2011年03月22日

ピキへ 一年目の手紙

Quand la femme tient la barre de sa vie N°4−猫沢エミライブ&トーク@TRAUMARIS
2011年4月16 日(土)
身の丈に合った、東日本大震災の義援金も募ります!


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ピキ、こんにちは。ママです。

ピキが死んで、今日で一年が経ちました。一年前の今日、あなたは朝8時頃、一度立ち上がろうとして、そのまますうっと眠るように旅立ちました。動物病院で、優しい先生に見守られて。

前の晩、あなたは危篤状態に陥り、先生はママに「連れて帰りますか?」と聞きました。でも、ママは「はい。」と言えませんでした。家に戻るということは、あなたの体中にできた血栓が、いつ心臓に飛んで、ママがピキを抱えて真夜中の緊急病院に駆け込んだときみたいな、激しい痛みが襲ってくるかわからなかった。もちろん、ママはピキと一緒に居たかったし、ピキもなつかしい匂いのおうちに帰りたかったと思う。けれど、ただママがピキを見届けたいから、という勝手な気持ちで、これ以上あなたに痛い思いをさせることが、どうしてもママにはできませんでした。亡くなる前の夜、動物病院で、あなたは光と視力を失った目で、それでもママを探して立ち上がろうとしてたよね。ピキはママとは違って、ふさふさの毛に覆われているから、いつまでも子供なのかと思ってた。だけど、本当はもうおばあちゃんになっていて、体の中身も限界だったんだ。

ピキが死んでから、ママはもう100ぺんも200ぺんも考えたことがあるんだよ。それは、ある日神様が降りてきて「1日だけピキを生き返らせてあげる。でも、真夜中の12時になったら、ピキは消えてしまいます。」と言われたら、どんなに嬉しいだろうと。もしもそんなことが起こったら、ママはお仕事を全部キャンセルします。そして、ご飯も食べないで、トイレもがまんして、ぴったりピキとくっついて過ごすの。でもね、真夜中の12時になったら、一体どんな気持ちがするんだろうって。ピキに最後のお別れができた喜びで、もういつ死んでもいいやと思うのか。それとも、前よりいっそう哀しくなってしまうのか。それは、そうなってみないとわからない。そして、やっぱり死んだものが生き返るのは自然の摂理に反しているから、永遠にわからないと思いました。

ピキが死んでママは哀しみの真ん中でうじうじしているのが嫌だったし、そんなかっちょわるいママは、ピキも嫌いだろうと思って、がんばってお仕事してきました。哀しみが、あなたを生かせた大きな喜びへと昇華した頃、北の方で大きな地震が起こりました。そう、あなたも一度、短い間暮らしたことがある、北の涼しいところです。ピキの東京のおうちもものすごく揺れたんだよ。ママはたまたま外にいましたが、もしもピキがまだ生きていてうちに取り残されていたら、半狂乱になっていただろうと思いました。それでも、ああ、地震の前にピキが天国に召されててよかった。なんてことはひとつも思いません。ただ、ピキをいい時代に生かしてあげられたこと、パリでのびのび暮らさせてあげられたことに慰めを感じました。

ママは、生き物の魂について実際のところはよくわかりません。生き物は死んだら土になる。それだけなのだろうし、魂なんてものは、残された人たちが哀しみを薄めるために都合良く用意した、うすめ液なんだろうと根本的には思っています。それでも、ママは毎晩、ピキがベッドに滑り込んでくる角度と、ピキがおふとんの中で丸くなるサイズを今も覚えていて、ひとりでエアーピキをやっています。完全な、ピキマスターベーションとはわかっていても、やってしまいます。そうして、奇跡のような14年間の幸せな気持ちを噛み締めると、涙がこぼれて、あなたを生ゴミの中から救い出してからずっと、本当の親子のように生きてこられた日々に心から感謝できるんだ。だけどね、それでもやっぱり一番辛かったのは、ピキを荼毘にふすときでした。葬儀場の係の人が、大きなロールケーキを焼くテーブルみたいなところにピキを置いてくださいって言ったんだけど、ママはピキの死体を抱きしめて「嫌だ。」って泣いたんだ。もう、この体はピキのものであってピキのものではないってわかってても。

そのピキのお骨は今、シノちゃんちにあるんだよ。このおうちはあまりにも揺れるから、ピキのお骨が粉々になってしまわないように、シノちゃんちのお仏壇の横に置かせてもらったの。本当は命日の今日くらい、里帰りさせてあげたかったけど、まだちょっと不安なんだ。んでもまあ、ママは知ってるよ。あれはもうただの骨で、ピキがそこにいるわけじゃないってことも。

あのお骨もうすめ液なのかもしれないけど、ママにとってはどちらかというと、トロフィーみたいなものかな。ピキが最後にママにくれた優勝トロフィーです。

追伸:先日、ママの嫌いな確定申告(ほら、床にさ、小さな紙みたいなのいっぱい並べるお仕事。その上をめちゃくちゃにするの好きだったじゃない?)をしましたが、税理士さんに「猫沢さん、稼ぎが減りましたねえ。」ってしみじみ言われて凹みました。そんなの言われなくったって、ママが一番わかってるのにね!(ぷんぷん)笑。

       
         2011年3月22日 冷たい灰色の雨が降る日       ママより





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2010年08月31日

ピキ、恋しや。

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今日で8月も終わり。ピキが死んで5ヶ月が経とうとしている。そして、ピキが亡くなる時期の3月末の日記を未だ書けないでいる。その頃の記憶は、すべて頭の中で克明に生きているけれども、いざ、そこへ降りてゆこうとすると脚がすくむ。どうしていいかわからなくなるのだ。とはいえ、ピキ逝去直後の、信じられない絶望期には、たった5ヶ月でここまで立ち直るとは想像もできなかった。あのときの私は、子を失った母だった。他に例えようがない。今も、子を失い続けている母であることは変わりがないが、泣き沈むことが一番の喪の仕事とは、私には到底思えなかったのだ。ピキは私を強い母だと思ってたはずだ。ならば、変わりなく、生き残った強い母としての姿を貫かねば。そう、思った。

ピキの葬儀が終わった翌々日、私は大切な打ち合わせを入れ、渋谷の街へ向かった。うまく話ができるだろうか?そもそも自分の脚で立って、歩いて、そこまで行けるだろうかと不安だった。けれど、いつもと変わりなく、私は話し、きちんと仕事をこなして、打ち合わせは無事に終了した。その場にいた誰一人とて、私が絶望のどん底にいたなどとはかけらも感じなかっただろう。その姿勢こそが、私の出来る喪に服すという意味そのものだった。ところが、打ち合わせが済んだあと、張りつめていた糸がぷっつり切れた。一歩渋谷の街へ出ると、地面からマグマのような悲しみが込み上げて、右も左もわからなくなった。打ち合わせ後、親しい友人と待ち合わせをしていたから、そこへ向かわねばならなかった。ところが、隅々まで知り尽くした渋谷の街が、まるで初めてきた地のように、歪み、たわんで、歩いても歩いても目的地へたどり着けない。途方に暮れて友人に電話をかけた。「右も左もわからなくなってしまった。」と。本当にそんなことが起こるのだなあ…右も左もわからなくなるなんて。無事、友人と再会し、線路わきの小さな焼き鳥屋に入った私は、友人にそうつぶやいた。焼き鳥を食べ、酒を呑みながら思った。それでも、私は大切な山を今日、ひとつ超えたのかもしれない、と。

それから本当にいろんなことと、いろんな思いの日々が5ヶ月続いて、今、私はピキが知っている本当に強い母へと戻れた。もちろん、へなちょこな日もたくさんある。けれど、ピキを失ったことで得た、莫大な何かが私をさらに強くしたことは確かだ。今でも毎晩、寝る前にピキの写真と骨に話しかける。「あー…ピキさん、お元気ですか?あの世ではお友達できましたかね?へえ、そう。そりゃ天国の縄張り争いも大変ですなあ。ママは、ちょっとくたびれてるけれども、がんばってますよー。見守っててくださいよ。」そして、ベッドに入ると、生前と同じようにピキの残像が素早く腕の中に滑りんでくる。ああ、忘れられるものか。あのやわらかな毛並みの手触り、おでこの匂い、のどをごろごろとならす姿、そして共通言語など必要のない、心と心がぴったりと寄り添い合う、あの感覚。奇跡だった。ピキがいた14年間は、それが当たり前のことではなくて、素晴らしい奇跡だったのだ。

「ママは、相変わらず世界中の猫が好きだけれども、ピキと同じくらい他の猫を愛せるのか自信がありませんよー。だから、これから新しい猫と暮らせるかどうかも今んところわかりません。そんなわけで、新しい子を探したりはしないんだけれども、もしも新しい子と暮らさざるを得ない状況になったなら、そのときは、ピキが認めた子を送り込んでくれた、もしくはあなたの生まれ変わりとして、大切に大切に愛する事にします。」天国のピキへ、ママより。




