2014年01月31日

恐ろしいけれど知らなくてはいけないこと



今朝からごはんも喉を通らないのでブログを書く。今、私は人間としての罪深さや使命感を感じて激しく動揺している。きっかけはパリ在住のミュージシャン友達、マイア・バルーちゃんのFBに上げられた中国における熊の胆汁採取の恐ろしい実体リポートと、それを止めさせる情報拡散および署名についてだった。


昨年5月に出版した『猫と生きる。』のフランス取材時にも、それにからんだヨーロッパにおける様々な動物虐待の事実を知り、戦慄した。コーディネーターをつとめた普段はファッション業界で働いている友人が教えてくれた事実も多かった。「私はこうゆう世界で働いていて、自分が流通させている物に対して責任があると思うからさ、毛皮がどんな風に採取されているのかを恐ろしいけれど、調べていろいろ見てみたら本当に残酷すぎて気が遠くなった。それでも見なくてはいけないと思って。」そう話した友人が見たものとは、フォックスの毛皮を美しいままに採取するため、時たま棍棒で頭を殴って気絶させながらきつねの生皮を生きたまま剥ぐという恐ろしい映像だった。毛皮と一口に言っても、まだ人道的な方法で殺されて剥がれるものもあるという。しかし、そもそも毛皮は必要なのか?イギリスのデザイナー、ステラ・マッカートニーが言った「着るものは他にもいくらだってある。毛皮を着なければいけない理由はどこにもない。」という言葉が脳裏を離れない。その通りだ。イヌイットがアザラシを食糧として採取し、極寒の地で二次利用する文化的、気候的な理由ならば納得がいく。けれど、暖房設備が整った私たちの世界で、おしゃれだから、ゴージャズに見えるからという安易な理由で流通する毛皮は、ただ死体の一部でしかない。そんなものを身につけて人格が上がると勘違いすることが、果たして本当にファッションなのか?文化と片付けられるのか?


パリの7区に『デイロール』という老舗剥製店がある。狩猟文化のあるヨーロッパにおいて、裕福層を中心に栄えてきたお店だ。ここへ、私が編集長を務めるBONZOUR JAPONの取材で入ったことがある。何よりもまず最初に、デイロールの担当者へ投げかけた質問は「これらの動物をどう確保しているのか?」だった。返って来た答えは、「事故や病気、なんらかの理由で自然死した動物のみを学術的な理由で剥製にしている。」というもので、ほっと安心した。それならば、彼等を美しく素晴らしい技術で蘇らせ、第二の命を与えることは意義があると思えたからだ。フランスの動物園、その他動物がからんだ私的および公共団体にはとても強い動物保護活動の信念が伺える。それは、先にも書いたヨーロッパにおける楽しみだけの狩猟文化と毛皮の採取という黒歴史に対する、償いと弔いがあるのだと思う。

近年盛んなシルクドソレイユなどの動物を使わない人間技のみのサーカス集団も、本来芸など覚える資質をもっていない動物に無理矢理電気ショックを与えて言うことをきかせる伝統的なサーカスの虐待に対し社会批判が巻き起こり、衰退してゆく現状の中で見出した新しい活路だと言っていい。サーカスで心も身体も破壊された動物を引き取って、終生面倒を見るフランスにおける創立最古の動物保護団体『フォンダシオン・アシスタンス・オザニモー』の取材時には、その一貫した活動に深い感動を覚えた。方や芸術的な馬芸で見せるジンガロなどは、もともと仕事をする馬の資質をそのまま芸術の域まで高めたものといえる。なんでもかんでも一緒くたにして批判するのは逆に危険だから、『動物本来の姿、資質はなんであるのか』を忘れずに、なくすべきものを知る必要がある。


とにかく、動物実験を行わねば作れない化粧品など私はそもそも使いたくないし、動物に限らず、迫害、拷問といった類いのものを激しく嫌悪している。そして、見てしまった中国における熊の胆汁採取の恐ろしい実体。長期間の苦しみ、残虐さは毛皮採取の非ではないと判断する。なぜこんなことが出来るのか?こんなことをして、精神を病まずに日常が送れるのか?人間の中には悪魔が同時に住んでいると思わざるを得ない。それは、第二次世界大戦下のナチスによるユダヤ人迫害をどうしても思い出させてしまう。ガス室で大量の人間を殺したという事実以外の恐ろしい人体実験について。(ナチスのみに限らず、日本でも第二次世界大戦下陸軍に存在した、恐ろしい“731部隊”がある。)人間を狂わせるのは教育のなさと、こうした戦時下によく見られる集団心理だ。そう、人間は教育されなければなんのルールも持てない最悪の生き物であり、一旦教育されたものでも、大きな思想に取り込まれればあっという間に同化する弱い生き物でもある。それは、他ならぬ自分もそうなのだという自覚が私の中にはいつもある。他人事ではない。どこかに暮らす頭の悪い、魂の腐ったやつがやらかした所業ではなくて、自分が人間である以上、自分にもその可能性がまったくないとは言いきれない。だから、こうした恐ろしい事実に出くわすたび、私はまるで自分がそれに加担してしまったかのような罪の意識を感じる。そして、動物に対して人間の同朋がしている罪を阻止しようと真剣に考えるのだ。


見るのは辛い画像とルポルタージュではあると思う。全部読めとは言わない。けれど、どうしてもこの事実を知って欲しい。そして、このことに憤りを感じたら署名をして欲しい。署名は英文フォーマットだけど、とても簡単で誰にでも出来るものです。どうか、どうか、ひとりでも多くの方に署名して頂きたい。
今、これを書きながら深々と頭を下げてお願いしています。

●中国における熊の胆汁採取の実体と反対署名
http://ameblo.jp/happycat-satuki/entry-11760967959.html






posted by 猫沢エミ at 15:14| パリ 🌁| なんてことない日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月20日

『春菊猫夜会』〜内田春菊×猫沢エミ トークショー@新宿・BAR星男



Loopcafe•Collage presents- 2013大忘年会交響楽-2013年12月29日(日)
仙台Neo Brother Z

Emi Necozawa & Sphinxフルバンドライブ!スペシャルDJに小西康陽氏♡




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2014年の幕開けは、漫画家・女優・作家など多才な活動を続ける内田春菊さんと、今年5月に新刊『猫と生きる。』を上梓したミュージシャン・猫沢エミのトークショーから。女性として人生の岐路に立ったとき、ふたりは何を選び、何を選ばななかったのか?
それぞれの新著から見えてくる“今、思うこと”を幅広いテーマでお送りします。ぜひこの機会をお見逃しなく!


●『春菊猫夜会』〜内田春菊×猫沢エミ トークショー@新宿・BAR星男

日時:2014年1月18日(土)
   open 20:00~ start 21:00~

ticket: ¥1,300(入場チャージ/¥600+1 drink/¥700)
*ticketは最低料金が¥1,300で、選ぶお飲物によって
     変わることをご了承ください。

出演:内田春菊(漫画家)× 猫沢エミ(ミュージシャン)

    内田春菊さんオフィシャルブログ
   http://ameblo.jp/shinshungicu/

   猫沢エミオフィシャルFBページ
   https://www.facebook.com/necozawaemi

会場:BAR 星男(hoshio)
   新宿区新宿2-6-8 小澤ビル1F
   tel:03-5379-6066
   https://www.facebook.com/barhoshio

* チケットの予約受付・販売などはありませんので、当日直接会場へお越しください。
 混雑が予想されますので、よいお席でご覧になりたい方は早めのご来場をお勧めします。
当日は出演者の新刊の販売、サイン会もあり!






posted by 猫沢エミ at 18:41| パリ | アノンス最新情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月18日

『素粒子』−ミシェル・ウエルベック読了記



Loopcafe•Collage presents- 2013大忘年会交響楽-2013年12月29日(日)
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Emi Necozawa & Sphinxフルバンドライブ!スペシャルDJに小西康陽氏♡




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本を読むことが好きか嫌いかと言えば、大好きでもあり大嫌いでもある、というのが本心かもしれない。本屋に出かけると面白そうな本が膨大にあって、どう考えてもこれらを全部読むことはできなさそうだし、また仮に読んでしまったら人の作品を読むことだけに一生を費やして、アウトプットの時間は永遠に持てない絶望に見舞われるからだ。だから、私はこうすることにした。一生のうちにできるだけ多くの本を読めるよう務めるけれども、数ではなく1冊の本をどれだけ丁寧に深く読み込むかに重点を置く。

簡単に読めるものもあれば、時間がかかるものもある。時間がかかるものは、大抵描かれている世界観が私の知らないまったく新しいもので、その世界の構造をあらかた把握するのに手間取る。つまり、簡単には物語へ入って行けない。だが、そこでつまらないと読むのを辞めてしまうと、その後広がる素晴らしい世界に触れる事ができないどころか、作家と物語に対して間違った感想だけが残る危険性が高い。まず最初に言っておきたいのは、「素粒子」を一旦読み始めたら、どんなに時間がかかっても最後まで読む覚悟を持って頂きたい、ということ。でないと、この本は60〜70年代に渦巻いたフランスを中心としたヨーロッパ、ひいては世界のカウンターカルチャー、ヒッピームーブメントにおける一見自堕落なセックス事情を紐解いただけの話、そしてある鬱鬱とした2人の兄弟の精神病的な独白物語で終わってしまう可能性があるからだ。

「素粒子」の中には、差別的な発言や極端なモノサシで測られた表現も多い。だから、書いてあることをそのままにしか受け取れない人にもお勧めできない。世界にあるありとあらゆる現象、宗教、文化形成の礎となる人間のおぞましい欲望、矛盾について宇宙からまるごと地球を眺めるような俯瞰の姿勢が必要になる。それと同時に、自分自身が物質を構成する最小単位の“素粒子”となって、限りなくミクロの精神世界に降りてゆく冒険心も。


物語の骨格は、分子生物学者ミシェル・ジェルジンスキと、その異父兄である国語教師のブリュノの人生によって作られている。登場する物語の年代史も、ふたりの系譜をさかのぼる1800年代から未来の2200年までと幅広い。だが、中心は60年代を起点とするフランスを中心としたカウンターカルチャー、ヒッピームーブメントを経て、この作品が発表された90年代までが基軸となっているので、そこは掴みやすいかもしれない。分子生物学者のミシェルは、ノーベル賞を受けるに値する研究発表後、この世界から失踪する。

『形而上学的変異−すなわち大多数の人間に受け入れられている世界観の根本的、全般的な変化−は、人類史上まれにしか生じない。その例としてキリスト教の登場があげることができる。形而上学的変異はひとたび生じるや、さしたる抵抗も会わずに行き着くところまで行き着く。既存の政治・経済システムや審美的見解、社会的ヒエラルキーを容赦なく一掃してしまう。その流れはいかなる人間の力によっても―新たなる形而上学的変異の出現いがいには、いかなる力によっても―止めることができない。』−本文冒頭より引用

「素粒子」を読み始めた方は、プロローグに登場するこの部分を頭に留めておいて欲しい。おそらく読み終わったときに、「このことだったのか…!」とすべてが明瞭に理解できるはすだ。まさに、ミシェルの成し遂げる《第二の神の所業》とは、現存するこの世界を一新してしまう目覚ましい形而上学的変異に貫かれている。なんて書くと「猫沢さんの書評を読んでいるだけで頭が痛くなるから、さぞかし物語は難しくて読みづらいものだろう。」と思われるかもしれないが、私にもまったく知識不足なミシェルの研究領域である分子生物学の様々な専門用語や研究史の遍歴話以外は、恐ろしく落差のある俗でありきたりな、誰しも体験したことのある“人生の苦しみ”が、極一般の庶民感覚レベルで描かれているからご安心を。何が安心だ!暗そうな話だな。その通りである。どうして人生とは、かくも見事にうまくいかないようになっているのか?愛を求めるすべての人が、精神的高みへと達する前に、その具体的な手段であるセックスを行うための身体的な老いや病に屈服せざるを得ないのか?美しい者もそうでない者も、皆等しく存在の虚無感から開放されないのか?といった人生苦難の命題探しを、ミシェルは科学者の形而上学的変異をもってして理知的に、兄のブリュノはスワッピングやヒッピー文化のフリーセックス体験というあがきを通して描かれる。ことに思わず「このアホたれが!」と罵倒したくなるようなブリュノの様相には、失笑を通り越してある種の慈しみすら感じる。特に歳を重ねるごとに目に見える形で萎えてゆく性器を持つ男性諸君は、骨の随まで染入るような共感と、それでいてあまりに明快な悲哀の提示に反発を覚えるかもしれない。かといって女性はこの問題から免れるわけでもない。幾分「素粒子」の中では、女性が善き者として描かれている側面も見て取れるが、やはり私自身を含む女性も老いには勝てぬ、次世代の子供を愛の名の下によって生み出す生物としては、あまりに哀しい存在でしかない。そう、これは「愛」をすべての現象から切り離し、純然たるものとして残すために、宗教ですら救えなかった(ある意味、宗教の無力さも明確に描き出している物語とも言える。)人間を、どう救うか?という恐ろしく崇高な命題を伴った小説なのだ。


命題を描き切るために使われた、フランスの60年代から90年代までのうんざりするような社会・文化事情が非常にリアルに描かれているので、その“腐敗史”とも言える部分だけでも読む価値は高い。また、ブリュノが迷走するセックス文化事情は、さらにリアルに描かれるわけだが、これは作者ミシェル・ウエルベックが自堕落な時代を自ら通って来た体験記であることも、彼自身が告白している。ここで少しウエルベックのプロフィールにも触れておく。

『1958年2月26日、インド洋上に浮かぶフランスの海外県レユニオン島で生まれた。父は山岳ガイド、母は麻酔専門医だったが、両親は息子の養育権を放棄。ウエルベックが6歳のときに、父方の祖母に預けたきりにしてしまう。その後両親は離婚。母親は別の男性とのあいだに娘を作ったが、ウエルベックは4歳下のこの異父妹とこれまで一度も会ったことがないという。なおウエルベックというペンネームは、祖母の性からきている。パリのセーヌ・エ・マルヌ県で少年時代を送ったのち、同県モー高校の寄宿生となる。祖母が彼が二十歳のときに死去。80年に国立高等農業学校を卒業したウエルベックは、同年に最初の結婚をし、23歳で息子が誕生するがやがて離婚。職業も失ってしまう。その後精神のバランスを崩し、数度にわたり精神科入院を余儀なくされた。』−訳者・野崎歓氏によるあとがきより引用

この作家前のウエルベックの個人史が、登場するブリュノの設定に克明に反映されていることは、「素粒子」を読んで頂ければ一目瞭然だ。ウエルベックが卒業した国立高等農業学校は、農業技術指導者の養成を主眼とするエリート校であること、ヌーヴォー・ロマンを代表する作家アラン・ロブ=クリエが同校の卒業生であるが、ウエルベックがむしろヌーヴォー・ロマン的な《エクリチュール/書体、作風》の戯れ、テクストの探求といった方向性を不毛で退屈だとしてまっこうから否定する姿勢をとっていることも、名訳を生んだ野崎歓氏のあとがきには書き添えられている。


かくしてウエルベックは、生物学の豊富な知識と性文化の放蕩体験によって「素粒子」を生み出した。2人の主人公は、ウエルベック自身の中に宿る2つの極端な姿であり、科学者の冷静な観察眼と、自堕落に呑み込まれる弱い人間の両方がそれぞれの命題として呼応し合い、数奇な作品へと生まれ変わった。

物語の最終盤、まるで海底の火山活動によって一晩のうちに島が出現するかのごとく、それまでの長い陰鬱が一気に晴れ、新しい形而上学的変異を見せる様は圧巻の一言。そして、救われない人類のひとりである自分もまた、世界中の海が凪いだ虚無の果てに現れる、穏やかで静かな風景に、じっと佇んでいる。












posted by 猫沢エミ at 13:44| パリ ☁| 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月14日

フランス人のチミード問題

Loopcafe•Collage presents- 2013大忘年会交響楽-2013年12月29日(日)
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Emi Necozawa & Sphinxフルバンドライブ!スペシャルDJに小西康陽氏♡


先日行われた渋谷gee-geでのSphinxワンマンライブ「Continental」へは、師走の慌ただしい時期にも関わらず、たくさんのお客様にお越し頂きましてありがとうございました!3時間に及ぶ長いライブ(長過ぎたかもしれない…)で、さぞ皆さんを善くも悪くも疲れさせてしまったかなという小さな反省点もありつつ、現時点で持てる熱量のすべてがあのライブにはあったと思います。次回は4月を予定。今回来られなかった方々は、ぜひ次回お待ちしております!



