2013年05月18日

ミヒャエル・ハネケの『愛』。


『猫と生きる。』猫沢エミ・著 2012 年5月13日に発売となりました。この本を書いた想いについてはこちらをクリック♡


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この日私は、パリへ向う飛行機の中にいた。スーツケースに荷物を詰めるたびに「パリへは何回目になるのだろう?数えておけばよかった。」と思う。けれど、CDGのパスポートコントロールの係官は日本人のパスポートにスタンプを押さないことも多いし、過去のチケットは捨ててしまったものもある。過去を丁寧にコレクションする性格ではないから、結果何回渡航しているのだか、はっきりはわからなくなってしまった。“わからなくなった”ことにがっかりはしていない。猫や恋人や子供達に、生まれてから何回キスをしたのか数えていられないようなものだと思っている。それは数えてなくていい幸せだ。


数えなくていい幸せのために、あまり得意とはいえない飛行機に乗り込む。機内での楽しみは、アペリティフのシャンパンと食事と映画につきる。12時間のフライトをほぼカヴァーできてしまう本数を毎回みるのだけど、2012年のカンヌ映画祭でパルム・ドールをとったオーストリアの巨匠ミヒャエル・ハネケの『AMOUR-愛』にショックを受けて言葉を失った。長く連れ添った老齢の音楽教師カップル、アンとジョルジュはパリ市内の瀟洒なアパルトマンに仲良く暮らしている。ある日、妻のアンが脳溢血を起こし右半身不随になってしまったことから、ジョルジュの在宅による心づくしの介護が始まる。右半身が動かなくなったとはいえ、元ピアニストで知的なアンは凛とした態度を変えることなく、ジョルジュの不安な気持ちを払拭する。しかし、病状が進むにつれ、言葉がでなくなり、粗相をし、介護士に小さな子供のように扱われ、アンの自尊心は人格と共に徐々に崩壊して行くのだった。病院に入れろという周囲の声をはねのけ、アン個人の尊厳を守り続けようと必死に介護するジョルジュだったが、彼もまた知らないうちに死の淵に立ち、アンとふたり、手をつないで暗闇の中を眺めてしまうのだった。


どこの国でも大きな問題になっている高齢化社会に伴う介護について。しかし、ハネケが描きたかったのは問題定義としての介護ではなく、ただ純粋に「愛を持ってして長く連れ添った恋人たちが老い、互いを見送ることの痛みに満ちた哀しさと美しさ。」だったのではないか?と思う。この映画はとても美しい。生々しい問題を正面から取り上げているにも関わらず、おだやかで一定の速度に保たれた時間が流れている。映画のほとんどのシーンが、アンとジョルジュのアパルトマンの室内だけなのに、物語の展開に飽きるどころか、観る人はこの部屋に自らの心を住まわせてしまう。キッチンの片隅にも、サロンの壁にも、至る所にアンとジョルジュ、ふたりが作り上げて来た歴史がインテリアの一部として飾られ、その手触り、匂いに懐かしさすら覚える。そして、映画史に残るであろう驚愕の結末。この驚愕はアクションの大きさを表すものではない。ただひたすらに静かで、深く、暗く、哀しい。


何が映画で何が映画でないのか?という命題は、いつでも論じられるところだろうけど、私が思う「映画」とは、このハネケの「愛」や、タル・ベーラの「倫敦から来た男」を指す。人間とその心を映し出す。見えないものを見える形にするのがシネアストの仕事。そうゆう意味で、ハネケは言わずもがな巨匠と呼ぶにふさわしい正真正銘の映画監督だと思う。






posted by 猫沢エミ at 23:14| パリ ☀| ヨーロッパ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月29日

原風景。


Quand la femme tient la barre de sa vie N°6 −猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS 恵比寿 2012 年3月2日(金)只今、絶賛ご予約中♡


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朝、目を覚ますと窓の外は一面の雪だった。白い白い東京。その真ん中、窓辺に置いたコンガの上に、猫型の黒い影が乗っていた。

起毛のあたたかなパンツに履き替えて、電話を待った。毎日新聞関西支社の記者さんから、3月17日の夕刊に載る、映画評のインタヴュー取材のためだった。取り上げる映画は、フランスの巨匠、アラン・レネの新作「風にそよぐ草」。レネらしいというか、レネにしか作れない映画…と、これについては、毎日新聞をぜひご覧頂きたい。(関西地区にお住まいの方、ぜひ読んでね!)映画そのもののインタヴューの後、記者さんが質問された。「猫沢さんにとっての、映画の原風景とはどんなものですか?」…記憶は小学生時代へと飛ぶ。

私の地元、福島県白河市は美しいがとても田舎で、文化的なことも頻繁にはなかった。ピンクレディーとコロッケが市民会館に来たのは覚えている。そんな具合だったもので、映画館も記憶では2つだけ。一番近所の“みどり座”は、東映まんが祭りのためにあるのだと思っていた。あの日までは…。


当時、私は10歳の小学4年生だったと記憶している。普段、お小遣いに辛い母が、私の手に1000円を握らせて「今日は映画にいってらっしゃい。そこのみどり座で、児童推薦映画の《エレファントマン》っていうの、やってるから。」エレファントマン!デヴィット・リンチのカルトムービー…と、映画をひと舐めした今の私ならすぐにわかることだが、映画も数えるほどしか見た事のない子供の私に前情報があるわけがなく、母のいいつけ通り、みどり座へひとりのこのこ出かけて行った。そして、観た。凄かった。しばらく口が聞けなくなって、あんぐりとあごが落ちたまま、家に戻った途端、堰を切ったように映画への感想を母にぶつけた。

映画は、奇形(それも並み外れた)姿で生まれたジョン・メリックが、見世物小屋で辛い日々を送っているところから、外科医のフレデリックに研究の名目で引き取られ、実はジョンが常人以上の知性や美しい感性を持っていることがわかってくる…といったものだった。見た目と内側に宿る高貴な魂の落差にも目眩がしたが、映画が終わって最初に幼い私の口から出た言葉は「私は将来、心の美しい奇形人と結婚するんだわ。いや、しなければいけない!」だった。その思いたるや痛烈なもので、少女の胸に墓標のごとく杭が打ち込まれた瞬間だった。同情ではなくて、ものすごく純粋に、見た目が奇形であるからこそ際立つ内面の美しさに恋をしたのだった。

という話を、母にしたところ「さすが、児童推薦映画だわ!あんたに見せてよかった。」と顔をほころばせた。しかし母よ、果たしてあなたは正しかったのだろうか?ちなみに、母はこの歳になるまで1回もエレファントマン、見てません。(笑)つまり、彼女はこの映画のカルト的な解釈プラス、子供が見るにはあまりにキョーレツな負の部分を全無視して、娘をそれこそ見世物小屋にひとり出向かせたわけですよ。よかったね、母。私が頑丈な子で。おそらく、通常の神経の子供だったら、途中で泣きながら映画館から走って帰っちゃって、ヘタすりゃトラウマだよ。もしかすると、10歳ですでにこの映画を最後まで観きった上に、痛々しいまでの立派な感想が持てたのは、家の中にある意味、心的リアル・エレファントマンがごろごろしていたからかもしれない。そして、確実に私の中へ、行き過ぎた理想の男性像が出来たことも、捨て置けない事実である。


その後、大学へ入って、たまたま近所にあった大型貸しビデオ屋のオーナーが、大の映画好きという理由でカルトムービーが網羅されていて、それらを片っ端から見始めてしまったのも、この原風景に起因していると思われる。アレハンドロ・ホドロフスキーの大好きな女子大生なんか、モテるわけないじゃないか。そういや、初めてできたボーイフレンドがこれまた映画好きで、最初のデートで連れていってくれたのが、ピーター・グリナウェイの「コックと泥棒、その愛人と妻」という、カニバリズム的なシーンを含む、そら恐ろしい映画だったっけ。どうして、私に映画を教授する人は、ことごとくこうなのか。

いくつかのショック療法的映画体験の後、私は映画を評する人となった。そのかわり、とても偏った分野での。


ちなみに大人になってから、母め…エレファントマンが児童推薦映画なわけないじゃないか!という話を、同じ映画評論をしている友達にしたところ「いや、たしかそうだったような…児童推薦ではないけれど、たしか文部省推薦映画だったはず。」と聞き、調べてみると確かにそうだったことを知り、また驚愕。いやー、7~80年代の日本とは、いい意味で雑多な子供を子供とカテゴライズしない豊かな文化風潮だったのだなとしみじみ思った。










posted by 猫沢エミ at 22:41| パリ ☁| ヨーロッパ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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