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2010年08月08日

なんでもない、完璧な日曜日〜ピキの御霊を灯籠流し。

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夕べ、体ちゃんに`うぬぼれ刑事´でつられた精神ちゃんは、家に帰ってくるなり「うぬぼれ刑事が見たい!」とOに所望するも「あ?録ってないよ。」の、Oの残酷な一言で木っ端みじんとなり、わああああ!と暴れ出しそうになるも、すかざす体ちゃんが差し出した`週刊モーニング´に気を取られ、あっけなく東村アキコ女史の`主に泣いてます´で爆笑し、健やかな眠りに落ちた。

明けて、久しぶりに急ぎ仕事のない日曜日。何もない、こんなにも穏やかな気持ちの日曜日なんて、いったいいつぶりなのだろう…と思いながら、溜まった洗濯物を洗う。いつもは時間がないないと、アクロン系と普通洗剤系ぐらいにしか分けて洗うことのない衣類を、白いタオルもの、普通洗濯40℃もの、などなど丁寧に仕分けて洗ってみる。野菜をのせた白河ラーメンをお昼に作り、食べ、こちらもほこりまみれの部屋の掃除する。普段見て見ぬふりをしている換気扇も外して、丁寧に洗う。窓を開け放って空気を入れ替え、キャトルキャールを焼く。お菓子作りには平常心が必要なものだなとしみじみ思う。今日は、すべてが落ち着いているせいなのか、バターも卵も、とても素直に言うことを聞いてくれる。きっとおいしく焼きあがるに違いない。その予想通り、たっぷりと空気を含んだメレンゲがいい仕事をしてくれて、お店に出してもよさそうな黄金色のキャトルキャールが出来上がった。

日暮れどき、スタッフゆうこりんの誘いで、隅田川の灯籠流しへ行く。浅草の吾妻橋のたもとに作られた、灯籠流し会場受付で、まんなかにろうそくの立った紙製の灯籠をゆうこりんが一足先に買ってくれていた。ピキのために。ピキ。そうか、去年の今頃は元気にぴょんぴょんしていたっけ。風の通り道に、べたーと長く寝そべって「暑いにゃ…。」って文句言ってたっけ。今年は、茄子に割り箸の足をはやした乗り物に乗っちゃう存在になるなんて、誰が想像できたろう。少なくともママは、そんなことこれっぽっちも考えてなかったよ。

ピキの名前と、先日亡くなったばかりのおばあちゃんの名前を書いて流した。四十九日も終わっていないおばあちゃんの魂を流してもよかったのか、一抹の不安が残るが、ま、気持ちだから大丈夫じゃないのかな。(いい加減)それにしても、今日はやたらとピキによく似た白黒の猫を見かける。思わず立ち止まって、いつまでも撫でる。この子はピキではないけれど、やっぱりすべての猫が愛おしい。そして、すべての猫がピキではないことを知る。ピキにとてもよく似た猫は、世界中にたくさんいるのだろうけど、ピキと同じ猫は世界のどこにもいないのだ。それが死というものだ。なんて、なんて寂しい気持ちだろう。そして、寂しさが深ければ深いほど、一緒に過ごした時間が重く、かけがえのない奇跡だったことを知る。仏様のところに迷わずお帰り、ピキ。さようなら、また来年ね。

ああ、今日はいい一日だった。まれにしか訪れない`完璧な一日´だった。私の思う完璧な一日とは、豪華な食事も派手な人間関係も必要ない。自分が思い描いた通り、さくさく掃除ができたり洗濯ができて、おだやかな気持ちで読みかけの本が進んだり、そうゆうごくありきたりの連続で作られた日のこと。また、こんな日がくれば良い。心からそう思う。


Photo1.ピキの名前やイラストを描いた灯籠。ついでにごちそうも一緒に持ってお行き、
    と、お魚やギャートルズのアノ肉の絵も描いてみました。

   2.そうめん流しのような樋(とい)から、すごい勢いで川へ向かう
     灯籠。流しつつ、「あれ?おばあちゃんって、猫好きだったかしら?」
     なんて考えても後の祭なのであった…。

   3.ピキによく似た白黒ののら猫を、本当に今夜は何匹も見た。
     ピキがお友達に言って、用意してくれたの?


