものを楽しめるように心に余裕を作ることなんだと思った。ほら、ずっとそうゆう気持ちになれないくらい大変な時期があったじゃない?生きてるとほんと、いろんな時期があるからさ、それは仕方がないと思う。でも、そうゆう時期を抜けたらさ、せっかく大変な時期をくぐり抜けてきたんだから、その経験を身体に落とし込んで、もっと楽しんでいいんだと最近やっと思えるようになってきました。


ピキ。今も会いたいし、あなたと同じくらいの歳でまだ元気に生きている猫を見ると、どうしてもっと長生きさせてやれなかったのかと涙が出ます。だけど、ゴミ箱からあなたを救い出して一緒に生きた年月を思うと、そのヴァリエーションの豊かさにママはくらっとします。最後にはEUのパスポートを取って、あなたはフランス猫のパリニャンヌとして天国へ行っちゃったわけだし。

ピキ
ピキ


愛してるよ。



●ピキとの日々を綴った『猫と生きる。』(辰巳出版)
 ぜひ読んでみてください。







posted by 猫沢エミ at 13:27| パリ | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月17日

喪の仕事


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先日めでたく私の4冊目となるエッセイ『猫と生きる。』が発売となりました。この場をお借りして、関わったすべての方に感謝申し上げます。ありがとうございます。そして、早くも読んでくださった方々の、ありがたいレヴューが連日届く嬉しい昨今、私はパリにいます。いつものように編集長を務めているボンズール・ジャポンのフランス取材と、他もろもろのパリでの仕事をしに。5月7日にパリ入りしたものの、13日の発売日に日本へ居れないのは、なんだか出産に立ち会えない父親のような残念で寂しい気持ちもあったけれど、仕事はせねばなりませぬ。こうしている時にも、未来へ移行しているわけだし。


今回書いた『猫と生きる。』は、《猫の本》と考えて読んでくださる方もいれば、もっと広い意味での、ある人の生き方の話かもしれない。ただ、その裏側には著者の私だけの気持ちも隠されているだろうなと、本の見本が出来上がって亡ピキの猫仏壇の前に供えたとき、ふと思った。

人は大切な誰かを亡くしたとき、死について深く考え、残された自分がどうすれば本当の意味での弔いとなるのか?を考える。私もピキ逝去時に散々考えながら、波のように押し寄せる苦しさとどう折り合いをつければよいか、初めはひとつもわからなかった。弱ってみじみじと泣いてばかりいたのにそろそろ飽きて来たある日、自分のことを心底「かっこわるい。」と思ったのだ。こんなかっこわるい母では、天国のピキもさぞかし自慢にも困るだろうと。それに、かっこわるい自分でいるのが何より嫌だった。こんな人と人生を歩いたピキの猫生にも泥がつく。それで、すっと立ち上がった。ただ、その頃は、まだ自分がその後何をすべきなのか?がはっきりせず、がむしゃらに自分の中にあるエンジンを回すような精神状態になることだけを考えて、日々の糧を稼いでいたように思う。だから、今回の出版をピキへの“喪の仕事”だったのだとようやく気づいたのは、猫仏壇に出来上がった本を供えた瞬間となってしまった。

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何かひとつのことを成し遂げようと思うとき、それが1枚の絵を描くのでも、目標を作ってクリアするのでも、結果後の姿想像ありきだと、大抵うまくゆかない。例えば歌手になりたい女の子が、すでに歌手になっている人に「どうすれば歌手になれますか?」と聞いたとする。多分、もう歌手の人はこう答える。「それを考える前に、歌を歌いなさい。」と。人生はすべてこんな風に出来ていて、何かを本当にやりたかったら、人に尋ねる前にもうやり始めているものではないだろうか。それがどこへ辿り着くのか?は誰にもわからない。ただ、その過程自体が人生そのものだし、結果は様々な要素が重なり合って現れるひとつの現象でしかないと私は思う。

『猫と生きる。』は、ピキがストーリーテラーとなって、私の1/4生を振り返る物語だが、書いている最中、忘れていた感情が押し寄せて何度も泣いた。ちょうど彼女の死の場面では、何年も封印していた数日間の記憶が痛かった。苦しくて書けなくなると、彼女の遺骨壺を抱えて気のすむまで泣いた。泣き終わったら、やはりすっと立ち上がって何時間も机に向う。この行為は、ピキを亡くして、すっと立ち上がるまでのあの期間とよく似ているな。そんなことを思った。執筆期間2ヶ月。その間、昼とも夜とも知れぬ時間の中で、過去へとさかのぼる私の旅は続いた。その時々の感情や行動、思考を確認し、分析して噛み締めた反省の日々でもあったな。それが結果、私ができるピキへの最高の弔いとなった。彼女と暮らし、自分を鍛えた日々をこうして今、客観的に語ることで、ちっぽけなひとつの人生が誰かの大切な人生を照らす光になるかもしれない。


