2011年01月24日

この街は戦場だから、もう玄界灘。

ツイッター始めました♡ @necozawaemi


表題は、最近`女舵トーク´の相方sino女史と、締め切りなどで半死に状態のときによく使うフレーズである。笑(モトネタは、岩崎宏美の`聖母たちのララバイ´)

月曜日。ボンズール・ジャポンの次号締め切りが本当に待ったなしの週明け。っていうか、本来は先週中にはすべて入稿しておかねばならなかったところを、己のライブのために、どうしても書き進められないでいた。それで、土曜日のライブを終えて、日曜日にすべてやろうと心に決めていたのだが…起きてみると、身体が動かない。疲れが極まって、私の全部がストライキを起こしていた。

やばい。ストなんぞやっている場合じゃないのだ。っていうのを十分わかっていてストをするのはフランス人。けれど私は日本人。そしてここはお仕事大国ニッポンで、締め切りはもう目の前なのだ。そんな週末は、確実に週明けへとしわ寄せた。しわ寄せたのなら、泣き言を言わずにしわ伸ばしするしかなかろう。と、昼間の仕事から戻って、速攻原稿書きに着手する。あれ…?あるはずの画像資料が、ない。あるはずの、コピー資料が、ない。いつもきちんと資料だけはそろえて管理しているのに、いったいどうゆうことか?!そして、判明した。画像資料は、パリ滞在中にデジカメのメモリーが逝ってしまい、その中に取り出せない形で入っていることが。ガーン…なんたる失態。と、自分を責めている時間すら無駄。他の資料でなんとか補って、足りないものは急ぎ再調べをかける。

泣きたい…でっかいくまのぬいぐるみにでもすがって泣きたい気持ちで、ベッドに1分間つっぷす。ああ、ピキが生きていたなら、白い腹を借りて顔をうずめるのに…。1分後復活。ひたすら原稿を書き進め、朝6時になんとか出揃う。ところが、大量の画像もいっぺんに立ち上げていたせいなのか、今度はPCが突然のストライキ。自分が書いたものを保存していたのかどうか、それすらも思い出せないまま、祈るような気持ちで再起動をかけると、ワードファイルは、書き始めた頃の、ほぼ何もない状態で「こんにちは♡」と再登場した。○×w%$#□@+*〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!

脳内セコムが、けたたましくいくつもの対策を打ち出す。記憶がフレッシュなうちに、だだだだと書き直すとか、今日の打ち合わせをなんとか全部別日にすれば、昼までには間に合うのか?!だとか。しかし、その前に、身体と心がもう玄界灘。わああああああ〜〜〜〜〜と叫びながら、この世の果てまで駆けて行きそうになるのを寸でのところで引き止めて、ままよ、外付けハードディスクにも同じファイルを念のために作っておいたんじゃないのか?!そして、もうひとつのファイルを開いてみると、きちんと原稿が保存されていた…!手にびっしょりと汗をかき、動悸がとまらない。腰が抜けて、涙がはらはらと頬を伝った。か、神よ…!衝撃で非情なエネルギーを使い込み、へろへろの状態ながらも所々に原稿を無事送付。

しかし、これで終わったと思ったら大間違い。朝7時半には起きて、仕事に行かねばならぬのだ。しかも今日は会計系の、こめんどくさい打ち合わせが目白押し。疲れているからと言って間違えることもできない。1時間だけベッドに横になり、約束の時間ぎりぎりに家を出る。朝日がロンギヌスの槍ほど残酷に、この情けないまでに打ちのめされた40女の身体に突き刺さる。やめてー、せめて今日は曇りがよかったー…。

歩いて電車に乗って、人と会って、打ち合わせをして、午後16時くらいにすべてが終了。まっすぐに歩くのが難しい。手には、できあいのお弁当を下げている。(もう作る気力がないから、そのへんで買った。)寝てない、食べてない、水も飲んでない過酷な状況のため、唇の回りにが真っ白になり、死相風。なんか、そもそもの生き方が間違ってるのかなあ?なぜにここまで過酷なのだろう…などとぼんやり考える。そして、もう少し楽だった時代のことを走馬灯のように思い返してみたりもする。

やめやめ!このがんばりは、少し未来の自分をきっと助けるに違いない。未来の自分を助けるのも信じるのも、がんばる現在の自分以外いないのだ。そうだ、私は未来の自分の偉大なるパトロンなのだ。(その後お弁当食べて、しばし入滅しました。)





posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ 🌁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

満月のつぶやき。


予約チケットは完売しました!当日チケットをご希望の方は、開場時間にお越しください。

Quand la femme tient la barre de sa vie N°2−猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS  2011年1月22日(土)

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実は、つい先日からつぶやいてみているのである。

そう、ツイッターの話です。ツイッターの存在意義というものが、いまひとつ理解できずにいたのだが、猫沢バンドのアコーディオニスト・さぶちゃんがツイッターを盛んにやっているという話を聞いて、俄然、興味が湧いたのだった。だって、さぶちゃんは私と並ぶかそれ以上の野生感覚派だと思っていたら、ツイッターを駆使しているとか言うんだもん!

恐る恐る、ツイッターのページにアクセスして、アカウントを取ってみたら、もう始まってしまった。私のツイッター歴が。それで、やはり恐る恐るつぶやいてみたのだが、誰もフォローしてくれない。そりゃそうだ。だって、誰も知らないんだもの、私がツイッター始めたなんてことを。笑

「は〜、本当につぶやいているだけで、誰も呼応してくれないとは、まるでサバンナにひとり立ち尽くしているかのような絶対的な孤独感を味わえるのだな…。」と、また、つぶやいた。そんなわけで、ツイッターを始めてみて、今のところわかったのは、人知れず、ただ純粋につぶやくことこそ、真のツイートだということぐらいで、後はまださっぱりわかりません。でも、これは正しい使い方でないような気がするので、興味の湧いた方、サバンナに立ちすくむ私の星や虹になりに来てください。って、お願いするのが正しいのかも、まったくよくわからないのですけど。笑(あ、ちなみにツイッターネーム?っていうの?necozawaemi です。)


Photo. 今夜は満月なんですってね。
    真のつぶやきは、月の晩によく似合う。



posted by 猫沢エミ at 22:36| パリ ☁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

悲しみをぶっとばせ!今すぐスピードを上げよう。


予約チケットは完売しました!当日チケットをご希望の方は、開場時間にお越しください。

Quand la femme tient la barre de sa vie N°2−猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS  2011年1月22日(土)
限定50名様限り、ご予約は急いで。`人生の舵をどう取るか?´トークショー付きの
大人気シリーズです!



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朝も早くから都内を駆け巡り、打ち合わせやら仕事の種まきに奔走。

午後16時、家に戻って所々への連絡と、次号ボンズール入稿の進行具合などを確認後、ずだだだと原稿を1本書き上げ、20時すぎにジャンベをしょって大江戸線に乗る。今夜は、うちのバンドのベーシスト、グル岩見継吾主催のインプロヴィゼーション・セッションナイトがあって、それに参加するため。正直、疲れていたし、うまい具合に原稿が上がらなかったら、行かないどこうかなあと思っていた。所持金は、何か不測の事態が起きたらひとつも対処できないほどしか持っていない。でも、重い太鼓をしょって電車に乗った。自分の中のスピードを上げたかったんだ。

ここのところ、私と同じくフリー稼業を営む友人からの悲痛な近況報告が相次いでいる。レギュラー(毎月々の連載など、定期での収入になる仕事)がなくなって、この先のことを考えると暗澹たる気持ちだと、状況は皆、似たり寄ったりだった。かくいう私とて、数年前まで何本も持っていたレギュラーを不況が激化し始めた初期にさっさと失っているので、その不安な気持ちは痛いほどよくわかる+失い慣れてしまった?ので(笑)そこに固執して長く凹むことは、もうずいぶん前に辞めてしまっている。食うためだけの仕事なら、まだまだこの社会に転がっているんだもの。とはいえ、ときどき、電車に乗っているきれいな服を着たOLさんや、サラリーマンがとてもまぶしく見えることがある。それは隣の芝生は青く見えるのの典型とは知りつつも、来月のごはんや家賃の心配がない生活って、本当にうらやましいなあ〜って。だけど、そんな彼らは定収入という名の下に、意にそぐわない企業方針に自分を合わせて日々、それはそれで苦しいのだということも知っている。今の日本には、極端な選択肢しかないという現実を見てしまったら、本当にどう転んでも暗澹たる気持ちになってしまうから、私は今こうして、わけのわからないでかい太鼓を抱えて電車に乗っているのだ。そうだ、先がどうであれ、私は電車に乗ったのだ。

今夜のセッション会場、西麻布スーパーデラックスに到着すると、オーストラリア人のアブストラクトなライブの真っ最中だった。酒を呑み、フリージャズ界などで活動するミュージシャン仲間と、打ち合わせもリハーサルも一切なしの、完全なるインプロセッションで、ジャンベを叩き鳴らした。自分の中のスピードメーターがどんどん上がって行く。さあ、もっともっと上げるんだ。たった一度きりの人生と、偶然見舞われてしまった暗い時代を振り切るために。

ライブの後、夏目くんと組んでいる現代音楽バンドA.Y.Cのメンバーでもあるトロンボーン奏者、やっさんと思わず深い話。無頼派のやっさんが、酒を呑みながら言う。「俺、真剣に自分が作った音楽を、いつも適当にぶっ壊すんですよ。砂絵みたいな繊細なものじゃない。ものすごく時間をかけて建てたビルを、ダイナマイトで木っ端みじんにする感じ?そうすれば、人間、いつまでも高校生ぐらいの若さでいられる。」ああ、よくわかるよ、それ。自分の言葉に置き換えると、私の場合はこう。自分で作った音楽にしろ、文章にしろ、絵にしろ、いつまでも愛でたりはしない。私は作ったら後ろに放り投げて、走り始める。作品は、自分を追いかけてくるけれども、それにつかまってしまったら、もう新しいものは作れなくなる。だから、いつも過去に作った自分の子供たちよりも早いスピードで走り続けるのだ。作っては後ろに投げ、後ろに投げ。作品のクオリティーが上がれば上がるほど、追いかけてくるスピードは増す。だから、私もどんどんスピードを上げて走るんだ。

さあ今すぐ、スピードを上げよう。






posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ ☔| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月18日

掃除と東京の坪単価。


チケット残りわずか!お急ぎください!
Quand la femme tient la barre de sa vie N°2−猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS  2011年1月22日(土)
限定50名様限り、ご予約は急いで。`人生の舵をどう取るか?´トークショー付きの
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今月の我が家は大掃除強化月間である。

並みの大掃除ではない。引っ越し当初よりほったらかしとなっていた、ジュラ紀の段ボールから西暦紀元以降の割と新しい書類の山も総ざらいの大掃除である。もしも私がこの家を司る創造主ならば、ピキの霊にノアという名前をつけて、温泉宿で出てくるような舟盛り用の皿に大事なものだけをのっけさせて、大洪水で全部押し流してしまうところだけど、ここは一介の東京のマンション。そんなことをしては、管理組合から即刻退去!を申し渡されてしまう。そんなわけで、普通にこつこつと、しかしどしどし物を選り分けて捨て中なのである。そう、ここは東京のマンションなのである。

先日`女の舵取りライブ´シリーズの相方、イラストレーターのsinoちゃんに片付けの進行具合を報告していたら、ズバリうがったことをのたまった。「東京の坪単価を考えたらさ、1坪空けるごとにいくら儲かるか!掃除こそまさに、最大の節約だよ。」ま、さ、に!

物を捨てられないとき、もしかしたらまだ使うかも…と潔くなれないことは誰しも経験済みだと思うが、大抵、1週間使わないものは、年単位でも使わない。パリでなら、スーツケース1個の荷物で3ヶ月暮らせる自分が、東京に戻ってくるといらないものに取り囲まれて、逆に身動きできなくなってしまうなんて本末転倒もいいとこだ。人生は、スナフキンのように身軽でありたい。

物を持たないことが、実はたくさんのお金を自然と生み出しているという考え方は、私の中に大洪水を巻き起こし、余計な思念はどこかへ消えてしまった。そうだ。捨てることとは、捨てた物のちっちゃな単価分損しているのではなく、空いたスペース分の坪単価プラス、計算できない気持ちよさも上乗せされるんだ。

ちなみに、この言葉を受けて、物の重量についても考えてみた。地面と接触していない飛行機だと荷物の重量制限があるけれども、その考え方をスライドさせれば、軽くなった家は、やはり家そのものへの負荷も当然軽くなり、傷みも軽減されるだろうから、やっぱり経済的なのだろうな。

仕事の合間をぬっての大掃除はなかなか大変だが、「東京の坪単価、舐めんなよ!」を合い言葉に、今日も私はどんどん捨ててます。


Photo:毎日、ゴミ袋2〜3の割合で、こつこつ捨てます。
   もっと、一気にできたらいいんだけどね…。




posted by 猫沢エミ at 21:19| パリ ☀| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

光、溢れて。


Quand la femme tient la barre de sa vie N°2−猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS  2011年1月22日(土)
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ここ一ヶ月、私は自分のうちがわを彷徨っていた。

ごまかしたり、いんちきなまま放置していたことが、小鬼の姿をして自分を襲った。因果応報という言葉がこんなにもぴったりくる状況は、人生の中でもそうそうないのではないか?積み上げられたレンガが1oずつずれたまま、巨大な家の形を成していたのにも似ているかもしれない。その、ずれた1oがそのときは小さな誤差だったとしても、時が経てば経つほど修復のきかないまでの致命傷になる。

誰しも、100%目標に達しているわけじゃないし、生きることは、不完全に生まれた自分をどこまで想い描く理想の自分に仕立て上げるかの道のりだと思う。もう、だめな自分を放置することができなかった。弱点が多すぎて、やるべきことをやってこなさすぎて、適当にごまかしすぎた。だから、いったん半分腐った自分を置き去りにして、自分の外へと、思い切り逃げたのだ。外から眺めた私は、本当に半分腐って見えた。そうゆう自分と対峙するのは、怖くて怖くて、それだけでまたさらにだめになりそうな気がした日もあった。けれど、私よりも遥か先を行く友達の助けがあって、私は自分を見続けられたように思う。そして、何をすべきなのかいくつもの課題をはっきりと持って、私は半腐りの自分の中へ戻ってきた。正しくは、戻ったのではないのかもしれない。出て行ったポイントよりも、少しだけ先に立って、うずくまる自分の横っ面をひっぱたき、おまえを叩き直す、と告げた。

これに似た状況は、今までもいくつかあったかもしれない。たとえば、大学生のとき、現代音楽の打楽器をやることに迷いに迷い、普通の社会人として就職しようとしたとき。あのときも、私は本気で自分から逃げた。そうして、今まで行ったこともない高台に上って自分を眺めたら、そのときは案外、自分はいい物を持っていたことに気がついた。本気でそこから逃げようとしたから見えた姿でもあった。何かに行き詰まることなど、誰だっていくらでもあるだろうけど、逃げるなら本気で逃げなければ意味がない。現実逃避の逃げ、とは真逆の意味を持つ本気の逃げ、だ。遠くへ行けば行くほど、見たくもない弱い自分は正面へと近づく。その顔を、まざまざと見て震え上がる。その勇気があったなら、人は必ず次へ行ける。

仕事で駆けずり回り、疲れきって家へ戻る。ベランダから、光溢れた街の風景が見えた。なんてきれいなのだろう。光もきれいだが、影もきれいだ。どちらもあって、はじめて形を成すこの街の建物、道路、標識、室外機、小さなひとつひとつに、生の苦みと喜びがきらきらと踊る。




posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ ☁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする