2010年10月11日

地面が毎日移動する、パリ・セーヌ川の中州にある第三の島。

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疲れているんだろうか…。ああ、疲れているともよ。突然ですが、私の嫌いな言葉ベスト3。それは1.かわいそう 2.●●知ってる? そして3.疲れた。なので、疲れたとは言いたくないが、どうも本当にお疲れぎみな様子。その証のような奇妙奇天烈な夢を見た。したがって日記の表題は、夢の世界の話である。こんなものは、実在しない。

私はいつものように、パリへやってくる。今回借りた短期アパルトマンは、以前も借りたことのある大家さんの部屋で、大家さんと待ち合わせると「前にエミが借りた部屋は、残念ながら借り手が見つかってしまったの。だから、別な物件を紹介するわ。そこは、セーヌの中州にある素敵なカルチエなのよ。」と言う。彼女について行くと、その物件は古い屋敷風の一軒家。ところが、1Fには入り口がなく、梯子を上って2Fの屋根部分にある小さな窓から出入りしなくてはならない。まるで茶室のにじり口をもっとちっちゃくしたような、大人がやっとひとりすり抜けられる窓をやっとくぐると、2Fには、ずらりと部屋がならび、その一室を貸してくれるという。廊下に並んでいた部屋は、古い中世の匂いのする、ちょっと怖い雰囲気だったが、私の借りる部屋は、こじんまりとして温かく、とても居心地がよさそう。しかし、あの入り口は出入りが大変だし、以前に借りて慣れ親しんでいる部屋の方がやっぱりいいから、大家さんに相談してみようか…と思っていると、「ここはね、裏手にある1Fの階段からの眺めも素敵なのよ。」と、誘う。

ちなみに1Fに階段があるのなら、どうしてそこから出入りしないのか?と思ったけれど、行ってみて納得。そこは階段の下部がそのままセーヌ川に入り込んでいて、外からは侵入できないのだった。しかし、その階段から巨大なエッフェル塔が目の前に、しかも下半分水に浸かった状態で佇んでいる。は〜、私が数ヶ月パリを離れているうちに、こんなことになってしまっているのか…などと建設的な発想が起こらないのも夢の世界の不思議さ。エッフェル塔が水に半分沈んでいることには、何の疑問も湧いてこない。水は、現実の世界では到底見たことのない鮮やかでどこまでも透明なコバルトブルー。そこへエッフェル塔がどどんと浮かび、水面にもその姿が映っている。これは絶景!よし、今回はここに住んでみようと俄然嬉しくなり、そのまま契約を済ませる。

一夜明けて、次の日の朝。
窓の外を眺めると、どうもおかしい。前日の水辺の風景などどこにもなく、家のとなりには公園と小学校があり、子供たちのにぎやかな声がこだましている。不信がりながらも外へ出てみると、やっぱり水辺などどこにもない。っていうか、昨日見た風景は一体なんだったの?という変わり様。近くを散歩していたマダムにそのことを尋ねると「あら!あなた知らないのね。この島は、皆が一番いい風景を平等に楽しめるように、毎日じゅんぐりと地面が移動して、建物の場所が変わるのよ!」と言うではないか。ええええ〜〜?!よく見ると、確かにどの家の周りにも、何やら太い線のような亀裂が入っていて、これが夜のうちに入れ替わり移動するらしい。変なの〜〜〜。でも、なんだか素敵〜〜〜。でもでも、毎日住所が変わってしまったら、郵便物はいったいどうやって届くのか?そして、友達を家に呼ぶ時、毎日その日の住所を教えねばならない。それより何より、極度の方向音痴の自分は、毎日場所の変わる家にたどり着ける自信がない…。やっぱり、前に借りたアパルトマンをなんとか貸してもらえないだろうか…と不安になっていたら、携帯電話に設定していた目覚ましモードがぴろぴろぴろと鳴った。

ああ、なんて鮮やかで美しい風景だったのだろう。そして、なんて珍妙な夢。パリがおいでおいでと手招きしている。`第三の島´は、もしかしたらどこかに実在してるのだろうか…。



posted by 猫沢エミ at 23:23| パリ | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月20日

Mes rêves.

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鐘楼などあるはずもないのに、どこからか鐘の音が聴こえる。激しい砂嵐をくぐってここまできた。私ひとりではない。私の後ろに続く者たちを見よ。この異形の輩ども。魂の抜けたような者、人獣と見まごう者、そしてひときわ目を引くのがふたごの兄弟。彼らは先ほどからじっと見つめ合い、粗末な性器を互いに弄んでいる。その不埒な光景に恫喝の一撃を浴びせる。ここは砂漠の直中なのだ。命も危ういこの場所で、遊びに興じるとはいったい何事か。

ああ、見えてきた。砂の海にぽつりと立つ、小さなドーム。そこは我らの乞う知識、世界の粋が集まっている私設図書館のようなところだった。いつ、なんのために作られたのかは誰も知らない。ただ、こうして月の満る頃を迎えると、このなんとも言えない輩を連れてここへ現れる。彼らをもう一度整列させ、身繕いを整えさせて、謙虚な面持ちで半円形にくりぬかれた入り口をくぐる。正面には、年齢のわからない女性らしき司書がいて、いつものように軽い、しかし畏怖の念にまみれた会釈をする。司書は、眼鏡の奥から我らを確認すると、右手のひらをゆっくりと持ち上げ、ドームの壁伝いに備え付けられた階段を指し示す。神妙な面持ちで彼らを引き連れ、私はその階段を上ってゆく。猫のように、音も立てず。

二階へ上がると、これもまた丸い壁伝いにそって作られた細いバルコンが走る。そのバルコンと平行して、本がぴたりと一冊分入るだけの幅で、ぐるりと書棚が巡っている。しかし、バルコンは書棚よりもなぜか短い。一番奥の書棚に収められた本は、腕が蛇のように伸びなければ届かない。もしくは、一階から高梯子でも使わない限り、誰も手にすることができない。ところが、このドームには梯子など見当たらない。梯子はおろか、よけいなものは何ひとつないのだ。司書の座る別珍張りの古びた椅子、重そうな椋のテーブル、その上に置かれているのは砂時計と、いつの時代のものかわからぬ天球儀のみ。砂漠の時を刻むものが砂時計とは、はなはだおあつらえ向きではないか。

ところで、私の輩たちはそれぞれが小声でひそひそとささやき合いながら、またはひとり無言のまま、英知の凝縮した革張りの本を興味深げに眺めている。そうか、それで満足なのだな。私はもう、とうの昔に読んでしまった本たち。ひとりバルコンの端まで歩き進み、手の届かない書棚の本を取ろうと身をのり出す。どうしても読みたいあの本は、指先からほんの少し先にあるというのに、どうしても届かないのだ。私の指が宙をさまよい、震える。すると、今まで微動だにしたかった司書がゆっくりとこちらへ顔を上げ、鳴り響く、あの鐘の音によく似た声色で言った。

「その本は、選ばれた者にしか読む事ができません。あなたは違う。ほら、あの方がやってきた…。」

司書の言葉と同時に、びょおびょおと吹きすさぶ砂嵐の轟音に混じって、地鳴りのような足音がドームに響き始めた。バルコンの方々で本を眺めやっていた輩たちは、身をこわばらせ、目を見開いたままぴくりともしない。しばらくすると、ドームと同じか、それより少しだけ小さな体を持った巨人が、入り口をこじあけるように中へ入ってきた。司書は立ち上がり、両手のひらをうやうやしく捧げ、深々と首を垂れた。巨人はおだやかな表情のまま、くるりと後ろを振り返ると、今しがた、身の程も知らずに私が指を伸ばして求めた本を人差し指で取り出し、満足そうに眺めると小脇に抱え、入ってきたときと同じく、出口となったドームの開口部分をこじ開けるように去って行った。

鐘の音は、まだ鳴り響いている。砂嵐の轟音に、巨人の足音が消されてゆくにもかかわらず、鐘だけは、等間隔で。鐘楼など、どこにもないのに。


。。。と、ご清読、ありがとう。これは私の夢。こんな夢をたくさん見るのですよ。若い頃からつけている夢日記はもう何冊になるのだろう。ばかばかしいのもたくさんある。たとえば、「大地震後で東京タワーが横倒しになった東京の街を、高島忠夫と手をつなぎ、スキップしてる。」夢だとか。笑

ちなみになぜ、こんな夢の話を書こうと思い立ったかといえば、前日、祖母の法事で実家へ里帰りしたときのこと、仔猫を見つけて飼いそびれる夢を見たからなのだった。隣の家からぴょこっと仔猫が我が家へ走り込んでくるのだが、それが紫の毛に金ラメのしましま模様なのだ。「こんなかわいい柄の猫、見たことない!これは神様が私にくださった猫だ。」と歓喜して飼おうとするのだけど、その仔猫はもう、お隣ですでに飼われている猫で泣く泣く断念…。というような夢を見たよと寝起きで母に話すと「ばっかねえ。そんな柄の猫、いるわけないじゃない!」とせせら笑われて終了。母よ、あなたのそんな現実主義なところが、いつも私を夢の世界から現へ引き戻してくれましたっけ…。









posted by 猫沢エミ at 00:00| パリ | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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