ところで私はピキが亡くなった後、一度たりとて手を合わせたことがない。そうしてしまうと、ピキは仏様になっちゃって、うんと遠いところで光っているわけのわからない存在に感じてしまうから。弔いの方法は人それぞれで、お花やお線香をあげるなどの日々の行為から心の中で想う気持ちの部分まで含め、できれば“残された人の気が済めばいいのではなくて、逝った相手が今の私に望むこと”をしたい。たぶん、それが私の喪の仕事なんじゃないかと思うのだ。


ピキ、どうかね?ママはがんばってますかね?





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「猫と生きる。」
著者/猫沢エミ 辰巳出版 2013年5月13日発売
ISBN978-4-7778-1162-5 C0095
* 書店、Amazonでご予約受付中。 ¥1,680(税込)

猫沢エミ・FB公式ページ“Où est mon chat ?”の《懸賞》ページにて
       発売記念キャンペーン受付中!

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本の発売を記念して、応募して頂いた方の中から5名様に、「猫と生きる。」
落款入りサイン本+猫沢エミ・セレクショングッツをプレゼント。応募期間は
2013年5月31日 18 :00まで。たくさんのご応募、お待ちしています!
 http://www.facebook.com/necozawaemi
posted by 猫沢エミ at 22:43| パリ ☁| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月30日

ずっと書きたかった「猫と生きる。」


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Photo:Rika Wada-mobiile,inc.


振り返ると、私がWebで日記を書き始めたのはちょうど2000年だった。当時、Webの知識がない一般の人が自在に操れるブログシートはまだなく、Webデザイナーの友人に文字通り原稿をたびたび「入稿」して上げてもらっていたから、今思えばとても贅沢なことをしていたなとなつかしい。それから10年の間、ほぼ毎日休まず日記を書き続けた。その頃の稚拙な文章を見ると本当に恥ずかしくなるのだが、100本ノックのように文章を書き続けた時間は、文章力と頭の中にあるヴィジョンを言葉に変換するスピードを鍛えるのに、これ以上ない、貴重な経験となった。それが、突然途絶えてしまった。2010年の2月の終わりに。

原因は、前愛猫のピキが病気になり、その後まもなく死んでしまったことだった。日記と共に写真も毎日撮ってUPしていたが、まずピキの写真が撮れなくなった。具合の悪そうな愛猫に向ってレンズを向けることは、私にはどうしてもできなかった。そして、病のことをしばらく綴ってはいたものの、本当に末期の頃にはそんなものをUPする気力はどこにも残っていなかった。


当時、日記のファンでいてくださった方々には、病気の最中に記事が途切れ、その死の真相にも触れぬまま、心配をさせてしまったことをずっと申し訳ないと思っていた。それで、せめて最後はどんなふうに召されたのかだけでも書こうした。何度も、何度も。でも、どうしても書けなかった。あの日に降りてゆくことができない。心が硬直して言葉が出てこなくなってしまう。そうして3年が過ぎ、新しい猫たちを迎えることができた今、ようやくこの本を書くに至った。

「猫と生きる。」という潔いタイトル通り、この本は、私の手を引いて人生のある時期を歩いてくれた猫の話を柱にしたエッセイだが、それと同時に、ピキの生きた時間と同時進行していた、失敗ばかりを繰り返す飼い主である私の1/4生記でもある。猫に興味がない方にもぜひ読んで頂きたい。なぜなら「猫と生きる。」の「猫」は「○と生きる。」という風に、様々な置き換えができるから。それは読む人が、一番大切にしている誰かやものかもしれないし、今、頭を悩ませている問題かもしれない。選ぶに選べない状況や、仕事のことや、孤独や切なる想いや、社会的には良しとされなくとも、自分にはどうしても必要なもののことかもしれない。人は誰しもだた「生きる。」ことはできない。かならず大切なものや問題と手を繋いで生きている。その、自分以外のどうにも切り離せない、温かくもやっかいな外的要素こそ、普段は、さも一人で生きているように思ってしまいがちな自分の輪郭を形作ってくれるものなのだ。


どうぞ、この本をひとりでも多くの方が手に取ってくださいますように。そして、人生を選びとってゆくことに不安を覚えていた人が、ひとつでも多くの希望を数えられるようになったら、著者としてこんなに嬉しいことはない。もちろん猫の本でもあるので、通常、旅行レベルでは見ることのできない、フランスの猫事情と、それに呼応した日本の猫事情についても丁寧な取材して、リポートページを設けた。私が取り上げたのはたまたま「猫」だったが、この地球に我が者顔で生きている人間以外の、大切な動物というパートナーについても、みなさんがグローバルでフラットな意見を持つきっかけになったら幸せです。


幸せはいつも自分の足下で、猫のようにうずくまっている。それを知ることで貴方の世界は、きっと無限に広がってゆく。


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「猫と生きる。」
著者/猫沢エミ 辰巳出版 2013年5月13日発売
ISBN978-4-7778-1162-5 C0095
* 書店、Amazonでご予約受付中。 ¥1,680(税込)

猫沢エミ・FB公式ページ“Où est mon chat ?”の《懸賞》ページにて
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本の発売を記念して、応募して頂いた方の中から5名様に、「猫と生きる。」
落款入りサイン本+猫沢エミ・セレクショングッツをプレゼント。応募期間は
2013年5月31日 18 :00まで。たくさんのご応募、お待ちしています!
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posted by 猫沢エミ at 10:26| パリ | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月07日

たかこさんと猫のアナイス(古株)タマ(新参者)

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日記がランダムになってしまい、申し訳ない!2001年より書き始めたウェブサイトでの日記。日記=ブログという名前が定着する以前のスタイルから、ようやく最近、自分ですいすいとUPできるブログシートへのお引越しを実現したのはよいけれど、肝心の日記を書く時間がなかなか取れなくてヤキモキする。

さて本日、よく晴れた月曜日の昼下がり。バスチーユにほど近い、長谷川たかこさんのお宅へ久しぶりにお邪魔する。たかこさんは、国民的漫画‘サザエさん’の著者・長谷川町子さんの姪っ子さんで、私が映画の連載しているフレンチコードの主催者であり、パリ生活の大先輩。先輩とはいえども、何かと感性に通じるところがあり、大切なお友達のひとりとして良いお付き合いが続いている。そのたかこさんが、今年冬場のヴァカンスでスキー中、脚を骨折した。その様子は、フレンチコードの‘長谷川たかこのパリのふつうの生活’に詳しく載っていて、想像以上の大事故だったことを知った。

http://frenchcodeblog01.blog107.fc2.com/ (ちょうど今時分、ワールドカップのフランスチームの実態について詳しくリポートされていて、非常に面白いです!)
 
その後、たかこさんは無事に手術を終えたものの、まだ松葉杖が必要で遠出ができないものだから、家の近所でお昼ごはんを食べようということになった。ちょうど、お宅の玄関前あたりにさしかかったとき、見たことのない日本風の猫がひらりと窓から飛び出していった。もしやあれがうわさのタマ…。ロワイエ家(たかこさんのご家族)では、先にアナイスという毛あしの長い優雅な黒猫を飼っているが、そこへ新参者としてタマが加えられたものの、アナイスはタマをまるで受け入れず、ストレスによる脱毛で見事な体毛はところどころ抜け落ちてしまった。そんなことはまるでおかまいなしの、タマ。彼は、オープンなキャラクターで神経も図太いようだ。

「エミさん、二匹が共に暮らしてもうずいぶん経つんですけど、相変わらずこんな調子なの。もう和解できないんじゃないかと思って。」
と、たかこさん。

うーん…。確かにピキも生前、他の猫をまったく受け入れない子だった。人間と同様、猫によって受け入れのキャパシティーも性格もまったく異なる。ただ、他の猫を受け入れるかどうかは、一緒に暮らさせてみないとわからないから、よけいややこしい。新しい猫がやってきて、半年もボイコットやらストライキをした古参の猫が、ある日突然新参者を受け入れたという話もある。

 しかし、最初に家族となったアナイスが浮かぬ顔をしているのを見ては、たかこさんもさぞかし辛いことだろう。その脇で、もともとこの家は自分ちだったんにゃ!と言わんばかりのタマが悠々とごろ寝している。‘鈍感力’が、少し前の日本でも話題になっていたけれど、見通しの悪いこの時代、図太い神経は人間だけでなく猫にも必要と言うことなのか?アナイス、どうかタマに慣れて元の美しい姿を見せておくれよ。

★Photo1.古参の猫、アナイス。
 Photo2.新参者、タマ。
 Photo3.たかこさん。早く松葉杖がとれますように!

posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする