2013年12月14日

フランス人のチミード問題

Loopcafe•Collage presents- 2013大忘年会交響楽-2013年12月29日(日)
仙台Neo Brother Z

Emi Necozawa & Sphinxフルバンドライブ!スペシャルDJに小西康陽氏♡


先日行われた渋谷gee-geでのSphinxワンマンライブ「Continental」へは、師走の慌ただしい時期にも関わらず、たくさんのお客様にお越し頂きましてありがとうございました!3時間に及ぶ長いライブ(長過ぎたかもしれない…)で、さぞ皆さんを善くも悪くも疲れさせてしまったかなという小さな反省点もありつつ、現時点で持てる熱量のすべてがあのライブにはあったと思います。次回は4月を予定。今回来られなかった方々は、ぜひ次回お待ちしております!



なんていう感じに、11月下旬にパリから帰国した後もあいかわらずばたばたと日々を駆け抜けて、やっとブログを書くくらいの落ち着きが取り戻せた日曜日。

先日、パリのフランス人友達とSkypeで話をしていたときのこと。彼は言った。「とある仕事のプレゼンテーションで、もっと強く押さなくちゃいけなかったのに、イマイチそれができなかったんだ。俺ってチミードだから。」


チミード/Timide(形・名)内気な、恥ずかしがりの・気の小さな人。−−フランスに暮らすとよくこの単語を耳にするのだけど、大抵とてもネガティヴな意味で繰り出される。恥ずかしがり大国日本の女子としては、え?そんなこと言ったら日本人はどうなるよ。1億総チミードじゃん!という反応を思わずしてしまうのだけど、日本で言う『恥ずかしがり』には、同時に『奥ゆかしい』『謙虚な』というプラスのニュアンスも場合によって含まれている。ところが、大陸の多文化圏内に暮らすフランス人にとって、チミードであるということは、時に生きるか死ぬかの大きな弱点になってしまうらしい。

フランス人の某親友にはかわいい娘がいてとても礼儀正しく素直。私から見れば申し分のないいい子へと成長している。「将来が楽しみだね。」と言う私に向って父の親友はこう言った。「うん。でも彼女はちょっとチミードで、実はとても心配しているんだ。」その時も思わず「えー?日本人は1億総チミード…」と反射的に言ったか言わなかったかはもう忘れたが、とにかく不条理な口論を突きつけられたり、売られた喧嘩はしっかり買うしか道のないフランス人のコミュニケーション社会で、ここぞというときに強く自分を押し出せなければ相手のいいようにされ、ややもすると酷い目に遭うのは自分のせいとなってしまうことは、長いフランスとの付き合いで嫌というほど私も体験してきた。郷に入りては郷に従え。特にフランスではこの精神がないと生きて行くのは難しいかもしれない。優しさは弱さ、謙虚は相手につけこまれる弱点でしかない。というのも生活の至る場面で真実となる。けれど、人は元来優しいもので、謙虚であることは美徳である。という日本人の良さを失う必要はない。ただそれには、おそらくフランス人を超える未知の強さを体得しなければいけなくなるのだけど。


話を戻そう。冒頭に上げた某Skypeの友人。「俺、チミードすぎてカウンセリングに言ったこともあるんだよ。」と。これにはさすがに驚いた。そんなこと言ったら、日本人は1億総診療内科行きだね!(と、心の中でしつこく呟いた。)まあ、ここまで自分のチミードを自覚して、それをマイナスとしてしか捉えられない人はフランスに暮らさない方がいいような気もするんだけど、実際彼は日本文化好きで日本人と話をしていると気分が良くなるのだという。「なんかさ、日本人はきちんと話を最後まで聞いてくれるじゃない。頭ごなしに全否定せずにさ。なんだかカウンセラーと話をしているようなんだよなあ。」確かに。実際フランスに限らず、いい精神カウンセラーというものはアドヴァイスではなくて、その人の話をじっと聞くことができるかどうかがポイントだ。日本人には得意分野である、人の話を聞くという当たり前の行為をもってして、フランスでは精神科のお医者さんという仕事のポストが得られるな…しめしめ。などと、こっそり考えたことは彼にはもちろん言わなかったけど。


ところで、家人と嫌な雰囲気になるときがごく普通のカップルにもあるように、我が家でもままあるが、そんなとき「最近フランス人とばっかりしゃべっているからでしょう?すごく攻撃的な話し方で嫌な気分になる。」と言われてハッとする。気をつけていても、知らず知らずのうちに半仏半日人に変化しているのは致し方ないのかもしれないが、私は私で日本人の奥ゆかしさやいい意味でのチミードをもう少し意識しないといけないな、なんて反省してみたり。





posted by 猫沢エミ at 16:20| パリ ☔| インターナショナル感覚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

この雨をみくびるな

今日は雨っぽい。しっかりと雨、なのではなくて、なんかこう1日もやがかったように空気が霞んで白かった東京。こんな日って、とても日本人に似合うなあと思うのは、私だけかしら?

パリにいなくとも、結構フランス人を含めた様々な外国人と接触したり、仕事をする機会がある。お国柄というのは各国様々だし、ナニ人とはくくれない、ひとりひとりの性格の違いももちろんある。あるのだけれども、総じて思うことは、やっぱり日本以外の多くの人々は、私たちと比べて決定的に利己的だということ。そもそも、人は動物。日々食べるために仕事をして、生活の荒波にもまれているのだから、人様のことなんか考えちゃいられねえ、自分ひとりだって、やっと生きてるんだ。って考え方、最もではある。逆に言ってしまえば、世界から眺めた日本人は「どうしてそんなに人のことばっかり気にかけるわけ?」となるのではないだろうか。でもね、やっぱり性根が優しい民族なんだと思うんですよ。あとは、モラルのレベルが高い。人にこうしてしまったら、人にこんなことをこんなタイミングで言ってしまったら、きっとそれがどんなに正論でも傷つくだろう。だって、私もそうされたらきっと同じだもの…ってなこの国じゃ当たり前の美考は、一歩海の外へ出てしまえば、理解しがたいおためごかしへと変化する。じゃあ、どうしたらいいのよって話なのだけど、日本人は死ぬまで日本人であるわけで、品のいいキャラクターを捨てるなんて愚の骨頂。ただ、せっかく持っている、柔らかで澄んだ精神を守るために、対外的な防御の術は身につけねばなるまいよ。少し過去を悔やみ、少し未来のことを心配する幅のある日本人の時間感覚。それを、ときにはパンクチュアルな点としてとらえることも必要だ。つまり、「今こいつに言わねばいつ言う?」という場面に出くわしたとき、はっきりと自分の持っている意見を言う。ただし、嫌みで攻撃的になる必要はない。そこはせっかく日本人に生まれたんですもの、すっきりと問題に関することだけを明確に、丁寧に述べる。しかし、これがまた日本人は苦手でしょう。なぜか?

例えば、あなたが早朝のバス停でぼーっとバスを待っていたとしよう。そこに、死んだはずのソクラテスがぶらりとやってきて「あなたは、自分が何も知らないことを知っているか?」といきなり質問する。ゆうべは残業で午前様だった。今朝はバナナすら食べてない。そんな頭の回らない最悪のときでも、「私は、ほげほげでびょろろろだから、びょろりんほなのです!」と、ソクラテスもびっくりのイカした返事ができるかどうか?それは取りも直さず、常日頃から、あらゆる事柄について、自分はこう思う、という確固たる意見を持っているか持っていないかにかかっている。小学校のとき、授業中先生にさされるとすべての回答を「今考え中です。」と言っていた人、要注意。今言わねばならぬ場面に、今考えてたら即負けである。そして、その時は早朝のバス停にソクラテスくらい、理不尽に、突然やってくるのだ。

パリジャンのごとく、いつも臨戦態勢である必要はない。ここは日本で、私たちは日本人なのだから。でも、今日のこの雨のように、なんとなくぼんやりと、滲むような、曖昧で情緒のある空気を守りたいのなら、精神に切り替えスイッチを作る必要がどうもありそうだ。特に最近、国際問題でいろいろと弱点が露呈している私たちには。肩をすくめてパリジェンヌ気取りをするよりも、こっちの方がずっとかっこいいぞ。DNAはデオキシリボ核酸まで日本人でも、精神は、後天的にいくらでも混血可能!

ああ…いとおかし。微妙なこの湿度とグラデーションの雨を見る繊細な日本人の私を守るために、横でラテン人の私が、歪んだサンバのリズムで踊り狂ってるん。




posted by 猫沢エミ at 19:36| パリ ☔| インターナショナル感覚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする