2013年01月05日

美人の基準


“111ème Pramide”=Emi NECOZAWA & Sphinx avec DJ 敷島 a.k.a 安治川親方 @JZ Brat 渋谷2013 年1月11日(金)ご予約・詳細は、こちらをクリック♡


Bonne année 2013.

新年明けましておめでとうございます。昨年ツイてなかった方、哀しいことがあった方は、きっといいことがあると信じてください。そして、昨年はなかなか良かった方には、さらにもっと良いことがありますように。


さて、2012年も怒濤のように駆け抜けた。特に後半は、「マジか?無理だろ。」という量の仕事を形にすべくパリと東京を奔走して、気がつけば年が明け、もう5日になってしまっている。大晦日を含む年越しの数日というのは、普段とは違う時間が流れているかのようだ。大晦日から元旦までは、その年の振り返りとか、新年への思い入れとかで粘度の高い時間が流れるのだが、年を越した途端に、まるでたまねぎを大量に食べた後のサラサラ血液みたいに、あっという間に日が過ぎてゆく。そんな中、映画評を書く仕事のために、パトリス・ルコントの旧作映画を見直す機会があった。その1本が、ヴァネッサ・パラディの“橋の上の娘”だった。彼女が今まで出演した映画の中で、もっとも美しく撮られている作品だと私は個人的に思う。ヴァネッサの顔を正面やら横から見ていて、「美人じゃないなあ。」としみじみ思った。そうなのだ、彼女は決して美人じゃない。あごが大きすぎるし、エラも張っている。よく見ると爬虫類的な強面で、若かりし頃のカトリーヌ・ドヌーヴみたいな正統派の均整のとれた美人にはほど遠い。ドヌーヴを除くフランスの名女優は皆、美人ではない。エマニュエル・べアールもアヒル口すぎるし、ジャンヌ・モローも老け顔で影が深すぎる…etc. しかし、先のヴァネッサも含め、彼女達はとてつもなく魅力的だ。そこには、弱点をも含めた自己観察の果てにある、内面の反射鏡的な美が存在する。そう、彼女たちは一言で言えば「自分をよく知っている」のだ。

ヴァネッサのエラを眺めていて、自分の子供時代を思い出した。田舎の小学生だった私は、同級生からことあるごとに「目がでかすぎて気持ち悪い。顔も小さすぎて宇宙人に似ている。」など、からかいを受けていた。ある日、意を決した私は、母に「整形する!」と宣言した。呆れながら母は言った。「どこをどうしたいのか、お前のプランを聞かせなさい。」えっと、まず目の両脇をつまんで目を小さくする。あごのまわりにプラスチックを入れて、一回り大きな顔の輪郭にする。人形のようにえぐれた鼻にもプラスチックを入れて、すっと鼻筋を通す…。それを聞いた母は、怒りも笑いもせず静かにこう言った。「それは他人に言われたプランでしょう?お母さんが聞きたいのは、あんた自身のプラン。もっとも、自分の美しさにひとつも気がついていない今のお前に、プランなんかないだろうけど。」ものすごくハッとした。そして母はこう付け足した。「もったいない。お前は自分の美に気がつけば、その瞬間から美人になれるのよ。」後半の言葉を完全に理解するのには、それからずいぶん時間が必要で、私は似合わない化粧や服をいくつも買って、鏡の前で首をかしげながら大人になった。


はっきりとした自分の美を見出せないまま、30代の頭でパリに渡った。胸を張って凛と歩く手足の長いパリジェンヌに気圧されて、ますます自分のことを美しいとは思えなくなった。たまにフランス人の男友達に「やあ!今日はきれいだね。」と言われても「いえいえ、私なんか…」と言葉を濁す。表情も明るくない。うまく使えないフランス語に自分自身がイライラして落ち込む。そんな私に彼等は言った。「お前を見ているとむかつくんだよ。せっかく手にしている価値を自分からドブに捨てている。そんなやつは、お前の言う通り美しくもなんともない。」と。ものすごくハッとした。小学生の頃に母に言われた言葉が蘇って「このことか。」そう思った。そうしてやっと顔を上げて、周りを、自分を正面から見始めた。そこには、明らかに美人ではないのに美しく輝いている女性がそこかしこに溢れていた。

その中の最たる人が、パリで友達になったUさんだった。彼女は残念と言っては失礼にあたるけれど、誰が見ても一般的な価値観から大きく外れた不美人で、彼女自身「私がもっと美人だったら、街で差別に遭うんでも、もうちょっとマシだと思うのよね。」と言うほどだったのだ。清潔さも含め、外見でほぼ100%人となりを判断されるフランスでは、彼女の容姿は明らかに不利なものに働いていた。けれど、長いフランス生活で身につけた自然な仕草、ウィンク、笑顔がそれはそれはチャーミングな人だった。その理由はすぐにわかった。彼女は波瀾万丈な人生をものともぜず、すべて自分で決めて、苦しい時も人には惜しみない愛情を注ぐ人だった。

ある日、彼女とゲイの街で知られるマレ地区へ買い物に出かけたところ、カフェの前を通り過ぎるたびに美しいゲイボーイたちに呼び止められ、抱きつかれ、なかなか目的地へたどり着けないという微笑ましい珍事に出くわした。パリのゲイたちはデリケートで気難しい。とくに女性に対してあからさまな敵対心をぶつけてくるし、ものすごく面倒なところがある。けれど、そんなゲイたちが、Uさんを見かけるたびに顔をほころばせ、心を全開にしてコミュニケーションしてくる。パリ生活も長くなった頃の私だったが、そんな風景は今までUさんと一緒にマレに出かけたこの日以外、見た事がない。あまりにも凄いので理由を尋ねてみると「前に付き合っていた人が、フタをあけてみたらゲイだったのよね。それで、ゲイコミュニティと自然に付き合うようになって。彼らは自己防衛しているけれど、本当はすごく繊細で心に傷を抱えている人も多いから、話を聞いているうちに何人かは心配になっちゃって、一時期お母さんがわりみたいにお世話をした人も何人もいるのよ。ごめんね、びっくりしたでしょう?」そう言ってUさんは笑った。“フタを開けてみたらゲイだった”Uさんの前の彼はたいそうなハンサムで、ゲイはゲイなのだけど、人としてUさんを心から愛しているのは傍で見ている私にもよくわかった。一度、これまた美しいとは言い難いUさんのパサついた髪を、愛おしそうな目でブラシする彼の姿を見たことがあった。彼には、Uさんの美しさが正しく理解出来ていたのだと思う。ゲイに抱きしめられて破顔するUさんの表情は、他では見たことがない美しさだった。そして、笑った彼女は、人工的に手を入れて形を整えたどんな顔よりも、お世辞ぬきで美しいのだ。


島国の日本。人それぞれの価値基準が、どうしても統一されがちな気風。そして、本当はいろんなルーツと血が混じり合っているのに、目と髪の色がだいたい黒か濃い茶褐色ゆえ、美の基準が流行と共に画一化しがちな日本。またそれがビジネスの恰好の餌となってしまう日本。けれど、美は人の数だけある。痩せている、太っているという体格の違いも、それだけで美とは直結しない。自分が持って生まれた顔と体格、肌、髪、目の色、その他あらゆる外見情報が、内面で培われた「自分の美しさを知っている」という一本の錦糸で繋がれた人だけが、初めて外に向って光を放つ。その光には、老いすらも太刀打ちできない。いやむしろ、経験を積んで時間を経るほどによりいっそう色合いを深く増す。


2013年、日本の美しい男性、女性、そしてその中間に立つ人たちも、もっと自分にしか持ち合わせない固有の美を見つけられることを願って。ゴット・ブレス・ユー♡






posted by 猫沢エミ at 17:09| パリ ☁| 美容と健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月14日

めだまのお医者。



先日、某服飾デザイナー業を営む友人が「この間さあ、眼圧が高くてあやうく失明しかけた。」と言うのを聞いて、ひやりとした。眼圧とは、眼力のことではない。

眼圧(がんあつ、ocular tension)は、眼球内を満たしている眼内液の圧力を指す。大気圧よりも僅かに高く、この大気圧との差を眼圧の値として表す。単位はmmHg(ミリ水銀柱)。眼圧の異常による疾患に、緑内障がある。(Wikipedia 参照)なんだそう。

それで、なぜひやりとしたかといえば、去年ものもらいになった際にお世話になった眼医者にて、ついでにもろもろの検査をしたところ、「正常値のぎりぎり数値ですね。お時間のあるときに、再検査に来てください。」と、私も言われていたからなのだった。お時間のあるときが結局ほとんどなく、気になってはいたものの、日常生活で特に変化がなかったため、半分忘れていたのだった。ところが、先日から左目の視界にぼんやり黒い点のようなものが見えることに気がついて、あのひやりを久しぶりに思い出した。

そうゆうわけで、雨のそぼ降る人形町をてくてくと歩き、眼科へ向った。以前診てくださった若先生ではなく、今日は素敵なロマンスグレー大先生が診てくださった。そして、やはり私の眼圧は高く、いろんな再検査を受けることになった。大先生は高価そうな機械を指差しておっしゃった。「この機械はねえ、恐ろしいんだよ。いや、痛いとか怖いとかそうゆう意味じゃなくて、ものすごくいろんなことがわかる恐るべき機械ってことなんだけどね。」と。なんだかおちゃめだ、この先生。(どれだけすごい機械なのかを後で説明してあげる、と言われたのだけど、閉院ぎりぎりに駆け込んだため時間がなかった。今度聞こう。)そして、めんたまが痛くなるほど、本当にいろいろな検査を受けて、来週の検査結果待ちとなった。

ちなみになぜ、眼圧が高いとよろしくないのかといえば、放っておくとだんだん視界が狭まって、最後にはなんにも見えなくなってしまうからだそう。それは怖い。しかも、私はアイホールに対して、どう考えてもサイズの合わない巨大な眼球を持っていて、それは父譲りのものなのだけど、見るからに眼圧が高そうだと自分でも思う。人からはよく「眼力あるよね。」など言われるが、眼力と眼圧の関係についても、今度、大先生に聞いてみよう。

そんなことを考えながら、雨から雪に変わった人形町の街角をてくてくと歩き、家に戻る。しかし、意外だなあ、眼の病気だなんて。めんたまが大きいとよく、眼が悪いなどと言われるけれども、私は生まれてこのかたずっと1.5の視力を保っていて、メガネもコンタクトも縁がなかった。健康だと侮っていて、普段ケアしないところに思わぬ盲点があるのだなあ。いろんな意味で過信は禁物だ。

ところで、今日思ったのは、眼科で使われる様々な検査機器のスクリーンに映し出されるグラフィックって、なかなかおしゃれだなあということ。眼の機能を純粋に測るのが目的で、おしゃれうんぬんなどまったく考慮に入ってないとは思うけど、これもある意味、機能美といえるのかもしれないな。


ああ、こんなにきれいな雪が見えなくなったら大変だ。ちゃんと治そう。




posted by 猫沢エミ at 23:31| パリ ☁| 美容と健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

コスメティック★アンド・ザ・自分

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は〜、やっと日曜日だなあ。平日は無駄にばたばたしているため、お肌のケアどころか「顔があるから洗わにゃならん。だったら、顔なんぞいらぬ!」ぐらいの勢いで女性としての努力をおこたっている私だったのだけど、さすがに40歳を超えて、いい加減ケアの必要性を感じてきた。マンションのエレベーター内で、スーパーで、ホームセンターで、鏡&蛍光灯という最悪の組み合わせでとくと眺めた自分の目尻には、ちゃんと小じわ予備軍がツッタカター、ツッタカター♪とマーチに合わせて進行中なのを発見。比較的時間のある週末の夜なんかに、クレイマスクと化粧水パックをやるようになった。

ところでありがたいことに、童顔が功を奏してなのか、実年齢よりも若く見られることが多い。不規則で不摂生な生活、東京パリの往復を中心に、生活環境がしょっちゅう変化するなど、肌によいことは何一つしていない。それなのに、なぜ?!自分なりに考えてみると、まず、もともとの肌の質がとてもオイリーで、あなたはガマですか?というくらい、脂が売るほどでるということ。そのため、しわのもとになる乾燥を防げているのではないか?という推測。しかし、思春期の頃は顔中すきまなく激しいニキビに悩まされ、市販の薬ではまるでたちうちできないから、皮膚科に長らくお世話になっていたほど。ああ、あの頃にプロアクティブがあったなら、完全に信奉者になっていただろうと、CMを見るたびに思う。皮膚科に通っていたおかげなのか、ニキビ痕はひとつも残らず大人になることができた。いまだに母が「ほんと痕が残らなくて本当によかった。これじゃお嫁に行けないだろうって心配したもの。」と言う。母よ、ニキビ痕は残らなかったけれど、お嫁に行く気がまったくない大人になってしまいましたが…。

もうひとつは、体全体が筋肉質で、顔も筋肉質だからじゃないか?という、お医者さんが聞いたら笑われそうな理由。顔も筋肉、というのは自分でも怪しい推測だとは思うが、代謝が異様によくて冷え性とか便秘とか、女性にありがちな問題が体質的にないというのは関係しているのかもしれない。その理由をさらに考えると、やっぱり日頃の食事がいいからかもしれない。添加物を極力とらない、なんでもバランスよく食べる、コーラやジュースやスナック菓子はたまーにしか摂らない、そして基本自炊。調味料に至るまで、できるだけ筋の通った良いものを使っている。ただ、食に関しては、努力してそうなっているわけではなく、元来の食いしん坊が極まって、自然とそうなっているだけである。

で、これもたまに聞かれることだが、どんな化粧品を使っていますか?という質問。まず、化粧品選びについて常に思っていることがいくつかある。1.続けられないほど高価なものは使わない 2.食べ物と同じくなるべく自然派のものを選ぶ この2点だ。1.に関しては、例えば、使ったなら即効性が高い化粧品を、たまたまお財布が寂しくなかったから買ったとしても、ひと瓶使い終わった後に買い続けることができなかったら、ほぼ意味をなさないので最初から選ばないということ。わかんないよ、私がもしももっとお金持ちだったら、おしみなくあれこれ使ってみるかもしれないけど。現実はそうじゃないから、家計を圧迫しない身の丈にあった価格設定の中で選ぶ方が自分らしいと思う。だって、いやじゃん?きれいになりたいと高価な化粧品をあれこれ買って、月末の支払い時期に胃が痛くなる思いをするなんて、本末転倒だと思うもの。それに、探せば安価なものでも安全性が高くて高品質なものはけっこうある。そして、私は肌までもが貧乏性なのか、高価で即効性の高い美容液なんかは、つけると逆に調子が悪くなることが多いのだ。2.は、読んで名のごとく。ここ数年は、フランスのニュクスを中心に使っているのだけど、これは、ヴェレダやドクター・ハウシュカなどの完全自然派化粧品ではない。20年ほど前から自然派化粧品に切り替えて、いろいろと渡り歩いて使ってみたところ、私にとって自然派すぎるものは、悪くないけど良くもない、というのが正直なところで、ニュクスくらいがちょうどいい感じだったのだ。これも日本で買うと高価なものになってしまうので、もっぱらフランスで購入。一時期、パリに行けなかった頃は、日本製の手頃な自然派化粧品を探して使っていた。ニュクスじゃなきゃダメ!というのではなく、あくまで今のところはニュクスを安く買う術があるから使っている、という感じだ。

そんなわけで、私のお肌ケアは特別なことはひとつもない。落とす→洗う→化粧水→アイクリームを目の周りにつける→夜だけ保湿クリームをつける、おしまい。朝に至っては、化粧水をそのままつけるとオイリーすぎてすぐに化粧崩れを起こすので、水で薄めた化粧水とアイクリームだけ。紫外線防止剤の入っていない下地兼UVミルク&リキッドファンデーションを薄く塗っておしまい、である。美容雑誌も参考になるのかもしれないが、一番良いのは、自分の肌にまずは聞いてみることじゃないかしら?肌質も体質も本当に千差万別なのだから。

ああしかし!こんな私でも使ってみたい化粧品がある。それはオーストラリアの自然派化粧品イソップ。パリのイソップで試供品をあれこれもらって使ってみたら、香りも使い心地もよかったんだよなあ。今のところ1.が出来ないという理由で却下。いつか、全シリーズをずらりと並べて使ってみるのが夢です。



Photo1.`犬神家の一族´のスケキヨじゃありません。パリのまぶだち、よちこ(コスメマニアの女社長)に教えてもらった化粧水パック中。コットンを水で濡らしてかたく絞り、そこへ普段使っている化粧水をしみ込ませたものを、はりつけて10分放置。コットンは、無印良品のもへもへのやつ(まわりがパッキングされてないもの)を1回につき3枚ほど使用。それを薄くはがして何枚もにして使うと経済的。

  2.これが現在使っている私の基礎化粧品のすべて。化粧水−NUXE Lotion Tonique aux 3Roses /アイクリーム−NUXE Nivanesque Contour des Yeux /保湿クリーム−NUXE Crème Fraîche de Beauté Suractivée /クレイパック−CATTIER Masque Argrile peaux sensibles カティエは、エコサールつきの完全自然派化粧品で、とにかく安くて優秀。パリだとこのパックは5〜600円 ほどで買えてしまう。ちなみに洗顔ものは、長年イプサのセンシティブラインを使ってます。日本製のお手頃な化粧品で好きなのは、ナチュラルローソンに売っているLEAF&BOTANICSシリーズ。これを作っている松山油脂のボディーシャンプーやボディーミルクも優秀。コストパフォーマンスが高いです。



posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ ☀| 美容と健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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