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2010年07月24日

りーくんが、ピキの絵を描いてくれたんだ。

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なんともまあ、だるい。そして鼻の奥が痛い…と思っていたら、夏風邪をひいてしまった様子。たいした熱も今のところ出ていないのだけど、暑さも相まって倦怠感は一丁前の憎らしさ。寝ている場合じゃないのだけど、夕方まで薬を呑んでひたすら寝る。具合が悪くなると、元気なときにはそうそう出てこない自分の弱点や悩み事がひょっこり顔を出し、ここだとばかりに騒ぎ始める。

あー、原稿終わってないよー。あー、お金ないよー。そして、あー…、もうピキはいないんだった。3月の中旬まで書いた、ピキの日記が止まっている。ピキの死まであと10日足らずのところでだ。最後まできっちり書かないと(たとえそれが、読んでくださる方には辛いものでも。)私の中で、なにかが終わらない気がしている。それで、何度か書こうとトライして、今日もやっぱり書けなかった。でも、近日中には、このBonzour Japonの原稿が抜けたら、そのときはちゃんと書こう。

そんなことを思っているここ数日なのだけど、この間のBunkamuraドゥ マゴ パリ祭のとき、イラストレーターの、りーくんこと柳澤正希くんが、ガールフレンドのゆうちゃんと共に遊びに来てくれて、「これ、猫沢さんにプレゼント。」と、箱に入った四角いものを差し出した。中を見ると、それはりーくんが心をこめて描いたピキだった。ピキの、特に体格がよかったパリ時代の表情にとてもよく似ていた。その絵からは、ピキが幸せだった証の光がちゃんと放たれていてBunkamuraのBonzourワゴンの前で、そしてりーくんたちの前で、泣かないように堪えるのが大変だった。

大事に家へ持って帰り、ピキが仲良しだった鹿首の“しかっぺ”の近くに飾った。ピキが絵になって戻ってきたのだと思った。にっこり笑うようなピキは、目が合うたびに「ママー、ありがとー。とっても幸せだったにゃ。」と声をかけてくれる。自分もつたない絵を描く人だけれども、りーくんみたいな、本当にほんまものの絵を描く人が描くと、ちゃんと魂が宿るんだなとしみじみ思った。りーくん、ありがとう。ありがとう、りーくん。

http://www.yanagisawamasaki.com/index.html
posted by 猫沢エミ at 23:02| パリ ☀| ピキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月14日

‘Mon petit chat'は、どうしても歌えなかった。

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本日、下北沢440にてバンドライブの本番。ミュージシャン時間としては、早朝に近い朝10時に現地到着。遅刻しては行けない…と注意しすぎてかなり早く着いてしまったため、メンバーどころかお店自体が開いておらず、しばし車の中で大好物のコンビニおにぎり(シーチキン)を食べて待つ。お店のスタッフさんがやってきて、メンバーも集まり、楽器の搬送を始める。440では、何度かライブをしているし、ここは本当にオーガナイズから当日の仕切りやPAさんまで、いつも良い仕事をしてくれるので、私は安心して音楽に集中できる。今日は、新たな試みとして、ヴァイオリンとトロンボーンが加入。そのために、コロムビア時代のCD音源にできるだけ近いアレンジにしてみた。新しい試みは、やってみただけのことはあったが、アレンジも含め、もう少し練る必要を感じた。
 

ところで今日は、いつもかならず演奏する‘Mon petit chat’−私のかわいい猫ちゃん、という曲をあえて外した。これは、ピキのために作ったフランス語の曲で、私が持っていた歌詞の世界観をモーマスに伝え、素敵な仏語歌詞を書いてもらった。なぜ外したかといえば、いわずもがな、どうしても歌いきる自信がなかったのだ。ピキはここのところとても安定しているし、ピキの現状を「実は…」とMCで話したら驚かれるかもしれないが、皆、きっと納得してくれただろうと思う。けれど、彼女が全快するまで話したくなかった。

願掛けのように、願いが叶うまで、人には言っていけない気がしていたのだ。だから、HPの日記も書けなくなってしまった。そして、今の私は、ピキのことについて不用意に指一本背中でちょんと突かれただけで、たぶん崩れ落ちてしまうような不安定さを持っている。プロとして舞台に立つ以上、そんなあまっちょろい姿を見せたくなかった。だから、外した。いつか、心からこの歌を全快の喜びと共に歌い上げるために。



私のかわいい猫ちゃん。
ごろごろ言ってる私の猫ちゃん。
あなたを愛しているけれど、
愛しているからこそ、自由にしてあげる。
あなたは百獣の王、ライオンになるのね。
ああ…ごろごろ言ってる。
私の愛しい猫ちゃん!


★Photos:森孝介

posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ | ピキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする