2012年04月12日

アン・ポワン。ボン・ポワン。


Emi NECOZAWA & Sphinx 1st Album【Pyramidia】
Release Anniversary LIVE @SARAVAH東京・渋谷 2012 年4月14日(土)
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今日はよく海外のことを思い出した日だった。と書くと、全部過去のことみたいに思われてしまうかもしれないが、私は過ぎた日々がたとえ昨日のことでも、こまめに思い出を反芻する、牛のようなところがある。

現在進行形の海外との繋がりは、主にフランスであるから、人から見れば旅の多い、しょっちゅう世界を駆け巡っているかのような印象を持たれるかもしれない。が。はっきり言ってしまえば私ほど出不精な、ほおっておけば家にばかりいる人もいないのではないかと自覚する。

日本人はもともと農耕民族の定住型だから、一所にいると落ち着く人々なのだと思う。例に漏れず私もそのひとりで、何か手を打たないと一生日本という小さな島国から出られなくなってしまうのではという不安の塊が、30歳をすぎての突如フランス移住に踏み切らせた理由なのかもしれない。そして、大変ではあったけれど、それは私の人生に代替えのきかない貴重な経験をもたらした。

それでも、人から「ジェットセッター」だの「活動的」だの言われるたびに、いえいえ何をおっしゃる…という気持ちが一番前に立つのは変わりがない。だって、東京にいればほとんど家にいて、しかも家の中の仕事部屋の椅子の上か、リビングのソファの定位置の2ヶ所、センチメートルでいえば、ほんの30p四方の上に居るだけなんだもの。パリだって同じだ。アパルトマンが見つからなくてパリの市内中を点々とした2年間を除けば、最近はパンテオンの裏手にあるアパルトマンの、仕事椅子の上と、ダイニングテーブルの椅子の上にちょこんといるだけ。そりゃ取材でたまに出かけることもあるけれど、仕事にしていなかったら、自分で旅をプロデュースすることはめったにない。ときたま、やっぱり仕事で旅に出ると、もうこのまま家に帰らず、ずっとずっと世界を巡ってみたい…などと思うこともあるれど、やっぱり家に戻って「落ち着くなー」とか言っているのが関の山なのだ。


海外に出ると、若い頃からものすごく旅をしていたり、いろんな国の学校を点々としている人に巡り会う。ところが、私の出会ったそうした人たちが、暮らした分量だけ何かを自分のものにしているわけではないことが、意外と多くわかった。点々として移動していることで、何かをなし得た気分になっている人もいた。もちろん、移動の分量だけ、たくさんの経験が体の中に落とし込まれて輝いている人もいたけれど、みんながみんなそうじゃないのが面白いなと思ったものだ。

逆に、プログラマーや家で作業する出不精を生業としているような友達で、びっくりするほど世界事情に長けている人もいる。アンテナは、その人の移動行動と、実はあまり関係なく、収拾した知識を自分の中へ落とし込む作業は、その人のセンスと好奇心、努力を楽しみに替える能力に比例しているのではないかと思うのだ。

石の上にも三年、という言葉があるけれども、おそらく仕事椅子の上にも三年、リビングのソファの上にも三年、なのだと思う。目の前を行き過ぎる情報の山から、自分の人生に必要なものを選び取るセンスや、人の価値観を自分の価値観にすり替えない勇気も含めて、何かひとつのことをやり出したら最低三年はかかるのだよ、という先人の教えは正しい。


牢屋に監禁されている人も、世界を船で渡り行く人も、その人が30p四方のアン・ポワンで出来ることすべてをやろう、知ろうと思えば世界は30p四方のボン・ポワンに変わる。出不精なジェットセッターは、いつもそんなことを考えてみるのである。






posted by 猫沢エミ at 00:39| パリ ☁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月10日

失敗コレクター/【津田メルマガ】補足♡


Emi NECOZAWA & Sphinx 1st Album【Pyramidia】
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つい先日、ツイッターの申し子・津田大介さんの発行されているメルマガvol.28に、私の「猫沢エミになるまで」インタヴュー記事が掲載された。これは、昨年5月7日に、津田さんと宍戸留美ちゃんが司会をされているユーストリーム番組「OIL in Life」に出演した際のトークを、そのまま文章化したものである。


しゃべるだけしゃべってすっかり忘れていたこの様子が文章化されて送られて来たとき、私は自分の半生をただの一読者として外側から見たわけだが、自分のことながら「なんて騒々しい半生なんだろう。知恵熱が出そう。」と思った。いや、実際に季節はずれのインフルエンザB型で発熱していた日でもあったから、本当に頭が痛い内容だった。


昨年は、立教大学の1日講師としてお招き頂いた際にも、未来ある学生さんたちに、これと似たような話を、経験談交えながらお話させて頂いた。成功談ではなく、自分の失敗だらけの人生を声高らかに話したのだ。メルマガを読んでくださった方々はもう、嫌っつうほどおわかりだと思うが、私の人生は失敗の連続&そんなつもりはなかった。の連続なのである。

打楽器の道へ進んだのは、オーボエが死ぬほどやりたかったのに入った吹奏楽部顧問に打楽器パートにされてしまったから。歌手になったのは、24歳で遭った交通事故で、一時右半身不随になってしまったが、それでもやらねばならなかったライブで太鼓が叩けず歌を歌ってお茶を濁したから。etc…


第一志望の大学へ落ちて第二志望の音大へ行くも、仮面浪人の末、翌年本当に行きたかった国立の芸術大学には出願書を出し忘れるというボケナスぶりで未遂に終わり、就職試験には15社全落ちし、生涯唯一の就職先で出会った会社社長には「君は性格が悪いから、これからどこの世界に行っても誰にも愛されないし、成功しないだろう。」と呪いまでかけられた。ちなみに、家庭問題が激化し、わりと暗黒だった20歳前後、さすがにいいことないなーと悩んでいたある日、どこからともなく現れた某宗教団体の、一見消臭スプレー売りを装った人に家まで上がり込まれ、本名の字画をむりやり鑑定されたら「およ!七代先の父方のおじいさまの愛人に祟られています。これを払いのけるには、あなたが尼になるしか道はありません。」と言われ、実家の母に相談したところ「そうね!あんたが尼になれば全部解決するかもね。尼になれ!あはは」と電話を切られた。

破天荒な父に苦しめられて大人になった側面もあったから、真面目なサラリーマンと早く結婚して幸せな家庭を築きたかったが、それも叶わなかった。最初にキスした人は付き合い始めて半年後、肺がんでこの世を去った。その後も付き合う男がことごとく変わり者ばかり。ある人などカード限度額一杯使い込まれて消息不明。堕胎魔にセックスレスと、お悩みドンキホーテ状態だった…と、こんな風に書くと不幸で仕方がない風に見えるでしょうが、人様がなかなか経験しない不幸とセットで、人様がなかなか経験できない豊かな人生を送ってきたと思っている。しかも、不幸な出来事というのは過ぎてしまえば、これ以上ない強力な笑いや希望のネタになるというおまけもついてくる。

ネタ、というといやらしい響きかもしれないが、何もこうゆうところに書けるだのお金に変わるだのそんなことではない。ネタと書いて自分の引き出しと読む。感情をコントロールし、現実から目をそらさずに対処できる経験値の高さのことである。よく「哀しいことがあると人は強くなる」と言うが、それをもっと具体的に言葉にすれば、つまりこうゆうことなのだと思う。どんなに酷い目にあったって、嫌なものは嫌だし、哀しみの数値が減るなんてことはありえない。ただ、物事に対処しすぎて疲れ果てた荒野の先、ひとりぽつんと風に吹かれている自分は、不感症になっているのではなく、実は「より冷静に自分を見ている」のである。どうせ涙を流すのなら、哀しいことではなくて、むしろ嬉しいとき、美しいものに出会った時に流ししたい…と、哀しいことに泣き飽た人間は思うものだ。だってさー、たった一度の人生なんだもの。私は生まれ変わりなぞ信じていません。

そうして、目の前にやってきた電車が何行きなのかを確かめることもなく、飛び乗り続けてまもなく42歳。そろそろ子供も生めなくなるし、老後の貯蓄もないけれど、人生のディレクションは間違っていないなと思える。このバリエーションに富んだ不幸と、アクシデントと、やってきたそれらのことを、不幸が起きた時点で「失敗」と決めつけないことで、私はカードをひっくり返して来た。運命なんか、いくらでも変えられるんですよ。手強いやつなら、万力でねじ曲げて好きな形に変えればいい。これから先も、どうせいろいろあるだろう。だって、自分が自分であるが故に、こうした出来事を引き寄せているのだから。


もう別に何も怖くない。本当に怖いのは、何かの拍子に無駄に幸せになって、自分のバイタリティーが損なわれてしまうこと。本当の不幸はそこにしかない。もしもそんなことになったら死ぬほど嫌なので、ずっといろんなことに見舞われて、苦労する人生の方が、私にとっては最上級に幸せかもしれない。ゴット・ブレス・ユー♡



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posted by 猫沢エミ at 23:45| パリ ☔| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月02日

Bonne année 2012♡



明けましておめでとうございます。今年も益々、猫沢エミをどうぞ宜しくお願い致します。

明けたなあ…明けた。というのが、最初の感想だった。それは、「明けない年はないのだ。明けない夜がないのと同じように。」という発想の「明けた」であった。



2011年は、日本にとって災難続きだった。3月11日の大地震、その後の原発放射能汚染、続く余震に不況、政治の不在etc…。先日、初めて日本にやってきたフランス人の仕事仲間ブリュノは、電車に乗るたびに出くわす人身事故に驚いていた。なぜ死を選ぶような人生が、ここには多くあるのか。

東京だけではない。被災地でも、国に見放された多くの人たちが死を選んだ事実は、あまり報道すらされない。そんな、希望を持て、と言う方が酷な状況下で、私たちは日本人という民族の単位と、最小民族単位の“一個人”の両方で苦しんだ。私も苦しかった。故郷・福島が汚染され、いまだ帰郷をためらう辛い気持ちと、震災直後の、たびかさなる大きな仕事のキャンセルで、一時は寄付をするどころか、自分の食い扶持すら困窮する有様。そんな中、5、6月と滞在していたパリで、2つの大きな日本復興支援プロジェクトに携わり、できることをがむしゃらにトライした。TAHITI80やカミーユたちとライブをして、資金をあつめ、それは80台のガイガーカウンターとなって、日本に送られた。それが、きちんと行くべきところへ行っているか、いささか不安な気持ちはあるものの。

そうなのだ。やってもやっても、あまりにも自分の力が微力すぎて、被害が大きすぎて、どうしたらいいのかわからなくなって無駄に泣いてみたりする日は、今もある。泣き、に無駄、とつけたのは、無駄ではないとわかってはいても、やっぱり泣いているだけじゃ、なんの役にも立たないどころか、ひとり悲劇的になって感情をやっつけているだけなんじゃないかという呆れが入っているから。けれど、この非常時に、人間らしい個人的な哀しみや喜びは大事なものだった。亡くなった多くの方を思えば、生き残った自分は申し訳ないが、それでも喜びながら生きてゆくしか術はない。

震災後、いろんな仕事がキャンセルになって、どうしたもんかと頭を抱えていた頃、こうした個人の哀しみは、口に出せないような空気が漂っていたことを思い出す。津波に流されて、一家を失った人がいる中で、私はいつも思っていた。どんな非常時でも、非常時以外にごく当たり前にある個人の悩みは今もどこかで起きていると。昨日彼氏と別れた人、病気で我が子を失った人、会社を首になって不安にないなまされている人、もしかしたらお風呂場で石鹸に足を滑らせて頭を打って死んだ人もいたかもしれない。どんな哀しみも苦しみも、大小のそれとは関係なく、その人にとっては大事な哀しみであり多大な苦しみであることは変わりがない。その価値観が、なにか別なものと比べられてしまう、軽んじられることはよくないことだと。

それからしばらくして、私はパリに行き、愛する日本の痛ましい姿を国の外側から見た。そのことで、ずいぶんフラットな気持ちを取り戻せたかもしれない。帰国後の夏から年末まで、懸命に働いた。デモにも参加したし、できることは精一杯やったが、打っても響かない政府はそもそも打つ鐘すらどこかに隠してしまったかのよう。(それでも、デモ参加もすべてのことも続けるべき)もうこうなったら国の最小単位である自分が大きくなるしかないと真摯に思ったのだ。

日本人は、大きな単位にごまかされがちで、ややもすると命や人生まで捧げてしまう。でも、それでは最終的に国や民族の単位まで衰弱してしまうのだ。フランス人に学んだエゴイスティックで超個人的な幸せ追求の発想は、結果的に国を強く豊かにしたと私は考える。今、日本人であるあなたとあなたと、私は、自分の持ち場をがっちり守って、一見エゴイスティックなまでに己の力をつける時期ではないかと。そして情報にまどわされない。自分の意見をいつでも人に言えるくらい形にして、頭とその心に持ち歩くこと。かけがえのないひとつの命を預かっている自分に対して責任を持つ事。頭に浮かんだアイディアを、できるだけ速いスピードで行動へ移すこと。「できない」とはじめから決して思わない。絶対に。

悩んでいるだけの時期はもう終わり。そうして、私は2012年を駆け抜けて行こう。ときどき泣いて、自分を叱って、心から愛しながら。





posted by 猫沢エミ at 07:13| パリ ☁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

にゃんこ先生になる日〜立教大学・特別講師のこと



Recording Live ! SARAVAH Tokyo −猫沢エミ・レコーディングライブ@サラヴァ東京2011 年10月24日(月)25日(火)2days只今、絶賛ご予約中♡

猫沢エミのフランス映画教室 N°3ーCours de Cinéma Français de Emi Necozawa−numéro 3 2011 年11月6日(日)限定25名様限り!


にゃんこ先生petit.jpg

Photos.湯本浩之先生


私は子供の頃から現在に至るまで、納得出来ない目上の立場の人々(たとえば、先生。たとえば仕事の上司にあたる人)などに、ことごとくタテついて生きてきた。いや、誰かれかまわず反抗的な態度を取ってきたわけでも、夜の校舎窓ガラス割って歩いたわけでもない。怒りを持って抗議するのは、きまって「筋の通っていないことを上から目線で偉そうに言う、もしくはそうした行為で、彼らにとって勝手に“目下の人間”と定めた相手を無用に傷つける行為をした」人々に対してである。

小学生のある日、授業中に先生から無用な罵倒をされた同級生がいた。自分とはまるで関係のないことだし、別にその同級生を哀れんでかばおうと思ったわけでもない。でも、許せなかったのだ。それをしたのが先生だからではない。ひとりの人間として、筋が通っていないと思った。それで休み時間、教員室に乗り込んで「先ほど先生が言った言葉、行為に対して、断固抗議する。」と申し出た。ずいぶんと生意気な小学生だったかもしれない。しかし、生まれ出でて十数年しか経ってなかろうが、私はすでになにかしら自我のあるひとりの人間だったし、その点では、上も下もないだろうと心底思った。申し出られた先生は、はじめ驚いていたが、最後には「私が悪かった。」と自分の非を認めた。人は社会的に偉かろうが経験があろうが、死ぬまで不完全な存在だから、間違えることは罪ではない。大事なのはその後で、謝った先生は立派だった。もしかしたら、夕べ奥さんと喧嘩して気分が荒れていたのかもしれないし、つい出来心だったかもしれない。けれど、子供にとってそれは、一生心に残る傷となることもある。だから、とても大事なことだったのだ。

と言う具合に、私は子供時代、すでに「教育ってなんだろう?」なんてことを、生徒という逆の立場からずいぶんと考えていた。難しいことではない。生徒としての自分がなにかしら思うところがあるのだから、その逆の立場の考え方も自動的に想像してしまう。そうゆう自然な発想で。その日の行為を母に話すと、彼女は「偉い!立派なことをした。」と手放しで褒めてくれた。とんがってて意思が強く、扱いづらい子供だった私は、いい先生と母に恵まれて幸せだった。

ところが、社会に一歩出た途端、それはことごとく仇となる。就職した先の社長に嫌われ「君は性格が悪いから、一生どこにいっても必要とされないし成功もしない、誰からも愛されない。」と呪われ(笑)お世辞もまるで言えないので、事情最悪の世渡り下手と成り果てた。それでも、「違う」と思うことを「正しい」に変えることはできず、度重なる辛い仕打ちもなんのそのでここまで来てしまった。巧く立ち回れば済んだこともずいぶんとあったけれど、それでもこれでよかったと今は心底思える。多大なリスクはあったけれど、自分の領域をクリーンなまま守ることができたから。そして、本当に自分にとって大切な人だけが残り、その大切な人たちと大切に人間関係を作ってゆける環境へ最終的には辿りつくことができたから。とても時間がかかったけれど。

そんな私が、先日立教大学で1日限りの“にゃんこ先生”となった。講義は、文学部基幹科目「職業と人文学」という科目名で、900人の生徒さんを相手に、今まで自分が歩いてきた道のりを、ざっくばらんに話すというものだった。つまり、生徒さんに「こんな生き方もありますよ。」ということを知ってもらい、人生にはたくさんの選択肢があるのだということを知ってもらう授業である。この講義で講師をする様々な職種の人をコーディネートしている市川さんに、はじめてお話を頂いたとき「こんなドブ板を踏み抜きまくっている人生の私が、未来ある生徒さんに希望の種を渡せるだろうか?」とも思ったが、寄り道の多い人生だからこそ、何かヒントをあげることができるかもしれないと思いなおし、受けるに至った。

講義はとても楽しかった。生徒さんたちは、はじめ「誰?この人。」という面持ちだったが(そりゃそうだよ。笑)授業が終わるころには前のめりで聴いてくれている人も多く見受けられた。ぐっすりと気持ちよく寝ている人ももちろんいたけれど。(寝るよねー。私もそこにいたなら寝たかもしれない。笑)講義が終わったあとはさらに楽しかった。何人かの生徒さんが、とても真剣に様々な質問や悩みをストレートにぶつけてくれて。よく「今の若いものは…」なんていう年長者がいるけれど、時代が変わっても核は変わらない。私はそう思う。だから、私が自分を模索し、悩んだ20歳頃となんら変わりないまっすぐな目をした生徒さんが愛おしかった。

講義を終えて、いつものごとく駆け足で次の仕事へ向う電車の中で、本当にたくさんの生徒さんがツイッターでメッセージをくれた。「ちまちま悩んでいた自分がちっちゃく見えた。」「前だけ見て進むのもいいなと思った。」「勇気が出ました。ありがとう!」など。勇気をもらったのはこちらの方だよ。だって、中・高の教員免許をかろうじて持っている私だけど、おそらく、本当の教育の現場に入ってしまったら、私は“生徒のための先生”にはなれなかったかもしれないんだもの。それは、政治家が政治の世界に入ってしまうと“国民のための政治家”にはなかなかなれないのと似ている。

そんな、先生にもなれなかった私に、1日だけ“にゃんこ先生”になるチャンスをくれた立教大学の先生方、市川さんに深く感謝したい。とにかく私がこの日、みんなに言いたかったのは《チャンスはピンチの顔してやってくる》《失敗を、失敗した!と思った瞬間に失敗だと決めつけないで欲しい。》ってことかな。失敗は、すべてを生み出す種なのだ。自分と向き合い、そこからどう自分と付き合うかで、後々「あれは失敗ではなかった。」と思うことが山のようにあるから。

それと、時間がなくて言えなかった大事なことがある。それは、自信を持って欲しいということ。ここで言う自信とは世間一般で言われているような、人に見せびらかすあの自信のことではない。自分を信じると書いて“自信”。これから人生の中で、誰にも認められず、孤独と戦う場面もきっと出てくると思う。けれど、そんな誰も自分を見てくれない時期こそ、自分だけが自分自身を信じてやれるかどうか。それは簡単なことでないけれど、それが出来たら、どんな山も越えてゆける。あの日、タッカーホールにいた900人の生徒さんには、真の自信を持ち、常に自分と手を繋いで生きて行って欲しいと思う。


PS/もしもまたこんな機会に恵まれたら、生徒さんに「にゃーんこせんせーい!」って言って欲しい。そしたら私が「なんですかなもしー!ハイ、授業始めます。」っていうのが、新しい夢です。よろしくどうぞ♡(笑)

授業petit.jpg


生徒さんpetit.jpg


Photo1. はい、こんにちは♡にゃんこ先生です。
  
   2. 立教大学タッカーホール。歴史あるこの場所で
     講義が出来て、幸せ者です。

   3.生徒さんたち。みんな可愛かったなー。











posted by 猫沢エミ at 00:55| パリ ☁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月22日

ピュア論



突然だが、私はとても頭が悪い。いわゆる世間一般で言うところの「勉強」ができないサイドのおばかさんだ。特にひどいのが記憶力。歳を重ねるごとにひどくなっていて、特に興味のない事柄への忘れっぷりは甚だしい。(最初から聞いていないという失礼も相まう。すみません…)それなのに、どうして今のような仕事が、まだまだ未熟とはいえ出来ているのか?と考えてみたら、おそらく受け止めた物事を自分なりに理論化するための、感情への落とし込みがものすごく速いからなのだろうという結論に行き着いた。

感情へは落とし込まずに形だけ理論化する人もいる。ただ、そうゆう人の文章や思考は得てして面白くない。噛み砕く、というのは非常に個人的な感性の仕事で、誰それの文章や形を踏襲するだけに留まってしまうものは、読んでいても単純にぐっとこないものである。受けた物事を、見たものの感動をすぽんと感情へ落下させられるか否かは、その人がピュアでいなければ出来ない。「ピュア」なんていうと、世の中で勝手なイメージが出来てしまっている♡付きのおためごかしかと勘違いされそうだが、ピュアの本当の姿は残酷で厳しいものだ。

感性をむき出しに、服も着せずに丸裸でさらしていると、風邪もひきやすく、悪いものにもやられやすい。子供を見れば一目瞭然。彼らは、かわいいのと同時にとても残酷だ。それは人間社会を渡るためのすれっからしな知恵を身につける前の丸裸で生きているからなのだ。感性が鋭敏であるというのは、美しいものへ瞬時に反応できるのと同時に、非常に過酷な現実と隣り合わせで生きることに他ならない。偉大な作家や絵描きがイカレなのは、自然の道理である。彼らは、イカレVS社会的に人の形をしていられるぎりぎりのところでせめぎあって生きている。

私の敬愛する作家、そして哲学家にサルトルがいるけれども、彼も完全にイカレ(人はそれを天才とも呼ぶ)である。ただ、彼のすごいところは、自分のイカレをイカレたらしめ生きられるよう、流麗に社会を飼いならす術も持ち合わせていたところだ。(彼の場合、この術が目的ではない。誤解なきよう!東方の島国にうじゃうじゃいる権力者とは真反対のものである。)彼の実存主義やその他難解な哲学書は、最終的なエッセンスの集大成で、出発点ではないように思う。「嘔吐」を始めとする小説の世界には、彼の哲学理論の人間らしい原点を見ることができる。そこには、物を見た瞬間、高純度なまま感情にその景色を落とし込む、目も眩むようなスピードが現れている。スピードが速ければ速いほど、落下時の摩擦熱で磨き上げられ、恐ろしいまでに言葉は輝きを放つ。そこへ猛烈に「勉強」も出来たのがサルトルの偉大なところでもあるのだけど。俗でありつつけ、残酷なまでにピュアであり続けられるよう、身近な人(彼の場合、その被害者兼幸いの人はボーヴォワール。彼女の話は今度ゆっくり…)を生け贄にして、社会に存在価値を認めさせ、結果として歴史に名を残した。

サルトルもただの人だが、私を含むもっとただの人だってピュアでいるのは大変なことだ。大抵の人間は、それがやっかいで恐ろしくって服を着てしまう。生きやすくはなるかもしれないが、同時につまらなく、世界から得られる情報が激減するから、おのずと様々な真理を見つけるのも難しくなる。ってことも忘れちゃうところがまた寂しい。だからピュアであることの恐怖とまっこうから闘う人を私は愛する。子供や動物が愛おしいのも、見た目がかわいいからではない。過酷な場所に彼らが居続けるからなのだ。真のかわいさとは、厳しさと闘った末に自然と生まれる魅力的な抽出物だ。

「女は女として生まれるのではなく、女になるのだ。」と言ったのはボーヴォワールだが、人も同じく。人は人として生まれるのではない。獣として生まれ、やっと人の形になって健気に生きる、もしくは獣として生まれたにも関わらず、人間の皮をかぶって人に成りすまして鬼畜になるかのどちらかだ。感じるのは苦しいことだ。けれど、感じることは生きることそのものでもある。だから、揺れることに苦しんだりしなくていい。それはつまり、あなたがピュアである証拠なのだから。おそらく私も、同じく。









posted by 猫沢エミ at 04:24| パリ ☁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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