2010年08月30日

ワンドア・カーと不幸の数値

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我が家の愛車、MINIメイフェア(通称・ミニコ)は、ここ1年ほど助手席のドアが開かず、ワンドア・カーとなっていた。もともとMINIはコンパクトなツードア・カー。本当ならば、4ドアだったらさぞかし人も荷物も乗り降りが楽だろうと思うところなのに、それがワンドア!どうやって使っていたかといえば、後部座席に乗る人も助手席に乗る人も、運転手側のドアひとつから、まるでコントのようにぞろぞろと乗り降りしていたのだ。

ちなみになぜドアが開かなくなったかって?まず最初に、我が家の地下にある立体駐車場に入れる時、助手席側のドアを閉め忘れたままバックし、駐車場の支柱にドアがひっかかってむぎゅうとなり、蝶番が歪んでしまったこと。しかし、この段階まではなんとか開け閉めが可能であった。ところがその後、ミュージシャン仕事で吉祥寺のスタジオへ出かけた折、殺人的な細い通りを左折しきれず、ドアの下にあるモール(ちょっと出っ張っているふちの部分)が電信柱にむぎゅうと押し込まれ、完全に開かなくなってしまった。修理に持ち込んだところ、内蔵系もかなりやられているので完全修理を施すと、中古の新車?を買っちゃった方が安いことがわかり、そのまま放置となってしまっていた。

ところが先日、アイドリングが急に上がらなくなる不具合が生じて、お世話になっている車屋さんへ修理をお願いした際、ついでにモールをむぎゅうともとに戻して、おかしくなっている蝶番もむぎゅむぎゅうとやっていただき、再び開くようになったのだ!この喜び!4ドアカーに乗っている人にはピンとこないだろう。いや、別にこんなへんてこな苦労は知らなくていいに決まってる。決まっているが、人間、当たり前だと思っていたことが滞ると、その当たり前の幸せを実感するものだ。だから、ワンドア期間中、車に乗るたびに「あー…助手席側のドアが開いたら、乗り降りが楽で夢のようだなあ。これ以上のことは何も求めないよ。」とつぶやいていたものだ。ところが、今度は開くのが再び当たり前になってしまえば、「ハッチバックでも観音開きでもいい、後ろが開いたなら、楽器の積み降ろしがどんなにか楽だろう…。」なんて、あっという間に欲深くなるのが人間のいやらしいところ。いっそのこと、運転手側のドアも開かなくなって、窓から乗り降りするノードア・カーまで経験しといたほうがよかったか?

人は、幸せの数値にとても鈍感に出来ている。逆に不幸の数値にはとても敏感だ。たとえば自分が、地位も名誉もいくところまで手に入れたと想像するならば、なんでも買えてなんでもすぐに叶っちゃうのは、すこぶるつまんないだろうと思う。その恵まれすぎた状況下では、よっぽど初心忘るべからずな強い意志がなければ、世界はあっという間に色あせる。そして不幸の数値とは何か?頭の中で、横に一本(縦でもいいや)線をびーっと引いて欲しい。その真ん中がゼロで、右端が幸せ100、左が不幸100の値だとしたら、ゼロを限りなく左端にある不幸の100に近づけることでしか、幸福の値は大きくならないと思う。って、これは昔から私の頭の中にある、幸福&不幸のグラフなんだけどね。そして、本来のゼロの位置からぐぐーっと左に寄せるのは`様々な大変なこと´の体験でしか成し得ないのだと思う。それに負けじとがんばりながらの体験は、マイナスの部分をプラスに変えることができるけれども、逆に、がんばらないで、ただ大変なことを大変だと思って終わってしまう`体験負け(もしくは、体験逃げ)´をしてしまうと、ゼロの位置が右端へずれて、不幸の値が大きくなってしまう。幸福すぎて、己の幸せを見失うパターンも、これに当てはまる気がする。。。

なんてことをですね、夢にまで見たツードア・カー復活したミニコに乗りながら考えて、足下にある幸せに鈍感にならないようにって思った日なのでしたよ。

Photo. 夢にまで見た助手席が開いた〜!(ず、ずいぶん不幸の数値、掘り下げてますね、猫沢さん。。。)


posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ | 乗り物(モペット・車) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

些細な交通事故と、奇妙なたかりギャルソン。

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本日、メトロ13番線のペルネティに住む、アコーディオニストTACAくんのお宅へ、リハーサルのためお邪魔。その帰りに、愛車モトベカンにて、快調にアレジア駅まで来たところだった。信号待ちをしていて、さて、青になったので発信するか…と思った次の瞬間。うしろから車がどーんと突っ込んできて、5メートルほど前に飛ばされ、バランスを崩してモトベカンごと横倒しになった。一瞬、頭の中が真っ白になるも、すぐに我を取り戻し、ひたいに怒りマークをあらわにしたまま、車の運転手に向かって言った。

「あんた!どこ見てたのよっ!!」

以外にも、運転手は品の良い初老のマダムだった。しかし、品が良かろうが悪かろうが、若かろうが年寄りだろうが、相手は加害者。言うべきことは言わねばはじまらない。最初マダムはフランス人らしく、私は悪くない。なぜあなたは青なのに発信しなかったのか?と文句を並べてきたが、私が反論を開始するのと同じタイミングで、事故を見ていた通行者30人くらいが駆け寄ってきて「僕はちゃんと見てた!彼女はぜんぜん悪くない。あなたが、前を見ていなかっただけだ」と、やんややんやの大騒ぎとなった。30人の野次馬の大半は、学校帰りのギャルソンたちで、口々に「そうだそうだ!彼女は悪くないぞー。」と半ば、偶然目にしたアクシデントを楽しんでいるかのよう。その中で、大人のムッシュ2名が、熱心に事故の仲介?をしてくれて、マダムは最後に「私が悪かったわ。体は大丈夫?ひとまず、壊れた部品の修理にいくらかかるかわからないけれど、お金を渡しておきます。」と、いくばくかのお金を渡された。幸いにも、まっすぐに前へ飛ばされたのと、横からバイクなどの別の車両がこなかったのが幸いして、少し太ももとふくらはぎを打ったくらいで済んだ。ただ、過去に大きな交通事故に2回も遭遇している私の経験では、その場でなんでもなくとも、後で悪くなることもよくあることなので、マダムの連絡先なども教えてもらい、何かあったら対処することにした。交渉人のムッシュが「もう大丈夫だね?」と去った後、最後まで残っていた、あるひとりのギャルソンがマダムに言った。

「あなた、彼女に渡したお金の金額少なすぎやしませんか?僕の父が事故を起こしたときは、示談金はこんなもんじゃすまなかったですよ。」

と、何を思ったのかいきなり新たな交渉を勝手に始めた。少年の意図するところがまるでわからず、しばし話しを聞いていたら最後に「彼女のために(って、誰も頼んでないんですけど。笑)こうして僕が交渉しているわけですし、僕に3ユーロくれたってよくないですか?」あはは!事故に便乗したたかりかよ。思わず私は言った。

「きみ、意地が悪いね。」

とんでもない発言にうろたえたマダムは、一生懸命に、でも私、お金持ちじゃないし、今の手持ちは本当にこれしかないのよ…と言い訳をする始末。マダーム、この交渉に関しては、あなたひとつも悪くないですよ。しっかり!!

 そんなわけで、壊れたテールランプの残骸を拾い集め、心配してくれた道々の人々にお礼を言い、最後に少年にたかられたマダムをフォローし、帰路につく。幸いにも、モトベカンのエンジンにもフレームにも影響はなく、何事もなかったかのように、再びパリの街を駆け出した。しかし、フランス人って、普段ものすごく個人主義のくせして、こうした公の場所での事故だの不正には、積極的に介入するんだよなあ。昔、バスチーユのタクシー乗り場で、ずる抜かしして私のタクシーを奪おうとしたムッシュにも、10人くらいの人たちがつかみかかって反論してくれたのを思い出す。天晴れ!市民パワー。

 ところで、事故。ここでバイクに乗り始めて早7年だけれども、神様が‘初心忘るべからず’って、警告出してるんだろうなあ…なんてことを考えながら、いつもより10倍くらい注意しながら、とっとっとっとっと、走ってゆく。
posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ ☀| 乗り物(モペット・車) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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