なんていう感じに、11月下旬にパリから帰国した後もあいかわらずばたばたと日々を駆け抜けて、やっとブログを書くくらいの落ち着きが取り戻せた日曜日。

先日、パリのフランス人友達とSkypeで話をしていたときのこと。彼は言った。「とある仕事のプレゼンテーションで、もっと強く押さなくちゃいけなかったのに、イマイチそれができなかったんだ。俺ってチミードだから。」


チミード/Timide(形・名)内気な、恥ずかしがりの・気の小さな人。−−フランスに暮らすとよくこの単語を耳にするのだけど、大抵とてもネガティヴな意味で繰り出される。恥ずかしがり大国日本の女子としては、え?そんなこと言ったら日本人はどうなるよ。1億総チミードじゃん!という反応を思わずしてしまうのだけど、日本で言う『恥ずかしがり』には、同時に『奥ゆかしい』『謙虚な』というプラスのニュアンスも場合によって含まれている。ところが、大陸の多文化圏内に暮らすフランス人にとって、チミードであるということは、時に生きるか死ぬかの大きな弱点になってしまうらしい。

フランス人の某親友にはかわいい娘がいてとても礼儀正しく素直。私から見れば申し分のないいい子へと成長している。「将来が楽しみだね。」と言う私に向って父の親友はこう言った。「うん。でも彼女はちょっとチミードで、実はとても心配しているんだ。」その時も思わず「えー?日本人は1億総チミード…」と反射的に言ったか言わなかったかはもう忘れたが、とにかく不条理な口論を突きつけられたり、売られた喧嘩はしっかり買うしか道のないフランス人のコミュニケーション社会で、ここぞというときに強く自分を押し出せなければ相手のいいようにされ、ややもすると酷い目に遭うのは自分のせいとなってしまうことは、長いフランスとの付き合いで嫌というほど私も体験してきた。郷に入りては郷に従え。特にフランスではこの精神がないと生きて行くのは難しいかもしれない。優しさは弱さ、謙虚は相手につけこまれる弱点でしかない。というのも生活の至る場面で真実となる。けれど、人は元来優しいもので、謙虚であることは美徳である。という日本人の良さを失う必要はない。ただそれには、おそらくフランス人を超える未知の強さを体得しなければいけなくなるのだけど。


話を戻そう。冒頭に上げた某Skypeの友人。「俺、チミードすぎてカウンセリングに言ったこともあるんだよ。」と。これにはさすがに驚いた。そんなこと言ったら、日本人は1億総診療内科行きだね!(と、心の中でしつこく呟いた。)まあ、ここまで自分のチミードを自覚して、それをマイナスとしてしか捉えられない人はフランスに暮らさない方がいいような気もするんだけど、実際彼は日本文化好きで日本人と話をしていると気分が良くなるのだという。「なんかさ、日本人はきちんと話を最後まで聞いてくれるじゃない。頭ごなしに全否定せずにさ。なんだかカウンセラーと話をしているようなんだよなあ。」確かに。実際フランスに限らず、いい精神カウンセラーというものはアドヴァイスではなくて、その人の話をじっと聞くことができるかどうかがポイントだ。日本人には得意分野である、人の話を聞くという当たり前の行為をもってして、フランスでは精神科のお医者さんという仕事のポストが得られるな…しめしめ。などと、こっそり考えたことは彼にはもちろん言わなかったけど。


ところで、家人と嫌な雰囲気になるときがごく普通のカップルにもあるように、我が家でもままあるが、そんなとき「最近フランス人とばっかりしゃべっているからでしょう?すごく攻撃的な話し方で嫌な気分になる。」と言われてハッとする。気をつけていても、知らず知らずのうちに半仏半日人に変化しているのは致し方ないのかもしれないが、私は私で日本人の奥ゆかしさやいい意味でのチミードをもう少し意識しないといけないな、なんて反省してみたり。





posted by 猫沢エミ at 16:20| パリ ☔| インターナショナル感覚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月12日

-Loopcafe•Collage presents- 2013大忘年会交響楽



杜の都・仙台に、Emi NECOZAWA & Sphinxをフルバンドライブが初凱旋!高感度のアーティストを迎えて行われているイヴェント「LoopCafe」の今年を締めくくるパーティーです。そしてスペシャルゲストDJに元ピチカートファイヴの小西康陽さんが登場!他にも豪華なDJが。当日は会場にて今年5月に辰巳出版より発売された、「猫と生きる。」の特設ブースも設置されます。また今年より自らのパーティーを始動、仙台市内で新しいムーブメントを起こしている話題のエンターテイナー、ドラァグクイーンのN。(エンヌ。)登場と何がおこるか予想がつかない大忘年会交響楽へ、東北のみなさん、ぜひお出かけください!

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-Loopcafe•Collage presents- 2013大忘年会交響楽

日時  2013年12月29日(日)21:00〜  2500円/1D
場所  仙台Neo Brother Z (宮城県仙台市青葉区本町2丁目14-20)

Special Guest DJ
小西康陽
BOOT BEAT
IDOL♡NAHO(娘)

Special Live
Emi NECOZAWA & Sphinx
*Sphinxのライブは22時start です!

Local DJ
Yuji Hagihara(foretoile)
Kumico(foretoile)
geeepang(POPTUNE)

Drag Queen
N。
Organaizer
LoopCafe YUKI & Daisuke Hayashi(Collage/foretoile)

●チケット・お問い合わせ
LoopCafe 022-773-3736

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小西康陽
音楽家。1985年、ピチカート・ファイヴのメンバーとしてデビュー。
2001年解散後も、数多くのアーティストの作詞、作曲、編曲、プロデュース、リミックスを手掛けている。
2011年、PIZZICATO ONEの名義で初のソロ作品『11のとても悲しい歌』(ユニバーサルミュージック)を発表。フジテレビ系ドラマ『抱きしめたい!Forever』のサウンドトラックを手掛け、EveryLittleThingが歌う主題歌「アクアマリンのままでいて」の編曲も担当した。サウンドトラックCDが発売中。著書に『僕らのヒットパレード』(片岡義男と共著)ほか。


Emi NECOZAWA & Sphinx
パーカッションとヴォーカルを同時に操る独自のスタイルを持つ、シンガーソングライター&パーカショニスト猫沢エミ。元ピチカート・ファイヴのライブメンバー他、主にライブパーカショニストとして活動、そして自身のマキシを含むアルバム13枚をリリース後、2002年よりフランス・パリへ移住。TAHITI80,Camille等多数のフランス人アーティストとのライブ活動と同時に、2011年ジャズ・コンテンポラリー・インプロヴィゼーションを基盤とした自身の音楽ルーツを形にすべく、自身初のバンド“Emi NECOZAWA & Sphinx”を結成。リリース前にも関わらず、プロモーション盤がフランス国営ラジオ【France Inter-フランス・アンテール】を始め他ラジオ局でも取り上げられ、広がりを見せている。高度なテクニックと各パートのセッションを軸にしたそのスタイルは、ジャンル分けしがたい新しいポピュラリティーに満ちている。今回は、ギターパートに日本を代表するギタリスト窪田晴男氏を迎えてのライブとなる。

G. /ギター・窪田晴男 (support member) 
Key. /キーボード・坂和也 
Acco. /アコーディオン・田ノ岡三郎 
W.b. /ウッドベース・岩見継吾
Sax&Fl. /サックス&フルート・渡邊勇人 
Dr. /ドラム・末藤健二
Per&vo. /パーカッション&ヴォーカル・猫沢エミ


BOOT BEAT (神谷直明)
DJ/トラックメイカー。
小西康陽氏が命名し、05年に「LIKE A BOSSA e.p」でレコードデビュー。
翌年にピチカートファイヴやルパン三世のリミックス集、07年「キラキラジブリ」「京平ディスコナイト」、11年「ジブリジャズREMIX」に参加。
オリジナル楽曲では06年に1stアルバム「SWITCH」を発売し、小西康陽氏から「大傑作。世界水準」と評され、09年5月の2ndアルバム「FULL SWING」では海外のアーティストからも賞賛された。
その他数々のリミックスやミックスCDを制作。たまに即完売。





posted by 猫沢エミ at 15:23| パリ 🌁| ライブ最新情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする