2014年01月31日

恐ろしいけれど知らなくてはいけないこと



今朝からごはんも喉を通らないのでブログを書く。今、私は人間としての罪深さや使命感を感じて激しく動揺している。きっかけはパリ在住のミュージシャン友達、マイア・バルーちゃんのFBに上げられた中国における熊の胆汁採取の恐ろしい実体リポートと、それを止めさせる情報拡散および署名についてだった。


昨年5月に出版した『猫と生きる。』のフランス取材時にも、それにからんだヨーロッパにおける様々な動物虐待の事実を知り、戦慄した。コーディネーターをつとめた普段はファッション業界で働いている友人が教えてくれた事実も多かった。「私はこうゆう世界で働いていて、自分が流通させている物に対して責任があると思うからさ、毛皮がどんな風に採取されているのかを恐ろしいけれど、調べていろいろ見てみたら本当に残酷すぎて気が遠くなった。それでも見なくてはいけないと思って。」そう話した友人が見たものとは、フォックスの毛皮を美しいままに採取するため、時たま棍棒で頭を殴って気絶させながらきつねの生皮を生きたまま剥ぐという恐ろしい映像だった。毛皮と一口に言っても、まだ人道的な方法で殺されて剥がれるものもあるという。しかし、そもそも毛皮は必要なのか?イギリスのデザイナー、ステラ・マッカートニーが言った「着るものは他にもいくらだってある。毛皮を着なければいけない理由はどこにもない。」という言葉が脳裏を離れない。その通りだ。イヌイットがアザラシを食糧として採取し、極寒の地で二次利用する文化的、気候的な理由ならば納得がいく。けれど、暖房設備が整った私たちの世界で、おしゃれだから、ゴージャズに見えるからという安易な理由で流通する毛皮は、ただ死体の一部でしかない。そんなものを身につけて人格が上がると勘違いすることが、果たして本当にファッションなのか?文化と片付けられるのか?


パリの7区に『デイロール』という老舗剥製店がある。狩猟文化のあるヨーロッパにおいて、裕福層を中心に栄えてきたお店だ。ここへ、私が編集長を務めるBONZOUR JAPONの取材で入ったことがある。何よりもまず最初に、デイロールの担当者へ投げかけた質問は「これらの動物をどう確保しているのか?」だった。返って来た答えは、「事故や病気、なんらかの理由で自然死した動物のみを学術的な理由で剥製にしている。」というもので、ほっと安心した。それならば、彼等を美しく素晴らしい技術で蘇らせ、第二の命を与えることは意義があると思えたからだ。フランスの動物園、その他動物がからんだ私的および公共団体にはとても強い動物保護活動の信念が伺える。それは、先にも書いたヨーロッパにおける楽しみだけの狩猟文化と毛皮の採取という黒歴史に対する、償いと弔いがあるのだと思う。

近年盛んなシルクドソレイユなどの動物を使わない人間技のみのサーカス集団も、本来芸など覚える資質をもっていない動物に無理矢理電気ショックを与えて言うことをきかせる伝統的なサーカスの虐待に対し社会批判が巻き起こり、衰退してゆく現状の中で見出した新しい活路だと言っていい。サーカスで心も身体も破壊された動物を引き取って、終生面倒を見るフランスにおける創立最古の動物保護団体『フォンダシオン・アシスタンス・オザニモー』の取材時には、その一貫した活動に深い感動を覚えた。方や芸術的な馬芸で見せるジンガロなどは、もともと仕事をする馬の資質をそのまま芸術の域まで高めたものといえる。なんでもかんでも一緒くたにして批判するのは逆に危険だから、『動物本来の姿、資質はなんであるのか』を忘れずに、なくすべきものを知る必要がある。


とにかく、動物実験を行わねば作れない化粧品など私はそもそも使いたくないし、動物に限らず、迫害、拷問といった類いのものを激しく嫌悪している。そして、見てしまった中国における熊の胆汁採取の恐ろしい実体。長期間の苦しみ、残虐さは毛皮採取の非ではないと判断する。なぜこんなことが出来るのか?こんなことをして、精神を病まずに日常が送れるのか?人間の中には悪魔が同時に住んでいると思わざるを得ない。それは、第二次世界大戦下のナチスによるユダヤ人迫害をどうしても思い出させてしまう。ガス室で大量の人間を殺したという事実以外の恐ろしい人体実験について。(ナチスのみに限らず、日本でも第二次世界大戦下陸軍に存在した、恐ろしい“731部隊”がある。)人間を狂わせるのは教育のなさと、こうした戦時下によく見られる集団心理だ。そう、人間は教育されなければなんのルールも持てない最悪の生き物であり、一旦教育されたものでも、大きな思想に取り込まれればあっという間に同化する弱い生き物でもある。それは、他ならぬ自分もそうなのだという自覚が私の中にはいつもある。他人事ではない。どこかに暮らす頭の悪い、魂の腐ったやつがやらかした所業ではなくて、自分が人間である以上、自分にもその可能性がまったくないとは言いきれない。だから、こうした恐ろしい事実に出くわすたび、私はまるで自分がそれに加担してしまったかのような罪の意識を感じる。そして、動物に対して人間の同朋がしている罪を阻止しようと真剣に考えるのだ。


見るのは辛い画像とルポルタージュではあると思う。全部読めとは言わない。けれど、どうしてもこの事実を知って欲しい。そして、このことに憤りを感じたら署名をして欲しい。署名は英文フォーマットだけど、とても簡単で誰にでも出来るものです。どうか、どうか、ひとりでも多くの方に署名して頂きたい。
今、これを書きながら深々と頭を下げてお願いしています。

●中国における熊の胆汁採取の実体と反対署名
http://ameblo.jp/happycat-satuki/entry-11760967959.html






posted by 猫沢エミ at 15:14| パリ 🌁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月08日

メールは難しい。

Pyramid en plein été ”-真夏のピラミッド/Emi NECOZAWA & Sphinx 2013年8月9日(金)渋谷gee-ge♡チケット直前までご予約中!


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“20年くらい前”が、ついこの間のように感じる年齢になったものだなあと思いつつ。

ほんの20くらい年前まで、人間にとっての主立った意志伝達ツールは【会う・電話・FAX・手紙】の4つしかなかった。そこへパーソナルコンピュータなるものが現れ、メールといういつでもどこでも送れる便利なツールが生まれて、人間社会のコミュニケーション手段は鮮やかな変貌を遂げた。

書き損じて紙を捨てることもなくなり、到着までの時差も計算にいれずに済み、遠方に暮らす人や、しょっちゅうは会わないけれども大切な人とのやりとりが、前よりもずっとスムーズにできるようになった。それなのに、メールを介した人とのやりとりに問題が起らないか?といえば、そんなことはひとつもない。それどころか、メールが現れる以前よりもずっとコミュニケーションに関する問題は増えたように感じる。


メールは難しい。日々、メールを仕事の手段として使っている人ならば痛切に思うことではないだろうか?私も苦い経験多数。先方から頂いたメールを特に夜中、疲れているときに読んでしまえば失敗率は格段に上がる。なぜか責められているような、せかされているような読み方をして感情のままに返信をすれば、とたんにいらぬ誤解へと発展する。冷静にそのメールを翌朝読み直してみると「あ、なーんだ。」となることはよくあるのに。この真夜中のラブレター現象でなくとも、手書きの手紙よりもメールはずっと読み手側の感情に添うところがある。

本来、手紙・メールは書き手の意志や情報を形にしたもので、読み手の受け取り方が優先されるものではない。手紙の場合は、その人の書き癖や書き迷った時間の流れ、気持ちを映そうとする懸命さが文字そのものに現れているから、読み手の余計な感情が入り込む率が低くなる。ところがメールの平面的な様相は、たとえるならばミラーコートの紙のようなもので、その文面が整っていればいるほど、書いてあることの真意が見えなくなり、逆に反射する文面に自分の顔が映りこんでしまうといったところか。


ここには日本語そのものの難しさも手伝う。主語が「私」「俺」「僕」など、相手の立場によって変化する言語は、世界中の言語を見渡しても珍しい。女性、男性、子供など、立場によって変わる語尾もしかりだ。これは、日常の表現においてジェスチャーや表情に乏しい日本人が、可能な限り言葉だけですべてのことを伝達しようと務めた結果ではないか?それでも、実際に会って話をしていれば、その人の表情や声色から何を伝えようとしているのかはすぐにわかる。もともと恐ろしく情報量の多く難しい日本語を、形式にのっとったメールで平面化してしまうと、とたんに「本当は何を考えているのか?」がわからなくなる。そこへ読み手の、その瞬間の感情が映されてしまうのだ。どうとでも取れるメールの文章に勝手な解釈がのったとき、いらぬいざこざは生まれる。


日本語のメールの達人になるには「書き」ではなく「読み」なのだと私はいつも思う。自分の感情を常に横へスライドさせて、書いてあることの真意だけを読み解こうとする気持ちが。それでも真意が見えないとき、自分の感情が相手のメールへ馬乗りになってしまうときは電話をかける。

それにしてもいつも思うのが「パソコン、メール、携帯電話が生まれたことで破談になった仕事や恋や人間関係の数と、それらが生まれなかったことでダメになった数のどちらが多いんだろう?」について。多分、答えは五分五分。そこに不完全で愛らしい人間本来の限界と、未知の可能性の両方が横たわっている。



Photo:仕事の請求書や資料送付のときには、かならず一筆箋での短いお手紙を入れている。愛用しているのは銀座・鳩居堂のもの。習字を長くやっていたせいか、縦書きでないときれいな字が書けない。時には筆を使って書くことも。






posted by 猫沢エミ at 16:23| パリ 🌁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月01日

「ぜんぶは無理だ。」


LA VIE AVEC UN CHAT et LA MUSIQUE- Kyoto,Wakayama,Tokyo
2013年7月12 日(金)京都、13日(土)和歌山、14日(東京)
Emi NECOZAWA & Sphinx Trio ライブ&トークイヴェント♡チケット絶賛ご予約中!


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じゃーん、7月になりました。夕べのTwitterのタイムラインには、日本人らしい「もう今年も半年も過ぎちゃったよ!どうしよう」なんていう、ネガティヴな発言が多く見られて、その真面目さが愛らしいなあと思った。私なら逆の発想でいきたい。「あと6ヶ月もあるよ!神様は6日間で世界を作って、残りの1日はお休み取ったってよ。6ヶ月もあったら自分の人生丸ごと変えることも可能だ。」と。これは大げさなたとえではなくて、本当に1週間あったら、不可能が可能になることはよくある。それは、今まで何度か経験してきたことなので、あながちホラではない。だけど、「全部いっぺんに、いつもいつもそれをやるのは無理。」なのだ。

今朝、目が覚めたとき、私はちょっと焦っていた。抱えている作曲の締め切りも目の前。ライブの仕込みも佳境だし、それが終わったらボンズールの入稿。新しい仕事の取材もまもなく始まる。それ以外にだって、形にしたいことが山のように積まれていて、今年の夏中にそれが終わるかどうか…。ふと、ぼんやりと不安な気持ちのまま、Twitterを覗いてみたら、糸井重里さん主催の『ほぼ日刊イトイ新聞』にある、糸井さんの日々のショートエッセイ“今日のダーリン”に、ものすごく腑に落ちるいいことが書いてあって、それはあんまりにもいいことだったので、私は今日予定していた事柄ひとつを明日に回して、これを書こうと思った。


少し引用させて頂く。

「ぜんぶは無理だ。って当たり前のことなのに、できている一つ二つのことよりも、やれてないことのほうを勘定してしまう。〜だからいつでも落ち着けなくて、しかも宿題に追われているような気分が抜けない。〜まずは「ぜんぶは無理だ」、そして順番をつけること、決めちゃったらその順番で取り組むこと。堂々と、自信家のようにふるまい、じぶんで決めた順番にしたがって平然と休むこと。」


思えば『猫と生きる。』を発刊するまでの私の数年間は、仕事、仕事、そして仕事の日々だった。本を読んでくださった方々にはもうおわかりかと思うが、経済的な問題と心の立て直しが、“私の決めた順番の一番最初にくる事項”で、その他のことは二番目以降だった。それは、普通の人が1週間くらいの短いタームで組む順番を、2〜3年の長いスパンで組んでいたため、一日休みが取れた後、次のお休みは数ヶ月後...という非人間的なことになってしまっていたと思う。元来のムダに真面目な性格も手伝って、きちんと休む勇気が出なかった。なんだか怠けているようで、罪悪感がつのって。

5月のパリは3週間のショート滞在だったが、その間、5本の取材と1本の校了という毎度のアホみたいな激務をこなして日本へ帰ったとたん、風邪を引いて寝込んだ。ついでに“燃え尽き症候群〜五月病風味”となって、心が完全にストを開始した。最初は、パリでの勢いをそのまま日本に持ち帰って…なんて思っていたのだけど、布団の中で振り返ったここ数年間は、普通の人なら死ぬかもなという激しいものだった。それで、いさぎよくあれこれサボってみることにした。私にしてはかなりの勇気を振り絞って。猫と遊んで昼寝も満喫したし、放置していた部屋の掃除も少し出来た。ずっと会えなかった友達にもたくさん会って、昼間にぶらりと街へ出てみたりもした。仕事以外で楽しんで観れてなかった映画を何本も観た。すごく良かった。こんな普通のことがまるで出来ていなくて、身体にも心にも休みをくれてやらない、私はずいぶんと酷い支配人だったと気がついた。

そうして英気を養っていたら、またいろんなことを建設的に取り組もうと考えられるようになってきたのだけど、サボった分の時間は焦りに姿を変えて7月の到来と共にやってきた。このタイミングで、糸井さんの「ぜんぶは無理だ。」を偶然読めたのは、何か大きなものに「これ、読め。」と差し出されたような気持ちさえする。


今年の下半期は、心に留める。
1. ぜんぶは無理だ。
2. 順番を決める。決めたらその順番で取り組む。
3. 堂々と、自信家のようにふるまい、じぶんで決めた順番にしたがって平然と休むこと。


特に3がぐっとくるねー。これがなかなかできない人は多いと思うから。特にフリーランスと子供を持つおかあさんには、秘薬のような言葉。「ぜんぶは無理だ。」だけど、ひとつひとつなら出来るよね。平然とお休みを取りながら。


『ほぼ日刊イトイ新聞』−今日のダーリン 
http://www.1101.com/home.html










posted by 猫沢エミ at 14:46| パリ ☀| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月08日

「猫と生きる。」より、アルバイト時代について。



マンション1Fの宅配ボックスに海外からの郵便物が届いていると連絡を受けて、荷物を引き取り行った際、眼力のあるとても魅力的な女の子が「こんにちは!」と爽やかな笑顔で郵便ボックスルームに入って行った。大きなリュックを背負ったその子があまりに魅力的だったので、一瞬このマンションの住人の方なのかと思ったが(ここは別段普通のマンションだが景色が良いので、某映画監督さんやクリエイターの方が多く住んでいる。)彼女は、チラシ配りのアルバイターなのだった。私が荷物を取り出す横で、すたんすたん!と見事な手さばきでチラシを投函して行く。そのリズミカルな音を聞いて、彼女が何かを志して日々暮らしているのがわかる。志は、その人から自然と溢れ、にじみ出る。それは仕事も立場も、表層的な肩書きなどをいとも簡単に越えて。私はふと、「猫と生きる。」にも書いた、お弁当屋さんでのアルバイト時代のことを思い出した。


子宮頸がんを煩い、ピキを失ったあの頃。本に書いた通り、我が家の家計は火の車で、負の要因が互いの傷を舐め合ってますます悪化するような閉塞感に取り憑かれていた。歯切れの悪い自分にこれ以上我慢ができなくなり、夏のある日、私は自転車を駆り出して、家の近所をぐるぐるとくまなく走り回った。目的はアルバイト募集の張り紙を出しているお店を見つけることだった。ふと、小さなお弁当屋さんの店先に張られた応募を見て、働く時間帯や時給がぴったりだなとメモをした。即担当者の方に電話を入れて、次の日の朝、履歴書を持って面接に向った。自分が本来している仕事の経歴は伏せた。面倒な事情を説明する必要はなかったし、必要なのはここで働けるだけの生真面目さとか、一般的な常識だと思ったから。ただ「フリーで映画ライターをしていて、時々仕事で海外へ出張することもある。」という多少経歴をはしょった最低限の身の上話を、面接をしてくれたお弁当屋の店長さんにした。私は運良く即採用となり、それから1週間後、仕事が始まった。私以外に日本人の従業員はおらず、片言の日本語を話す中国人の先輩が、食材の在庫管理、米の研ぎ方、親子丼の作り方、レジの管理の仕方などを教えてくれたのだが、本当に片言なので、はじめは何を言っているのかよくわからず、半分は見よう見まねで覚えていった。その「言葉の通じない、居場所のない新地で居場所を作る」行程は、パリに渡ったばかりの頃を彷彿とさせるものがあった。この手の孤独には慣れたもので、ここにいるときの私は、日本語が唯一流暢に話せる従業員で、計算が弱くてレジ集計をしょっちゅう間違えるありきたりな新米アルバイターだった。


中国人の友達が今までいなかったわけではないけれど、ここまで中国的な価値観の仕事場で毎日働くのは初めてで、新しい発見も多かった。雲南省のとても貧しい片田舎から日本に出稼ぎにやってきて1年のTさんは、店の掃除機を見て「エミさん、これなに?」と指差した。聞けば彼女の暮らしていた村には、電気も満足に通っていないのだという。そのやりとり横で聞いていた、日本在住歴10年のKさんは「掃除機も知らないなんて、同朋として恥ずかしい。」と言ったが、私は別段驚きもせず、Tさんに掃除機の使い方を丁寧に教えた。「掃除機、すごいねー。便利ねー。」とTさんは無邪気な笑顔を見せた。彼女はとても可愛らしい顔立ちをしていたが、マナー全般の意識が低く、すぐにつばを吐く、人を叩くなど、日本では当たり前に「無礼」とされることを平気でやってのけるため、ある日キレた。「エミさん、どうして怒ってる?」心配そうに顔を覗き込むTさんに、つばを吐いたり人を叩くのはマナー違反だと伝えると、彼女は「そうかー、つばは吐いたらダメ。叩いちゃダメ…」と下を向いて自分に言い聞かせていた。その姿を見て、ああ、可愛いなと思った。彼女には悪意などかけらもなく、教育がなされていない子供のように純粋だった。そうして、時々彼等と正面切ってぶつかりあいながら、お弁当屋さんの小さな厨房で、ここはここなりの国際交流と信頼関係が少しずつ作られて行ったある日、同じくこのお弁当屋で働いていたTさんの弟が、店長に些細な理由で厨房のレンジ台が並ぶ一角に突き飛ばされた。

店長は50歳すぎの男性で、口数の少ない、精神状態がとても不安定な人だった。彼から聞いた身の上話はこうだった。「離婚したが、子供が2人いる。昔はお花屋さんを任されていた元フローリストでジャズが好きだった。人生は難しく、まとまった収入をこの歳で得るために、むちゃくちゃな労働時間と知りつつもこの仕事に収まった。」唯一の日本人である私を味方と見なしたのか、彼が私に八つ当たりすることはまずなかったが、中国人を差別し、攻撃することで、彼のアイデンティティーはようやく保たれているように見えた。突き飛ばされたTさんの弟は、怪我もなくて安心したが、その日の夕方、仕事から上がった後にバイト長のKさんから聞かされた話は悲痛なものだった。「店長は哀しい人で、悪い人じゃない。私たちもわかってる。でも、今までも暴力をふるわれたり、女の子たちはセクハラにもあってる。私は何度も本部の人に言おうとしたけど、他の子たちが仕事を無くしたら日本に住めなくなる。中国の家族もみんな飢えて死ぬからダメだって。」許せなかった。どうしても許せなくて、まずは店長に直談判した。どうして中国人を責めるのかと。彼は了見の狭い典型的なレイシストで「中国人はこずるい、汚いやつらだ。」と言った。本当にそう思っているわけではないのが、話していてすぐにわかったが、彼がようやくこの辛い現実の中で立っていられるのは、差別によって得たつまらない優越感のお陰なのだと理解してしまえば、彼自身を変えるのは年齢から見ても難しいと判断した。その後も中国人をターゲットにした攻撃は続き、致し方なく本部にこの事実を告発したのだ。このお弁当屋は、小さいながらもチェーン店展開をしていた。もちろん、中国人の同僚たちに逆恨みが及ばないように、告発した事実は伏せてもらって。

その後、店長の解任が決まった。心中複雑な私に反して、店を辞めることが決まった店長はさっぱりと散髪をし、新しいシャツに袖を通し、見た事もない晴れやかな顔をして店に立っていた。相変わらず猟奇殺人の話(彼の一番好きな話題である。笑)や、友達から誘われて行った某カルト指定教団に入るかもしれない…なんて話もしてはいたが、最後に「古くからの友達に、新しい仕事に誘われているんだ。ここを辞めたら忙しくなると思う。」と不器用な笑顔を見せた。彼も辛かったのだ。労働基準法はなきに等しい、組合もよほどの大企業でなければ力を持たない日本の労働監獄社会。先進国などと言うにはあまりに恥ずかしいこの現状の中で、本来繊細な彼の精神は異常と正常の境目を行ったり来たりしていた。

彼は店を去って行った。最後の日、彼を辞めさせた張本人の私は、万感の思いで「お世話になりました。」と頭を下げたが、照れやの店長はこちらを向きもせず「じゃ」と一言残して街の雑踏へと消えていった。その後、新しい店長が2人やってきたが、結局労働条件は改善されることなく、日本の根暗い働く環境問題をますます考えさせられることになる。この話はまた、機会があれば…。


ところで、このお弁当屋さんに毎日弁当を買いにくるお客さんとの間にも小さなドラマはあった。毎日開店と同時に一番安い290円のお弁当を買いにくる初老のサラリーマンがいた。彼はとても親切な方で、時々おせんべいなどを差し入れしてくれたのだが、いったいどんな仕事をしているのかは聞かなかった。ぱりっとしたスーツとコートを着た彼は、一見、いい会社にお勤めの人という雰囲気だったのだ。私がこのお弁当屋を辞める時、一番の上客だった彼には「お世話になりました。今週で辞めるんです。」と伝えた。すると「あなた、何か別に本職をお持ちじゃないかとずっと思ってましたよ。意志のある目をしてらっしゃるから。」そう言ってくださった。それで「いや〜、食えない映画ライターなんですよ。収入が不安定だからバイトを始めたんですが、どうしても自分のやりたい仕事を続けたくて。」と、再び適当にはしょって話をしたところ、「素敵だね。がんばって!あなたならできるよ。」と言ってくれた。

バイトを辞めて、本職に復帰して忙しくしていたある日、近所のお花屋さんの前で「ちょっと、あなた!」と声をかける人がいた。営業用の自転車にまたがって、灰色の作業着を着たその男性を一瞬見たところではすぐには気がつかなかったが、目をこらしてよく見てみると、あの290円のムッシュだった。出勤時にはぱりっとスーツを着て、一流企業にお勤めの部長さんといった風情の彼は、実は小さな零細企業に通う、職工さんだった。なぜ毎日、お昼にお弁当を買わずに朝買いにきて、冷えたごはんをお昼に食べるのか?ずっと疑問だったことが一瞬で理解できた。「あなた、本職で今は順調なの?」そう問いかけるムッシュに「お陰さまでなんとか。先のことはわからないですけど、やれるところまでやってみようと思っています。」そんなやりとりの後、大きな籠のついた営業自転車にまたがって、彼はどこかへ向って行った。290円のムッシュとはそれが最後の逢瀬となった。


「猫と生きる。」で書いたアルバイト時代の話を読んで、その過酷な時期を見守ってくれていた友人が「まさか書くとは思わなかった。」と言ったが、その言葉の中には、一応イメージを大切にする私の仕事での立場を思いやった気持ちが含まれていたと思う。たしかに一方では、パリと東京を行き来するフランス語ができる編集長、だとか、渋谷系あがりのお洒落な(?笑)ミュージシャンという立場も事実ではあるけれど、食えない時代を食える時代へと押し上げるために、この世にある無数の尊い仕事のうちのひとつを選んで、そこへ従事した、というのも純然たる事実で、そこに恥はひとつもない。むしろあの頃、それを自分に課せたことを誇りに感じている。そして、私は本当に多くのことを学ばせてもらったのだ。また食えない時代が来るかもしれないし、充分食えてはいても、いい気になった自分のムダなプライドを捨てるために、アルバイトをするかもしれない。先のことはひとつもわからないが、今はっきりと言えることは、お弁当屋さんで働かせてもらった経験は、何にも代え難い、自分の基盤を作り直すこれ以上は望めないほどの素晴らしい時間だったということだ。




posted by 猫沢エミ at 17:10| パリ | なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月26日

丁度いい。


“NEO JAZZ 3TOP's-F.I.B JORNAL DUO+1,Shima&Shikou DUO,Emi NECOZAWA & Sphinx @渋谷SARAVAH東京 2012 年9月23日(日)TOKYOのネオ・ジャズ界を牽引する3つのバンドがサラヴァに集結!チケット絶賛ご予約中♡



今夜の晩ご飯は、豆腐にチンゲン菜を茹でたのと胡麻油で炒りつけた茄子、そこにみょうがや生姜、紫蘇をちらし、小さなすり鉢でよくすった白ごまとめんつゆをベースに、お酢と柚こしょうをきかせたドレッシングの和豆腐サラダだった。それに北海道の生鮭のカマを塩焼きにしたやつ、お味噌汁、焼き海苔、ごはん。いたって質素な普通の晩ご飯なわけだけれど、ここのところ忙しくてまともなごはんを食べていなかった私には、大ごちそうであるのと同時に見事なまでに「丁度いい」食事だった。

食べ終わってしみじみつぶやいた。「ああ、丁度よかった。」過剰な量も派手さもない、かといって物足りなさもない丁度良さ。丁度いいという、落としどころを見つけるのは意外と難しく、もしかしたら「すごく幸せ。」よりも低い確立でしか訪れないのかも。などと思ってみる。


「丁度いい」の難しさは、何も食べ物に限ったことではない。人間関係の丁度良さからはじまり、期待した感情の丁度良さ、お風呂のお湯の加減だって丁度いいジャストにもってゆくのは難しい。なぜ難しいのか?といえば、それは「丁度いい」を生むためには、常に2つ以上の要素や対象が必要になるからなのだと思う。丁度よく食べる、丁度よい時間で寝る、などのさもひとりで成し得ているようなことだって、考えてみれば「丁度いい」と思う心と、体の連携に他ならない。また、恋人との「丁度いいデート」を例にあげると、自分以外の連携対象物があった場合の「丁度いい」がわかりやすいかもしれない。お互いが好き合っているという感情がベースのふたりとて、その日の体調や心持ちで、常に微妙な波の間をいったりきたりしている。その波長に、膝をぱしん!と思わず打つかのごとくばっちり合わせるのは指南の技だ。どちらかが過剰に期待すれば、過剰な分だけがっかりがやってくる。逆に、彼が思わぬサプライズを用意してくれていて、予期せぬ喜びがやってくることもある。それは「うんと幸せ」なのだけど、「丁度いい」とはまた別のものだ。丁度いいは、おそらく普段となんら変わりがない、いつも通りのささやかな場面で自分と自分の体の一部、あるいは自分と誰か、自分と状況がぴったり合わさったときに訪れる、とても希な幸福感なのだと思う。


自分に丁度いい服を選ぶのも意外と難しい。丁度よく呑み、食べ、丁度よく人を愛し、丁度よく仕事をし、がんばることも。些細な毎日の「丁度いい打率」を上げるには、ひとつの方法しかない。それは、自分の声をよく聞くこと。誰かの「丁度いい」を真似しない。憧れない。比べない。自分意外の声に踊らされて、「丁度いい」の基準が他のものへと移った瞬間、打率は限りなくゼロになる。そこには、表層的な幸福感や過剰な贅沢や、着ない服や食べきれないお料理が並ぶ。そして、幸福感に対して「もっともっと」と際限なく飢える自分がいるのである。

お風呂に湯を沸かして、身を滑り込ませる。「うーむ。本当に丁度いい湯加減になるのって、1年に1回か2回くらいなんだよなあ。」と、私はいつも思う。湯沸かしの温度設定はいつもベストの41度にしているのだけど、やっぱりその日の体調やお天気や肌の敏感さで、「ここだ!」とはなかなかゆかない。それがまた面白いし、ときたま訪れるジャスト湯加減に至福を感じられるのだから、幸せって奥深いなあと思う。










posted by 猫沢エミ at 23:52| パリ ☁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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