2011年09月18日

玉姫様、乱心。


110917petit.jpg




タイトルは、戸川純とヤプーズの名曲“玉姫様”の歌詞である。なぜ玉姫様がご乱心なのかといえば、月に一度、女性にはかならずやってくる生理のせいであり、その時の女の恐ろしさを見事に歌い上げているのがこの歌というわけ。と書いても男性諸君にはぴんとこないか、もしくは、彼女や身近な女性から当たり散らされたなどの経験ありならば、その惨状を思い出して、ため息が出るかもしれない。

こらねえ…きついんですよ。ほんとに。もちろん、個人差も症状もいろいろあるわけで、一概にどのあたりがきついとはいい切れないのだけど、総じて気分は低迷し、集中力は散漫になり、感情のコントロールが難しくなる。心の変化に対して、体の方は、やたらと眠い、腹や頭が痛い、食欲がむしょうに増す、など。女性の体とは神秘そのもので、月のものは出産になぞらえることができるのではないかと思う。妊娠し、子供を産み落とすそのプロセスを、低いレンジではあるけれど、月ごとに繰り返す。その様子は、定期的に荒れ狂う海であり、天候であり、噴火する大地であり、満ちかける月である。そんなことを毎月やってるんですもん。その波を体に内包する女性は、生きているだけでなかなか大変なんですよ。いい変えれば、それだけ生命を生み出す子宮の機能とは、摩訶不思議で神聖なものなのだ。

いわゆる“生理前鬱”に対処する方法も、各人様々だと思うのだけど、某友人は「イライラ解消用の安い皿を集めておいて、玄関先で割りまくる。」などという猛者もいる。私の場合は、無抵抗。おぼつかない足取りで、素直に「ダメだ。」と涙ぐんでみたりする。パートナーにおよぶ被害を最小限に食い止めるために「玉姫様です。」とあらかじめ宣言する。その間の暴言や愚痴を大目に見てもらうためにも。幸いなことに、今まで玉姫様が原因で彼氏と別れた、仕事が破談になった、家が炎上したなどという悲劇は起こっていないが、もしかすると、女性の犯罪者には、玉姫様ゆえ…という人がひとりもいなくはないように思う。

ところで、数年前に子宮の病を患って、3年間ほど低量ピルを飲んでいた。低量とは、読んで字のごとく、女性ホルモンの分泌を低いレベルに押さえる薬のことである。これによって排卵が一時的に止まり、避妊効果がある他、女性ホルモンを食べて成長する女性器官系のガンを防いだり、腫瘍の成長を抑えたりする効果がある。しかし、総じて気分がダウンぎみにもなる。(これも激しく個人差があるので一概には言えないのだが)薬の合う、合わないも大きく関係していて、私の場合、合うピルを探し当てるまで3種類の異なる薬を試したが、その中のひとつをお試し期間中、毎日死にたくて仕方がなかった。(笑)ところが、死にたいのは、そのときの人生全般が芳しくないせい、もしくは自分自身の修行が足りないせいだと思い込み、主治医に申し出ぬまま、耐え続けた。ある日「やばい。本当に死んでしまう。」と感じ、主治医に「あのー。毎日死にたいのですが。」と進言すると「なぜ、すぐに言わなかったんですか?」と優しめに叱られた。だって…修行が足りないと思ったんです。とは恥ずかしくて言えなかった。しかし、薬を替えて、それが体に合ったことで、飲み続けても平気なレベルまで快復して事なきを得た。と思っていた。つい数ヶ月前までは。

いや、実際に平気だから3年も続けてこれたのだ。だがしかし、ピルで抑えられるはずのものが、私の場合たいして抑制効果がないことが定期検査の結果でわかり、飲んでいることに疑問を感じた。それで、ためしに1ヶ月辞めてみたところ、やる気がみなぎり、色彩が鮮やかになり、艶っぽい欲望も戻ってきて驚いた。そう。なんか、ぱさーとしていたのだ、この3年間は。それで、もう少しの間、辞めてみたいと主治医に申し出たところ「じゃあ、辞めましょう。リスクに関しては、定期検査を怠らず、こちらでも注意深くバックアップしますから。リスク軽減のために、人生がつまらなくなるのはそれこそつまらない話です。」と言ってくれたのだ。もちろん、こんな理由ではピルを辞められないもっと深刻な体の状況を抱えている女性もたくさんいるだろうし、人によっては、ピルを飲んでもなんともなくて、むしろ飲んでいる方が利点が多い人もいると思うから、私の話は、ひとつの事例として捉えて頂きたい。ちなみにピルを飲んでいてよかったこともたくさんあった。基本的にロウだから(笑)というのもあるかもしれないが、玉姫様期間がほぼない。生理自体がとても軽く3日間ほどで終わってしまう。ものすごく規則正しくやってくるので、仕事などの予定を立てやすいなど。

ピル期間を終えて現在。中海の静けさから再び、なんでもありの大海原に小舟でこぎ出した私は、容赦ない生命の獣に抗いつつ、たまに噛まれて泣きべそかいたりしつつも、女性の神秘と素晴らしさを体感中なのであります。


Photo:日本で認可されている低量ピルの中で、私に最も合ったのは
    バイザー製薬のトリキュラーでした。海外のようにもっと
    多種多様なピルが認可されれば、もっと選択肢が広がる
    のだけどなあ…ちなみに保険の利かない日本では、こちら
    1シートが約¥3,000と結構家計を圧迫したりも。
    政府と製薬会社との癒着があるのか知らんけど、抗がん剤など
    も含め、新薬の認可が遅すぎる時代遅れの名ばかり先進国。








posted by 猫沢エミ at 01:31| パリ ☁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

耳の上、3pあたりにあるスイッチ。

LIAISON−La fête de fille @渋谷Liaison 2011年3月12日(土)
限定30名様限り、ご予約はお早めに♡ 春にふさわしいスペシャルプレートも登場!


Le 20ème anniversaire de mort de Serge Gainsbourg @Le Baron de paris南青山 2011年3月2日(水)



080702カフェ.JPG




ららー、もう3月。そして、まだ3月。

何事にも‘もう’なのか‘まだ’なのかで、たったそれだけのことでも物事はずいぶんと印象を変える。たとえば、お財布の中にわずかばかりしかお金がなかったとする。それを100円としよう。「もう100円しかない。」と「まだ100円ある。」では、100円そのものの重みと、目の前で起こっている現実の明度がかなり違ってくるのではないか。お金がない、という問題からはどうあがいても逃げられないのだとしたら、なるべく、物事を明るくとらえた方が得なのだ。それをただ、しんどいと思ってしまっても、そこを脱出する間は問題と手を繋がねばいけないわけだから、出来るだけ、発想の明度を高く保ったほうがいい。

とまあ、これはわかりやすい例のひとつでしかないのだけど、人生は、こうした些細な問題やら気の滅入るような縦糸で織られた長いストールのようなもの。たまにきらりと光る素敵な出来事は、この縦糸あっての横糸でしかないんだものなあ…というようなことを、気に入りのストールを洗いにかけるとき、つくづく思うのである。

ところで、日々生活の中で見舞われる、腑に落ちない嫌な感情や出来事と、自分はどうやって向き合っているのだろう?と考えてみたのだけど、いや、意外と全部が全部、向き合っちゃいないのだ、ということに気がついた。じゃあ、どうしているかといえば、耳の上、3pくらいのところにある(と、イメージする)切り替えスイッチをぱちんと変えるだけである。こんなのもある。すごく嫌な感情にとらわれて、家に戻って来たとする。目の前にひとつの段差やラインを見つけると「ここ踏み越えてしまえば、あれは全部遠い過去になる。」そう思って、軽々と超えてしまう。すると、嫌な気持ちはとたんにさっぱりとして‘なかったこと’ではなく‘昔のこと’に、なる。なかったこと、にしてはいけない。よくよく考えてみれば、不慮の事故とか天災なんてもの以外のこの世の出来事は、すべからず自分自身によって起因しているものから。だから、問題の芯は失わず、そこにつきまとう感情という、とてもやっかいで曖昧なものだけを、過去の出来事にさっさとしてしまうのだ。すると面白いことに、嫌な気分だけが取り除かれて、最速で問題の核心が見えてきたりする。それを、自分の目の前において、正面から見つめればいい。

嫌な気分、という曖昧なくせに、いつまでも足下にまとわりつくスライムみたいな物体は、物事の明度を失わせるだけでなく、大事な核心にたどり着く気力も萎えさせる。落ちてる場合じゃないのだ。せっかくの人生をできるだけ楽しむために。鮮やかな横糸の織りなすきらめきに包まれるために。

その錦糸を存在たらしめる太く険しくずうずうしい縦糸を、感情抜きでがっちりさっさと見つめるために、イメージする。耳の上、3pのところにある切り替えスイッチを。私のそれは、金とゴールドと小さなダイヤがはめ込まれた、それはシックな一品である。



Photo:デジカメのバッテリーチャージャー、未だ行方不明…(観念して買います。)
   というわけで、写真はもうちょっとお待ちを!かわりに、パリの写真でも
   見てください。本文とまるで関係ないけれど、ゲンズブール・ウィークということで。
   *2008年、サンジェルマン・デ・プレ。









posted by 猫沢エミ at 17:43| パリ 🌁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

得手不得手。

LIAISON−La fête de fille @渋谷Liaison 2011年3月12日(土)
限定30名様限り、ご予約はお早めに♡ 春にふさわしいスペシャルプレートも登場!




午前中、会計仕事をしていて自分にとっては重大なミスを発見した。ところが、どうしてそんなミスをしてしまったのか、まったく記憶がない。書類を眺めてもミスに繫がるような形跡はどこにもなく、加えて作業当時の自分の状況すら思い出せない。

ああ、またなのか。と、思う。私は事務仕事全般がとても不得手だ。しかし、事務所を独立してからというもの、こうした運営にまつわる土台の仕事もやってゆかねばならないことは覚悟したし、努力もした。昔に比べれば、格段にそういった心がまえも仕事自体の慣れも生まれたものの、苦手なものは所詮苦手なのである。

そもそも、中途半端な自分の存在がいけない。世界が認めた才能あふれる偉大なアーティストならば、どんなに社会性がなかろうが、生み出した作品によって大きなお金を得て、他の仕事はそれに向いたスタッフをやとって任せられるから問題がない。よろしくないのは、私のような才能と呼べるのかどうかわからない中途半端なものを持って生まれ、どっちもやらねばいけないやつ。&ゴッホのように偉大な才能を持ちながら、生きているその時代には認められず、うおうお言いながら作品を生み続け、しんどい人生を送る本物。しかし、ゴッホにはテオがいた。本当にテオがいてくれてよかったなあ、ゴッホ。と、今度オーヴェール・スューロワーズのふたりの墓に行ったときに、語りかけたい。

しかし、ときたま歴史はガリレオのような万能選手も生み出すけれども、私を含めたそこいらの人間は万能ではなく、得意分野と不得意分野があるものだ。私の場合、曲を書いたり歌詞を書いたり、文章書いたり、絵を描いたりと、何もないところから何かを生み出すのは得意である。ところが、もともとそこにあるものをどうにかすること全般が大変苦手なのである。しかし、人間社会の`作業´と名のつくもののほとんどが、このどうにかする属に入っているため、私は自然と社会性に欠けた人、ということになってしまう。その姿は滑稽極まりない。得意分野では、限りなく有利に働く恐ろしい集中力も、一歩街へ出た途端、乗っている電車から降りられない。今、どこにいるのかわからなくなる。などの弱点へと化す。これらの理由は、アイディアが頭の中に浮かんだ途端、周りのことが一切見えなくなる。という非情な集中力の賜物だ。つまり、人の得手は、場所を変えれば不得手となり、また逆を言えば、不得手なところがあるゆえに、その人の得手が生きてくるのだろうね。

昔、ある友人に「苦手なところへいくら時間を使っても無駄なのだから、そこは人にまかせて得意なことだけやればいい。」と言われたことがある。とても合理的でもっともな意見だと思った。それと同時に「みんながみんな、テオを持っているわけじゃないんだよな。」とも。そして、やっぱりテオのいない私は、苦手なことを得意なことの10倍くらい時間をかけてこつこつ、日々やっているわけなのだけど、それはそれでいいんじゃないかとも思えてきたのだ。

たしかに時間はかかる。けれど、不得手なこと=弱点と向き合う亀の歩みのような進歩にも、得手が前よりも輝くプラス要素がちゃんと含まれているから。好きなことだけやって、生きて行く(行ける)のもまたよし。苦手なことにもチャレンジして生きて行くのも、またよし。そうだ、よしよし。得手をかわいがりながら、不得手を育ててにゃんばろう。






posted by 猫沢エミ at 17:32| パリ 🌁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月01日

一時間。

  
Quand la femme tient la barre de sa vie N°3−猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS
2011年2月12日(土)19:00 staet

ー`女が人生の舵を取るとき´トークショーつき、限定50名様限り♡ー


   

人形町の裏路地にある、大好きだけれどたまにしかいかない喫茶店へ久しぶりに行ったのである。そもそも、喫茶店でお茶をするという私にはちょっと贅沢な行為自体が久々である。

先日パンクした自転車の前輪を直すために、街の自転車屋さんへ車体を預けると「一時間で直ります。」と言われた。一時間かあ…明日取りに来てもいいですかね?と尋ねたら「いやー、夕方バイクがいくつか入ってくるんでね、できれば今日引き取って頂きたいんですよ。」とおじさん。そこで思った。私は一時間をけちってどうしようというのだ。せっかくなのだから、その一時間を満喫すればよいじゃないか。一時間すらもったいないと反射的に思ってしまうほど、最近の私はいろいろと貧乏性になってしまっていたのか、と。

腕の立つと評判のおじさんに自転車を預けて、ふらりと街をまわった。そのとき、あの喫茶店の角へ偶然さしかかって、久しぶりに入ってみたくなったのだ。そこは、上品な老マダムがひとりで営む店で、コの字のカウンターがあるだけの、おひとりさまにはもってこいの空間だった。そして、昭和をにおわせるインテリアと、マダムがこの店を始めたときに自分で縫ったという、店名によく似合う薄いレモン色のカーテンが窓にかけられている。

「昔はね、兜町の株の仲買人が、このカウンターで札束を重ねて商談しているのが日常の風景だったのよ。あの頃の人形町は、それはそれは活気に満ちていた。」と、前にマダムは話してくれた。今は、品のいい若いムッシュがひとりと、疲れたような顔をした四十の女がひとりきり。昔に比べればずいぶんと静かになった街の、それでも街らしい喧噪も、薄いレモン色のカーテンが優しく隔絶してくれる。そこで、とびきり上等でもなんでもないが、とびきり丁寧にサーヴされたコーヒーをゆっくり呑んだ。体と心が目に見えて虚脱し、広がってゆくのがわかった。ずっとちぢこまっていたから、なおのこと、よくわかった。

マダムとふたりで、店のTVから流れる、午後のありきたりなドラマをぼんやりと見た。それは、お母さんが旦那と別れてシングルマザーとして独り立ちしようとしているドラマだった。若いムッシュは先ほどお勘定を済ませ、帰ってしまっていた。店の中には、三人の様々なひとり身の女だけが残った。心が広がりすぎたのか、私はがんばるお母さんの姿に涙がちょっとこぼれそうになって、慌てて店を後にした。ここのところのお天気話をマダムに置いて。

店を出ても時間があったから、こちらも久しく行っていない図書館へぶらり足を運んだ。昼日中から、結構な数の男性が無心に本を読んでいた。おだやかそうに見えてしまう他人の人生も、この本の数ほど本当は複雑なのかもしれないと思いながら、ゲーテの詩集をしばし読む。性懲りもなく多恋な、その詩人は謳う。`君の側にいると、悩み事が全部消えてしまうんだ。僕は君を愛しているのかどうかわからない。´

自転車屋のおじさんがくれた一時間が過ぎ、またもとの店へ向った。おじさんは言った。「何かが刺さったような穴が空いてましたけど、直りましたよ。ちゃんと、直りました。」

修理代は、思いのほか安く、自転車は思いのほか乗り心地がよかった。








posted by 猫沢エミ at 22:56| パリ 🌁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

ここ数日の玄界灘デイズを。

  ツイッター始めました♡@necozawaemi

少しご無沙汰してしまいました。いやー、厳しかった。この1週間。というわけで、ここ数日のあれこれを。

木曜日。3時間睡眠後、朝から打ち合わせと仕事の種まきという、仕事になるのかどうかわからないけれども、とにかく撒く活動後、仕事がらみの食事会へ出席のため、普段まず行かない中延あたりへ。ところが、都営浅草線は、行き先によって神奈川県に行っちゃうのよーというのを、あまりに久しぶりの乗車だったため忘れ、気がつけばまんまと三崎口へ向っていることに、神奈川県内に入ってから気がつく。しかも乗ったのが特急で、降りようにも降りられない。さようなら、東京…私は三崎港でまぐろ食って漁り火見ます…って、仕事相手の食事会だっつってんだろうがあ!急ぎ、先方にメール。ぜえぜえいいながら到着したレストラン。ところが、ほとんどの人がこの辺境?のレストランにたどり着けず迷っているとかで、九死に一生を得る。宴、シンデレラタイム近くまで続く。夜、寒すぎる。我が家へ向う隅田川上の橋の上で、身の切れるような川風に、人生の厳しさを感じる。


金曜日。3時間睡眠後、朝から打ち合わせと仕事の種まきという、仕事になるのかどうかわからないけれども、とにかく撒く活動といういつものパターンのはずだったが、目覚めると、打ち合わせの時間からきれいに30分遅れた恐ろしい時計が目に入った。半パニックになりながら先方に電話。平謝りの末、化粧もそこそこにタクシーでかけつける。先方、こちらの玄界灘ウィークを理解してくださり、ぜんぜん怒らず。(すみませんでした…)しかし、目覚まし時計の音がひとつも聞こえないほど深く眠っていたんだなあ。としみじみ己の体が心配になる。夕方Bonzour Japonの次号第一校正作業へ。この時点でかなりグロッキーだったものの、そんなことは言ってらんないや…と思っていたら、突然左腕の内側に隙間なく湿疹が勃発。一瞬、急性じんましんを疑ったが、どうもそれとは違うみたい。昔、本をいっぺんに2冊上梓した際、過労が原因で急性じんましんになり、緊急入院したことが思い出される。怖いんだ、ありゃあ。目に見える皮膚の部分の気味悪さはたいしたことじゃない。問題は、表皮と体の内側の粘膜は繫がっていて、その粘膜が腫れて気道が塞がってしまうことが。私はその一歩手前まで行ってしまい、それは辛かった。じんましんではなさそうだが、これは完全に体がストライキを起こしているのだ。「休ませろ!でないと、もっとひどいことになっちゃうぞ。」と。わかってるんだよ、体ちゃん。でも、もう少しなの。がんばって。いや、一緒にがんばろうよ…。朝3時に帰宅。まっすぐに歩けず、湿疹も未だひかず。ベッドサイドにあるライトを消せぬほど、床in してから2秒で入滅。


土曜日。さすがに昼近くまで爆睡。腕の湿疹はみごとにひいていて、人体の不思議を感じる。寝る、って最高の治療なんだなあ。あったかいミルクティーを飲んだあたりから、ようやく体がまともに動き始める。己のわくわく動物ランド臭に笑ってしまったので、G.ガルシア=マルケスの短編集`十二の遍歴の物語´を、お風呂に浸かりながら読む。そういえば、先日の玄界灘ナイト(11.01.24ブログ参照)のとき、本編の前書きに、マルケスがアイディアノートを断捨離中に捨ててしまい、そのアイディアを思い出すのに長い時間を要した…という下りを読んでおおいに励まされた。マルケスだって私とおんなじ人間なんだ!資料を無くすこともあるんだ…ってな話を、友人の編集者にしてみたところ、「おまえ、マルケスと自分を一緒にするとはおこがましい。」と言われる。確かに(笑)。風呂から上がってみたものの、疲れが去らず、そのまま短い昼寝をしようかと思っていたのだけど、つい、洗面所の下のキャビネットを開けてしまったらもうだめだった。半裸のまま、断捨離開始。どうしてこんなものを何年も溜め込んでいたのだ?!と、自分でも腹立たしいほど、いらないものが山ほど出てくる。濡れた子犬を乾かして…を1000回ほども繰り返したような、半ば雑巾バスタオルも大量に捨てる。バスタオル、ちゃんとしたやつ1枚買おうかなあ。どうせ買うなら今治タオルだよなあ。イデアゾラ・シリーズのが欲しいなあ。夕方、自転車のパンク修理に人形町の駅前へ向うも、自転車屋さんはすでに閉店。仕方がないので、マツキヨでボディーソープを、成城石井でチーズケーキを買って帰る。ずっとチーズケーキが食べたかったから、おいしくてたくさん食べる。食事後も、掃除の勢いが落ちず、洗面所を中心にぴかぴかにする。得体のしれない不安な気持ちが、ずいぶんと和らぐ。あんなにケーキを食べたのに、玉葱と鶏としめじのかき揚げを作って、おおきいのを3つも食べる。ご飯も山盛り。夜、アジアカップで日本がキレのあるいい動きをしている。日本人選手はサムライだなと思う。他外国選手に比べて汚い行為も醜い動きも少ない。この清廉な姿勢は、ややもすると国際的な舞台では、弱点となりがちだった。けれど、この姿勢を守って守って己を鍛え続けて、清廉なまま強くなった。かっこいいと心から思う。自分も一日本人として、清廉なまま強くなりたい。弱くなったり汚れるのは、いとも簡単だ。だからこそ。

PS/デジカメの充電器が行方不明中。写真が撮れないニャ…。




posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ 🌁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする